tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

豊後梅漸く開花

2022年03月12日 15時58分13秒 | 環境
天気予報通り 今日は随分暖かい良い日にになりました。
 、
遅咲きの我が家の豊後梅の蕾も、一昨日、ようやく開き始めたと思いましたら、今日、夕方西日を受けるころには写真にとってもいいほどになりました。



遅咲きというのは、梅の木の種類や性質によるのではなく、単に日当たりが良くないからです。

4メートルの道路を隔てたお向かいのお宅に、やはり豊後梅の木があって、毎年我が家より数日早く開花して、家内が「うちの豊後もそろそろですね」などと言っていたのですが、そのお宅が引っ越され、家は建て替えられて豊後梅の木はなくなってしまいました。

先行指標がなくなったようなもので、何と無く寂しいのですが、当の梅の木はそんなことには関係なく、季節が来ればきちんと遅めに咲いてくれるという事のようです。

今年は再来週にはもう桜も咲こうという事のようで、やっぱり温暖化は着実に進んでいるのかなと思われるところですが、「年年歳歳花相似たり」で、かつ「歳歳年年人も同じ」で花が見られる事は有難いと思いつつ、スマホで写真を撮ってきました。

偶々、バックの空が真っ青で、通りのうるさい電柱、電線も気にならない位置にトリミングできたので、まあ良かったと思っています。

2022年1月 家計調査、消費動くか

2022年03月11日 17時13分51秒 | 経済
今日、総務省より「家計調査」の今年1月分が発表になりました。

毎度書いていますように、今の日本経済の問題点は、政府が財政で支援しても、日銀が異次元金融緩和を続けても、個人消費支出が伸びて来ないということにあるようです。

ご承知のように、個人消費支出、活計調査では所帯単位の消費支出が調査対象ですが、いずれにしても、GDP統計をみれば、GDPの半分以上が家計最終消費支出ですから、これが伸びない事には経済成長率は高くなりません。

しかも、これが伸びないのは、今はコロナのせいもありますが、コロナがなかったアベノミクス時代もそうだったわけで、日本経済の痼疾のようになっているものですから、このブログでも長期にわたって、勤労者世帯の「平均消費性向」を中心にずっと追いかけているところです。

ところで、昨年の年末商戦もあまり盛り上がらずだった消費支出が1月に至って、少し動いてきたのかなといった感じが今回の家計調査で出てきたように思います。

1月の消費支出は、2人以上全所帯で実額287,801円で前年同月比で名目7.5%、実質6.9%のかなり大幅な上昇になっています。  
昨年の10月、11月、12月が、いずれも、前年同月比マイナスで-0.3%、-1.6%、-0.2%だったに比べると減少から増加に転じて、それも鬱憤でも晴らすように大幅増という所でしょうか。

消費支出の10大費目で見ましてもマイナスなのは水道光熱(公共料金)と教育(塾などコロナで休み?)の2つだけで、あとはすべてプラス、伸びが大きいのは交通通信(ネット・自動車関係費など)、教養娯楽などで、久方ぶりの増加です。

消費支出だけでなく収入と支出の両方の数字がとれ、収支の関係が解る2人以上勤労者所帯について見ますと、実収入は479,805円で名目2.2%実質1.6%と小幅ながら安定的な増加です。

これから税金や社会保険料などを除いた可処分所得は396,098円で消費支出はこのうち314,358円ですから、消費支出を可処分所得で割った「平均消費性向」は79.4%で昨年1月の77.5%より1.9ポイント高くなっています。

因みに一昨年の1月を見ますと78.9%ですから、昨年は下がりましたが、今年は一昨年よりも高くなったということになります。
   
一昨年の1月は、まだコロナをそんなに気にしなくてもいい状態だったことを考えますと、この1月は、個人消費の動向に何か変化が表れてきたのかという見方も可能かと思いたいところです。

勿論それはまだまだ今後の数字を見てからの話ですし、その後発生したウクライナ問題がまた家計の消費行動にも、経済全体にもマイナスの影響を持つのでしょうから、「平均消費性向」で日本経済の先行きを占うのも、当分は紆余曲折の中にあるという事になってしまうのでしょう。


