岸田総理が「新しい資本主義」をかかげて総理に就任してから半年が過ぎました。
日本の政治が、国民にとってかなりスッキリしてきたような感じは受けますが、ますます多くの問題が錯綜して来ているだけに、一貫性のある政策を明示するには未だ時間がかかりそうです。
政治という権謀術策が絡まり合う中で多様な意見が出るのは当然なのかもしれませんが、政権党の中で、財政問題のように纏まりがつかなかったりすると、国民は戸惑います。
戸惑うというと些か気になっているのが、岸田総理の旗印「新しい資本主義」の本質が、なかなか伝わってこない事ではないでしょうか。
今月8日に「新しい資本主義実現会議」が3カ月ぶりに開かれたようですが、やっと4回目という事だそうで、些か間遠になっているようです。
マスコミによれば総理は「AIや量子技術など先端分野で世界をリードするように積極的投資を進める」との意向を示されたとのことですが、国民にしてみれば、そうした問題と「新しい資本主義」の間のギャップがどう繋がるのかが解りません。
もともと岸田総理の「新しい資本主義」というのは、安倍・菅時代の「新自由主義」という名で政府が勝手なことをやるという状況を正そうと、「正しい」資本主義という意味があるのではないかと国民は思っているのではないでしょうか。
そこに「成長と分配」という言葉が出て来て、「これは」と思ったのですが、今迄のところ労使に高めの賃上げ要請という事で、安倍・菅政権と同じようになってしまい、何となく旗印との目的や理念との繋がりが見えて来ません。
結局は「新しい」という「資本主義」についた形容詞が「何を意味するのか」が明確にされていないというところに根本原因があるように思われてなりません。
先ほど、「新しい」は「正しい」という意味を含んでいるとのではと書きましたが、それは「正しく」ないと困るからで、では、国民にとっては「正しいとは何だ」という事になります。
ところで、「資本」とは何だと言えば「おカネ」です。でも、お金持ちの人が持っているお金は通常「資本」とは言いません。「資産」というようです、「あの人は資産家だ」といいます。
それに対して「資本」というのは何か「仕事をするためのおカネ」という事でしょう。事業とか仕事をするためにお金がいる、事業の「元入れ金」「資本金」になるおカネです。
お金がなければ、種や苗、必要な材料も買えません。もちろん、仕事に必要な道具も仕事をする場所も確保できません。
仕事をするためには「資本」というおカネが必要なのです。仕事をしたい、そのためには「資本」が必要だ、「資本は大事だ」という事になって、「資本主義」という言葉が生まれたのでしょう。
それなら資本を集めるにはどうしたらいいかとなって、広く大勢の人から集める「株式会社」、資産家からお金を預かって事業をする人に貸す「銀行」(資産を資本に変える)などが生まれ、経済は 発展し、資本主義は堂々たる『主義』になっていくのです。
では「新しい資本主義」というのは何でしょうか。
多分、岸田総理も、言葉に魅力を感じられたのでしょうか、「うん、いい感じ」と旗印に掲げられましたが、「新しい」の説得力、納得性についての意味づけまでは間に合わずに総裁選で掲げられたのではないでしょうか。
という事で、「新しい資本主義」を掲げるのなら、こんな意味のものにして頂きたいと思うところを、総理に先回りして考えてみたいと思います。
日本の政治が、国民にとってかなりスッキリしてきたような感じは受けますが、ますます多くの問題が錯綜して来ているだけに、一貫性のある政策を明示するには未だ時間がかかりそうです。
政治という権謀術策が絡まり合う中で多様な意見が出るのは当然なのかもしれませんが、政権党の中で、財政問題のように纏まりがつかなかったりすると、国民は戸惑います。
戸惑うというと些か気になっているのが、岸田総理の旗印「新しい資本主義」の本質が、なかなか伝わってこない事ではないでしょうか。
今月8日に「新しい資本主義実現会議」が3カ月ぶりに開かれたようですが、やっと4回目という事だそうで、些か間遠になっているようです。
マスコミによれば総理は「AIや量子技術など先端分野で世界をリードするように積極的投資を進める」との意向を示されたとのことですが、国民にしてみれば、そうした問題と「新しい資本主義」の間のギャップがどう繋がるのかが解りません。
もともと岸田総理の「新しい資本主義」というのは、安倍・菅時代の「新自由主義」という名で政府が勝手なことをやるという状況を正そうと、「正しい」資本主義という意味があるのではないかと国民は思っているのではないでしょうか。
そこに「成長と分配」という言葉が出て来て、「これは」と思ったのですが、今迄のところ労使に高めの賃上げ要請という事で、安倍・菅政権と同じようになってしまい、何となく旗印との目的や理念との繋がりが見えて来ません。
結局は「新しい」という「資本主義」についた形容詞が「何を意味するのか」が明確にされていないというところに根本原因があるように思われてなりません。
先ほど、「新しい」は「正しい」という意味を含んでいるとのではと書きましたが、それは「正しく」ないと困るからで、では、国民にとっては「正しいとは何だ」という事になります。
ところで、「資本」とは何だと言えば「おカネ」です。でも、お金持ちの人が持っているお金は通常「資本」とは言いません。「資産」というようです、「あの人は資産家だ」といいます。
それに対して「資本」というのは何か「仕事をするためのおカネ」という事でしょう。事業とか仕事をするためにお金がいる、事業の「元入れ金」「資本金」になるおカネです。
お金がなければ、種や苗、必要な材料も買えません。もちろん、仕事に必要な道具も仕事をする場所も確保できません。
仕事をするためには「資本」というおカネが必要なのです。仕事をしたい、そのためには「資本」が必要だ、「資本は大事だ」という事になって、「資本主義」という言葉が生まれたのでしょう。
それなら資本を集めるにはどうしたらいいかとなって、広く大勢の人から集める「株式会社」、資産家からお金を預かって事業をする人に貸す「銀行」(資産を資本に変える)などが生まれ、経済は 発展し、資本主義は堂々たる『主義』になっていくのです。
では「新しい資本主義」というのは何でしょうか。
多分、岸田総理も、言葉に魅力を感じられたのでしょうか、「うん、いい感じ」と旗印に掲げられましたが、「新しい」の説得力、納得性についての意味づけまでは間に合わずに総裁選で掲げられたのではないでしょうか。
という事で、「新しい資本主義」を掲げるのなら、こんな意味のものにして頂きたいと思うところを、総理に先回りして考えてみたいと思います。