地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

創作教室

2008年07月19日 | 公民館
 
 

今日から夏休みフリー塾、「こども創作教室」を開講

 今日から、夏休みが始まった。約40日間をどう過ごすか、児童・生徒たちは昨晩ワクワクしながら眠ったことだろう。私は現役の頃、休暇が欲しいと思ったことは多々あり、一ヶ月間休めたらと願ったこともある。ただ今のシューカツ(就職活動)に失敗したら、来年からは40日はおろか、毎日が日曜日となる。その時間をどう過ごすのか、私は未だ明確な答えを持ち合わせていない。

 さて、長い夏休みをどう過ごすのかはとても大切と考え、市内の公民館では「NPO法人岡山市子どもセンター」(市内に各地域支部がある)の提唱を受けて、協働して小学生を対象として体験活動を重視した「夏休みフリー塾」を開講している(中学生にはボランティアをお願いしている)。
 その今年のフリー塾では、我が館では12のメニューを用意した。そして、いよいよ今日からその開催が始まった。トップバッターとして、今日はまず市内の学校司書の方々などを講師に迎え、「子ども創作教室」を開講した。

 私は公民館で働かせていただくようになってから、前職時代に担当していた「市民の童話賞」にたくさんの応募があるようにと願い、この三年間毎年欠かさず「こども創作教室」を継続して開催してきた。これは私が大切にしてきた活動の一つであり、私の誇りとしていることの一つである。
 現在の子どもたちは、なかなか文章を書かないようになっていると聞く。「市民の童話賞」の応募も決して多いとは言えない現状にある。そして、文章が書けないなのは子どもだけではなく、大人にも同様のことが言えるような気がする。私は下手な文章だが、文章を書くことは嫌いではない。

 日本語、そして言葉を大切にするという風潮が定着することを願う。その意味でも、書くことの楽しさを実感するような、「創作教室」の開催は、とても大切となっていると考える。今市内の公民館で、そうした「創作教室」を開催しているのは、我が館だけなのはいささか寂しい思いがしている。

 
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作家

2008年07月19日 | 読書
 


芥川の遺書が発見され、複製が展示されるとの報道に接して

 文章を書くのを生業とするのは、作家である。さて、先に発表された芥川賞では、「日本語を母国語としない作家」が誕生している。そんな時代が到来しているのだと、実感した。

 さてその文学の世界についてのことだ。今朝の新聞に、「芥川の幻の遺書4通」が発見されたとの報道がある。朝日新聞によると(岡山の場合は朝日の夕刊はなく、統合版である)、既に遺書6通が発見されており、今回新たに妻宛の2通と子どもに宛てた1通と友人の菊池寛に宛てたと思われる1通が発見されたとのことだ。これらは、日本近代文学館に寄贈され、その複製が展示されるとのことだ。

 私は、「研究」という名目で、こうした遺書などはもちろんのこと私物(私信など)が公開されることを、いささか疑問に思うものである。売買も然りである。芸能人のプライバシーでも同じように思う。私は、松たか子の私生活を知りたいとは思わない。彼女の主演する舞台などを観られるだけで幸せである。
 私は私の死後、私に関することは全て灰に帰すことを願う。恥多き人生を探られることなど、まさに恥の上塗りと思う。
 文学者ということで、その日記に至るまでが公開されることは、その人の本意であろうか。私は、津軽の地で太宰治の「芥川賞が欲しい」との悲痛な叫びにも似た手紙を読んだ時、実に悲しくなった。こうしたものは、受け取った方が墓に一緒に持って行って欲しいと願った。

 作家が書いた作品・文章の背景を知ることで、その作品をより深くできるようになることを否定しない。例えば大江健三郎が、現代文学の名作『個人的な体験』(新潮社刊)について、大江の「しょうがいを持った光くんの誕生」という私生活状の出来事が大きく横たわっていることは明白である。その著書の「バード」と名付けられた主人公が、「しょうがいを持って生まれた子どもを引き受けて生きることを決断するまで」の苦悩が、大江自身の私生活と重ね合わせてとてもよく理解できる。
 さりながら、私は大江の手紙を読むことを望まない。その線引きは難しいところではあるが、私信などの売買や展示を制限できないのか、改めて考えて見る時を迎えているのではないかと考えたりもする。

 そうは言いながらも、私は芥川龍之介、漱石や志賀直哉を始め、多くの作家の全集を購入しているのだが(いつも書くが、書棚に並んでいることと読んだことは、全く別なのだ)。
 「芥川龍之介の新たな遺書が見つかり、その複製が公開される」とのニュースを読んで、そんなことを思った次第だ。
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かあさん文庫

2008年07月19日 | 公民館
 


かあさん文庫スペシャルは、ゲストに「みなみ座」をお迎え

 この日、我が館の主催講座である「かあさん文庫・夏休みスペシャル」を、たくさんの母子の参加で、大きく賑わった。今回のスペシャルには、ゲストに人形劇の「みなみ座」のみなさんをお迎えしての開催である。
 かあさん文庫のみなさんは、ミュージックパネル「なぞなぞパンやさん」、大型紙芝居「ぼたもちばあさん」、ブラックパネル「めっきら もっきら どおん どん」などが上演された。
 このかあさん文庫の参加者は、小学生よりも、修学前のお子さんが多いと見受けた。みんなお母さんに連れられて(残念ながらお父さんはいなかった)、大いに楽しんでいた。
 私の子どもの頃は、どんなことを楽しんでいたのだろうか。修学前のことなど、全く記憶がない。悲しいことか、いやむしろ喜ぶべきことなのかな。
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