「新しい資本主義」に命を吹き込め(続)

2022年03月10日 12時20分25秒 | 政治

岸田総理の掲げる「新しい資本主義」の「新しい」の意味を本気で考えてみようという事で、前回書き始めました。

岸田総理が、この言葉がいいなと思われて「新しい」と名付けたことを考えれば、その総理の直観を、多分総理はこんな意識だったのではないかと考えながら敷衍していこうという事です。

資本主義がおかしくなってきていることは多くの人が気付いていると思います。典型的なのがリーマンショックで、資本主義経済がいいと言っているうちに、資本の暴走であのようなことが起き、世界中が何年も苦労することになりました。
あの時は資本主義の終焉などとも言われました。

端的に言ってしまえば、資本主義と言っているうちに、それが「資本中心主義」になっていたのではないでしょうか。
人間が主人公ではなく、人間が資本に使われるようなことになると、資本主義は人間に災いをもたらすことになるようです。

勿論、資本はただのおカネで意思はありません、つまりは人間が「カネの亡者」になって、人間よりも金を大事にするようになるという事なのでしょう。

そうなるとこの世は資本が主人で人間は資本に使われる事になるわけで、今の資本主義は、そんな状態になっているのではないかという思いを持つ人も多くなっているのではないでしょうか。

恐らく岸田総理の心の中にはそうした人間と資本の関係が逆転した様な今の資本主義でない「新しい」資本主義でなければならないという意識があって「新しい資本主義」という旗印になったのではないかと思う所です。

ならば「新しい資本主義」は「人間が主人公の資本主義」「人間中心の資本主義」「人間に役立つ資本主義」「人間的資本主義」などということになるのではないでしょうか。

例えば、時価総額何兆円とか、何兆ドルとかといったことが企業の目標になり、マスコミがそれを大々的に報じ、会社の床の間には時価総額を書いた色紙が飾ってあるなどと言うのが本当の資本主義でしょうか。

「新しい資本主義」の目的は資本を大きくする事で終わるのではなく、そこには、企業として本来の目標があり、その目標のために資本を蓄積しそれを活用して社会の役に立つ企業になるというのが本来の姿で、そうした思想が本来の資本主義だったのでしょう。(前回参照)

そして企業の本来の目標というのは、蓄積した資本を活用して効率的な再生可能エネルギーの発生や性能抜群の蓄電システムの開発とか、コロナを心配しる必要のない医薬品の開発とか、そうした研究開発を短期間で可能にする超高性能のコンピュータの開発とか、といったものであり、それこそが人間のための資本主義でしょう。  

前回も書きましたが、久し振りで開かれた「新しい資本主義実現会議」で、岸田総理から  「AIや量子技術など先端分野で世界をリードするように積極的投資を進める」との意向が示されたとのことですが、進む方向は「人間のための資本主義」という事を明確にしているように思われます。

「新しい」の意味が、「人間のための」であることがはっきりすれば、岸田政権の政策は、全て合理的、整合的に説明され、加速前進するのではないでしょうか。

「新しい資本主義」に命を吹き込め

2022年03月09日 13時39分52秒 | 政治
岸田総理が「新しい資本主義」をかかげて総理に就任してから半年が過ぎました。

日本の政治が、国民にとってかなりスッキリしてきたような感じは受けますが、ますます多くの問題が錯綜して来ているだけに、一貫性のある政策を明示するには未だ時間がかかりそうです。

政治という権謀術策が絡まり合う中で多様な意見が出るのは当然なのかもしれませんが、政権党の中で、財政問題のように纏まりがつかなかったりすると、国民は戸惑います。

戸惑うというと些か気になっているのが、岸田総理の旗印「新しい資本主義」の本質が、なかなか伝わってこない事ではないでしょうか。

今月8日に「新しい資本主義実現会議」が3カ月ぶりに開かれたようですが、やっと4回目という事だそうで、些か間遠になっているようです。

マスコミによれば総理は「AIや量子技術など先端分野で世界をリードするように積極的投資を進める」との意向を示されたとのことですが、国民にしてみれば、そうした問題と「新しい資本主義」の間のギャップがどう繋がるのかが解りません。

