民主主義の考え方の基本は「多数決」だという事は誰もが知っていることです。国や地方自治体、学校のクラスから市民のサークル活動まで、その人間集団として意思決定をする時は、過半数の人の賛成したものを選ぶのです。
その選択が、正しいか正しくないか、ベストか必ずしもそうでないか、これは大事なことですが、民主主義ではそれは問わずにメンバーの過半数の選択を是とするのです。
これは、基本的には多数は誤らないという考え方によると言えますが、もしその選択が良くなければみんなが気付いて決め直すという試行錯誤の余地も残したものでしょう。
そんな所が「民主主義は、時間はかかるが、結果的には最良の方法」といわれる所以でしょう。
民主主義の対局は専制主義、独裁主義で、優れたリーダーに任せれば効率よく早く良い結果が出るという方法ですが、リーダーが間違えたら取り返しがつかないのが欠点です。
この問題はさておき、今日の問題は、多数決という時に、自然人でない法人も、多数決の仲間に入れるのが妥当かどうかという問題です。
この問題を間違ってしまうと、最近マスコミを賑わせたように「法人が政治献金をするのも表現の自由だから、それを制限するのは憲法違反」などという意見が出てくることにります。
民主主義というのは、人間の「あたまかず」が、総ての基本になっている制度です。ですから、あくまで「自然人」が1人1票で、選挙という手段で物事を決めるという方式が採用されているのです。
法人は選挙に参加することはできません。選挙と最も関係の深い「政党」も元々は法人格のない任意団体でした。1995年に法人格が認められたのは、政党交付金の受け皿としての便宜的なものです。
つまり、民主主義というのは、あくまでも自然人一人一人をベースにして考えなければいけないもので、そこに法人という組織が入る余地はないのです。
所が法人の代表者が勘違いして、法人も人格が与えられているのだから意思決定に参加したいと考えて、選挙権が無理なら、カネの力で意思決定に影響を与えたいと考え政治献金をするようになったのが政治献金の始まりでしょう。
そうなると政党の方も、カネが欲しくなり、企業や団体の政治献金が一般的になり、政治とカネの癒着がだんだんひどくなるというのが結果のようです。
経団連会長が、経団連が政治献金をするのは社会貢献ですと言われました。本当にそう思われ、善意で言われたのかもしれません。しかし多くの人はそう思いませんから批判が出ました。
外国法人の政治献金は禁止されています。これは外国の企業が、日本の政治に影響を与える可能性があり問題だとの考え方によると聞いたことがあります。
ならば、日本企業が日本の政治に影響を与える可能性も問題でしょう。
繰り返しますが、民主主義は、あくまでよりたすうの自然人の意見によって、組織の運営、意思決定をするというのが基本のものなのです。