地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

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中国残留孤児

2008年07月12日 | Weblog
 


「中国残留孤児岡山訴訟終結『感謝の会』」に参加

 暑い、何とも暑い。35.4℃と今年一番の暑さだそうだ。さすがの私も食欲がない。いささかバテ気味で、夜の予定もキャンセルした。

 さて今日の午後、ご案内があって「中国残留孤児岡山訴訟終結『感謝の会』」に参加させていただいた。我が館内に、該当の方々がお住まいになっておられ、昨年はその方々のお話を聞いたり、手作りの水餃子を食べる会等を開催させていただいた。そうしたご縁もあり、今回同じくお住まいの方々がおられる高島公民館と我が館、そして福祉交流プラザさいでんにご案内をいただいたという訳だ。

 ところで、今回終結した訴訟とは、「2004(平成16)年、岡山地方裁判所に、中国「残留孤児」の方々が国家賠償請求訴訟を提訴した」ことに始まる。そしてこの訴訟は、国が「これまでの支援策が十分でなかった。申し訳ない」との態度を表明し、かつ「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」を改正する形で、「新しい一定の生活支援制度」を打ち出す中で、原告団の方々が取り下げて終結した。
 この訴訟について詳しくは、「中国残留孤児訴訟岡山弁護団」のホームページ、とりわけ裁判を終えるにあたっての高杉久治原告団団長及び奥津亘弁護士の「意見陳述」をお読みいただくと、今回の裁判の性格がよく理解できる。

 ところで、私はこの訴訟のお話しを聞いた時、なかなか困難な訴訟だと思ったことを率直に認めざるを得ない。行政は不十分でも一定の施策を行ったものについて、それを「否」とする態度は取りにくいし、何しろ帰国されてからでも20年以上の歳月が過ぎており、勝訴は難しいと当時感じたものだ。
 それがタッタ4年で、不十分さは残しつつも、裁判が終結した。原告団の方々の頑張りや弁護団のご努力、そして「支援する会」の輪の広がりが、今日の「感謝の会」へとつながっていると言えよう。その証拠に、今日の会には全ての政党の国会議員さんや県会議員さんが来賓で駆けつけご挨拶をされた。

 それにしても、ご挨拶をされた原告団の方々の日本語は、上達したとはいえ、じつにたどたどしい。日本に帰国して、20年以上の時間が経過しているというのに。帰国されるまでのご労苦に加えて、帰国されても苦労の絶えない日々であったことは想像に難くない。その意味では、今回の裁判終結は決して終わりではなく、まさに新たな一歩の節目といえよう。「一定の生活支援策」を打ち出した「改正法」に、まさに「命を吹き込み、魂を入れる」のはこれからと言えよう。真に人間の尊厳が回復され、かつ生活保障が具体化されるために。

 その意味でも、中国「残留孤児」の方々が、より豊かに暮らしていけるよう、「新支援策の具体化」のためにも、公民館としても役割を果たさなければと考えている。その意味でまずは、とても美味しかった「水餃子」を再度作っていただき、地元での交流の場を設定してはと考えている。
 ともあれ、関係の方々に「本当にお疲れ様」と、深甚なる敬意を表したい。
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掟破り

2008年07月12日 | 公民館
 


自らが立て、かつ実践してきた「掟」を、ついに破ってしまった

 今日からから、「あっこにおまかせ 初心者琴講座」が開講した。初日なのにもう合奏もできるなど、みなさん熱心で上達が早い。私は開講のご挨拶で、来年三月の「文化祭」で、「お別れ演奏会」(この講座は、来年二月までの開講)を開いて欲しいとお願いしたが、十分素敵な演奏を聴かせていただけそうだ。

 さて今日は、ある意味で特別な日となった。私は、二年前の四月から公民館で働かせていただいて以来、「私のような者にでもご依頼があれば、それはご縁でありお断りをしない」との姿勢をとり続けてきたが、今日ついに断ってしまった。残念!
 今日開催した主催講座「うたごえ喫茶」(「戦災と平和、そして復興」シリーズ企画の一つ)でのことだ。講師の先生から、冒頭に「一曲歌ってはどうか」とのご提案があり、さすがに「これだけは無理」とお断りしてしまったのだ。
 私が小学生の頃(私にも紅顔の美少年の小学生時代はあったのだ)、今亡き母が遠足に出かける際に、玄関先で「あんたは音痴だから歌われなよ」と言われた呪縛から解放されず、未だ人前で歌ったことはない(小学生時代の音楽は「2」だったから、母の言は間違いではないのだが)。
 まだ若い頃だが、いわゆる「スナック」で、何も歌わない私は「歌の一つも歌えんのかな」と悪罵を投げつけられたことすらある。
 従って私は、未だカラオケも歌ったことがない。生涯一度も人前で歌ったことがない。母の言いつけを守っているのは、このことくらいだ。
 そんなわけで、二年前の四月から自らが立てかつ実践してきた「断らない」の掟を、ついに破ってしまった。辛い一日だ。

 ところで今日は、「あかれんがクラブ」の定例会を開催した。今日から新たに二人の女性が参加していただき(他館の団塊クラブは男性のみが多いが、我が館は女性も可としている)、より賑やかな定例会となり、実にたくさんの魅力的なメニューを決定した。最近我が館では、「あかれんがさんは、倒れるのでは」との声がたくさん聞かれる程となっている。なのに今日も、たくさんの行事を計画してしまった。楽しいから、ドンドン増えていく。
 今日決定した企画は、このブログで後日先行発表する。お楽しみに。
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