もともと岸田総理の「新しい資本主義」というのは、安倍・菅時代の「新自由主義」という名で政府が勝手なことをやるという状況を正そうと、「正しい」資本主義という意味があるのではないかと国民は思っているのではないでしょうか。

そこに「成長と分配」という言葉が出て来て、「これは」と思ったのですが、今迄のところ労使に高めの賃上げ要請という事で、安倍・菅政権と同じようになってしまい、何となく旗印との目的や理念との繋がりが見えて来ません。

結局は「新しい」という「資本主義」についた形容詞が「何を意味するのか」が明確にされていないというところに根本原因があるように思われてなりません。

先ほど、「新しい」は「正しい」という意味を含んでいるとのではと書きましたが、それは「正しく」ないと困るからで、では、国民にとっては「正しいとは何だ」という事になります。

ところで、「資本」とは何だと言えば「おカネ」です。でも、お金持ちの人が持っているお金は通常「資本」とは言いません。「資産」というようです、「あの人は資産家だ」といいます。

それに対して「資本」というのは何か「仕事をするためのおカネ」という事でしょう。事業とか仕事をするためにお金がいる、事業の「元入れ金」「資本金」になるおカネです。

お金がなければ、種や苗、必要な材料も買えません。もちろん、仕事に必要な道具も仕事をする場所も確保できません。

仕事をするためには「資本」というおカネが必要なのです。仕事をしたい、そのためには「資本」が必要だ、「資本は大事だ」という事になって、「資本主義」という言葉が生まれたのでしょう。

それなら資本を集めるにはどうしたらいいかとなって、広く大勢の人から集める「株式会社」、資産家からお金を預かって事業をする人に貸す「銀行」(資産を資本に変える)などが生まれ、経済は 発展し、資本主義は堂々たる『主義』になっていくのです。

では「新しい資本主義」というのは何でしょうか。
多分、岸田総理も、言葉に魅力を感じられたのでしょうか、「うん、いい感じ」と旗印に掲げられましたが、「新しい」の説得力、納得性についての意味づけまでは間に合わずに総裁選で掲げられたのではないでしょうか。

という事で、「新しい資本主義」を掲げるのなら、こんな意味のものにして頂きたいと思うところを、総理に先回りして考えてみたいと思います。


「新しい資本主義」に命を吹き込め

2022年03月09日 13時39分52秒 | 政治
岸田総理が「新しい資本主義」をかかげて総理に就任してから半年が過ぎました。

日本の政治が、国民にとってかなりスッキリしてきたような感じは受けますが、ますます多くの問題が錯綜して来ているだけに、一貫性のある政策を明示するには未だ時間がかかりそうです。

政治という権謀術策が絡まり合う中で多様な意見が出るのは当然なのかもしれませんが、政権党の中で、財政問題のように纏まりがつかなかったりすると、国民は戸惑います。

戸惑うというと些か気になっているのが、岸田総理の旗印「新しい資本主義」の本質が、なかなか伝わってこない事ではないでしょうか。

今月8日に「新しい資本主義実現会議」が3カ月ぶりに開かれたようですが、やっと4回目という事だそうで、些か間遠になっているようです。

マスコミによれば総理は「AIや量子技術など先端分野で世界をリードするように積極的投資を進める」との意向を示されたとのことですが、国民にしてみれば、そうした問題と「新しい資本主義」の間のギャップがどう繋がるのかが解りません。

もともと岸田総理の「新しい資本主義」というのは、安倍・菅時代の「新自由主義」という名で政府が勝手なことをやるという状況を正そうと、「正しい」資本主義という意味があるのではないかと国民は思っているのではないでしょうか。

そこに「成長と分配」という言葉が出て来て、「これは」と思ったのですが、今迄のところ労使に高めの賃上げ要請という事で、安倍・菅政権と同じようになってしまい、何となく旗印との目的や理念との繋がりが見えて来ません。

結局は「新しい」という「資本主義」についた形容詞が「何を意味するのか」が明確にされていないというところに根本原因があるように思われてなりません。

先ほど、「新しい」は「正しい」という意味を含んでいるとのではと書きましたが、それは「正しく」ないと困るからで、では、国民にとっては「正しいとは何だ」という事になります。

ところで、「資本」とは何だと言えば「おカネ」です。でも、お金持ちの人が持っているお金は通常「資本」とは言いません。「資産」というようです、「あの人は資産家だ」といいます。

それに対して「資本」というのは何か「仕事をするためのおカネ」という事でしょう。事業とか仕事をするためにお金がいる、事業の「元入れ金」「資本金」になるおカネです。

お金がなければ、種や苗、必要な材料も買えません。もちろん、仕事に必要な道具も仕事をする場所も確保できません。

仕事をするためには「資本」というおカネが必要なのです。仕事をしたい、そのためには「資本」が必要だ、「資本は大事だ」という事になって、「資本主義」という言葉が生まれたのでしょう。

それなら資本を集めるにはどうしたらいいかとなって、広く大勢の人から集める「株式会社」、資産家からお金を預かって事業をする人に貸す「銀行」(資産を資本に変える)などが生まれ、経済は 発展し、資本主義は堂々たる『主義』になっていくのです。

では「新しい資本主義」というのは何でしょうか。
多分、岸田総理も、言葉に魅力を感じられたのでしょうか、「うん、いい感じ」と旗印に掲げられましたが、「新しい」の説得力、納得性についての意味づけまでは間に合わずに総裁選で掲げられたのではないでしょうか。

という事で、「新しい資本主義」を掲げるのなら、こんな意味のものにして頂きたいと思うところを、総理に先回りして考えてみたいと思います。

岸田総理が「新しい資本主義」をかかげて総理に就任してから半年が過ぎました。

日本の政治が、国民にとってかなりスッキリしてきたような感じは受けますが、ますます多くの問題が錯綜して来ているだけに、一貫性のある政策を明示するには未だ時間がかかりそうです。

政治という権謀術策が絡まり合う中で多様な意見が出るのは当然なのかもしれませんが、政権党の中で、財政問題のように纏まりがつかなかったりすると、国民は戸惑います。

戸惑うというと些か気になっているのが、岸田総理の旗印「新しい資本主義」の本質が、なかなか伝わってこない事ではないでしょうか。

今月8日に「新しい資本主義実現会議」が3カ月ぶりに開かれたようですが、やっと4回目という事だそうで、些か間遠になっているようです。

マスコミによれば総理は「AIや量子技術など先端分野で世界をリードするように積極的投資を進める」との意向を示されたとのことですが、国民にしてみれば、そうした問題と「新しい資本主義」の間のギャップがどう繋がるのかが解りません。

もともと岸田総理の「新しい資本主義」というのは、安倍・菅時代の「新自由主義」という名で政府が勝手なことをやるという状況を正そうと、「正しい」資本主義という意味があるのではないかと国民は思っているのではないでしょうか。

そこに「成長と分配」という言葉が出て来て、「これは」と思ったのですが、今迄のところ労使に高めの賃上げ要請という事で、安倍・菅政権と同じようになってしまい、何となく旗印との目的や理念との繋がりが見えて来ません。

結局は「新しい」という「資本主義」についた形容詞が「何を意味するのか」が明確にされていないというところに根本原因があるように思われてなりません。

先ほど、「新しい」は「正しい」という意味を含んでいるとのではと書きましたが、それは「正しく」ないと困るからで、では、国民にとっては「正しいとは何だ」という事になります。

ところで、「資本」とは何だと言えば「おカネ」です。でも、お金持ちの人が持っているお金は通常「資本」とは言いません。「資産」というようです、「あの人は資産家だ」といいます。

それに対して「資本」というのは何か「仕事をするためのおカネ」という事でしょう。事業とか仕事をするためにお金がいる、事業の「元入れ金」「資本金」になるおカネです。

お金がなければ、種や苗、必要な材料も買えません。もちろん、仕事に必要な道具も仕事をする場所も確保できません。

仕事をするためには「資本」というおカネが必要なのです。仕事をしたい、そのためには「資本」が必要だ、「資本は大事だ」という事になって、「資本主義」という言葉が生まれたのでしょう。

それなら資本を集めるにはどうしたらいいかとなって、広く大勢の人から集める「株式会社」、資産家からお金を預かって事業をする人に貸す「銀行」(資産を資本に変える)などが生まれ、経済は 発展し、資本主義は堂々たる『主義』になっていくのです。

では「新しい資本主義」というのは何でしょうか。
多分、岸田総理も、言葉に魅力を感じられたのでしょうか、「うん、いい感じ」と旗印に掲げられましたが、「新しい」の説得力、納得性についての意味づけまでは間に合わずに総裁選で掲げられたのではないでしょうか。

という事で、「新しい資本主義」を掲げるのなら、こんな意味のものにして頂きたいと思うところを、総理に先回りして考えてみたいと思います。

毎月勤労統計2022年1月速報を見る

2022年03月08日 15時57分45秒 | 労働問題
今朝、標記速報が発表になりました。
振り返れば2018年ですから、もう4年前になるのですがあの年の1月からこの統計の現金給与総額が対前年比で大幅に伸び始め、このブログでも賃金水準に変化が起きたと報告したことを思い出します。

結局それは、集計作業の誤りを訂正した結果だという事が後から解り、毎勤統計の不祥事問題として大騒ぎになりました。

ところで、この所の動きは、コロナの状況次第で、産業別の賃金や労働時間は影響を受ける状況ではありますが、年々の変化は大きい物ではなく、それぞれの産業企業が、目まぐるしく変わる経営環境の中でも出来るだけ安定した経営に努力し、賃金や労働時間にも大きな変化がないようにしている様子が解るような穏やかな動きになっているようです。

先ず賃金を見ますと、一般に正規従業員と言われる、毎勤統計では「一般労働者」ですが現金給与総額は昨年1月より1.2%の増加となっています。

昨年は1月早々から緊急事態宣言でしたが、今年は蔓延防止どまりでしたからその差かもしれません。

内訳は、所定内給与が0.5%増、所定外給与が5.0%増、特別に支払われた給与が8.1%増で、賃金のベースは余り上がらないのですが、残業代と何らかの形の一時金が増えて総額では1.2%増えたというところです。

パートタイマーの場合は、所定内給与が1.0%増で、総額も1.0%増です。正規従業員ンのベースアップより最低賃金の上昇率の方が高かったことの結果でしょうか。

労働時間の動きをこの1年で見ますと(全労働者)、所定労働時間は殆ど動いていない一方で、所定外労働時間はコロナとの関係でかなり動いています。

昨年は8月にデルタ型の第5波がピークでしたがその前の5月を中心に4月、6月の残業時間は一昨年の同じ月の15~25%も増えていました。
その後、急激に減少、年末にかけては5%程度の増加になっていますが、残業時間が多少とも増えているというのは、やはりデルタ株とオミクロン株の違いからきているのでしょうか。

1月の残業時間は前年同月比3.3%増ですが、今後は多少増えてきそうな感じがするところです。

もうひとつ、正規従業員と非正規従業員の動きに関わる数字ですが、正式には労働力調査で見るとして、この毎勤統計の一般労働者とパートタイム労働者合計の中での比率「パートタイム労働者比率」を見てみましょう。
2018年30.9%、2019年31.5%、2020年31.1%、
2021年1月31.2%、2022年1月31.5% 
この所殆ど動いていないような気もしますが、微妙な変化はコロナを反映しているのでしょうか。

独裁者の傾向のある人を見分ける方法

2022年03月07日 16時35分54秒 | 文化社会
世界の多くの国では独裁者の誕生を防ごうと、国のトップを選ぶ場合のルールを定めています。

任期は3年とか4年が多いようですが。在任期間は連続2期までというのが多いようで、例えばアメリカは任期4年で2期8年までとなっています。

ロシアはもともと任期4年で、3選禁止だったようですからアメリカと同じだったという事でしょう。

中國は任期5年で2期までと鄧小平さんの時に決めたようです。

ついでに日本の場合は、政権党の総裁が総理大臣になるので、ほとんど政権党の座にある自民党の総裁の場合、任期は3年で2期までということになっていました。

こういうルールを作るという事は、どんな立派な人間でも、最高権力の座に長くいると、どうしても独りよがりになって、「権力は腐敗する」という諺のようになってしまうという歴史の経験から学んだ知恵の結果でしょう。

ところが、ここに挙げた4か国の例の中だけでも、このところ、歴史から学んだ知恵を蔑ろにするケースが増えています。

確かにアメリカは、代表的な民主主義国家を自負する国だけあって、ルールは守られて来ているようです。(でもトランプさんは何となく危ない)

ロシアは、間に別の人を挟めば、再選可能という事だったようで、プーチンさんは、メドベージェフさんを挟んで再選され、その後4年の任期を6年に延ばし、計算方法は解りませんが、2036年まで大統領が可能という事にしたようです。

中國では習近平さんが、国家主席は2期10年までという憲法の条文を削除することを提案して終身主席が可能としているようで、今秋の党大会で、定年制を適用しなければ、3選可能という見通しが一般的になりつつあるようです。

日本の場合は、安倍総理が無理をして自民党のルールを変更、3選を可能にして、問題を起こしながら8年余在任しました。

こう見てきますと、一国のトップになった人にも2種類あって、任期を終えると後任に国政を任せ、引退する人、つまり、歴史の教える知恵を尊重して、自らの役割を客観的に見られる人が一方です。
もう一方は、権力に目が眩んで、自分の力で何でも出来るような気になり、その中で思いついた妄想を追いかけて、世の人々が客観的にみれば、とんでもない事を、正しいことだと錯覚して権力を悪用して追求する人がいるという事です。

この2種類の人間を見分けることは容易ではないのかもしれませんが、上の例から見ますと、トップになって、自分の任期を延長しようとする人は、恐らく世の中が客観的にみられず、歴史の教訓などには興味も関心もない人で、独裁者になる可能性の高い人だという事になるのではないでしょうか。

これは一国のトップだけではなく、権力と人間の、いろいろな場合にも応用できる事のような気がします。
(影の声:もうその時では遅いのではないですか!?)


人類はこの経験から何を学ぶか

2022年03月05日 10時57分17秒 | 国際関係

ロシアのウクライナ侵攻問題は世界人類社会を強い沈痛感を齎しているのではないでしょうか。

情報が世界に瞬時に行き渡り、世界人類が同時に同じ光景を目の当たりにできるこの時代に、このような事が起きることが異常だとほとんどの人が感じているのでしょう。

国連総会緊急特別会合のロシア非難決議の採決結果、賛成141、反対5、棄権35がその実態を示しています。
反対の5か国は、ロシアと、ロシアと関係の深い独裁政権の国々です。

ハッキリしていることは、ロシア事態でもそうですが、戦争をしようというのは国のトップに座る独裁者とその取り巻きに限られていて、一般市民の大部分は、ロシアの各都市で見られる「戦争反対」のデモが示しているように、戦争は嫌だと考えているという現実です。

こうして今、明らかになって来ているのは、今、世界で起きている混乱の多くは、その典型としての、今回のロシアのウクライナ侵攻に象徴される「独裁国」の存在であるという事でしょう。

そしてもう一歩進めれば、独裁国と言っても、国全体がそうした特殊な国なのではなく独裁者と、一握りの取り巻きグループが問題なのであって、国民の多くは、平和な日常を望む正常な人間であるという事ではないでしょうか。

今日の朝日新聞朝刊の「朝日川柳」欄に、☆印がついて「ただ一人 たった一人を 止められず」というのがありました。
プーチンでなく、ゴルバチョフのような人が大統領であれば、こんな事は起こり得ないと誰もが感じているのでしょう。

こう考えてきますと、ならば、世界の国々が、独裁者を生まない様にするという事が、大変大事になってきます。

今回の問題も、もし、ロシアがプーチンを大統領から降ろすことが出来れば、系決するでしょう。
しかし、独裁制国家というのは、国民が、そういう行動を取れないように仕組まれ作られているのですから、それは容易なことではないでしょう。

しからば「国連が」という事が考えられるのですが、今の国連に出来ることは、上述の「ロシア非難決議」が限界なのでしょう。
国連憲章があり、国際法があっても、加盟国の大多数の決議があっても、「強制力はない」のです。

これは、国連が「性善説」に立った、(警察力のない)ソフトな組織であるからでしょう。つまり、地球人類が性善説に立っているという事なのではないでしょうか。
そして性善説は、「悪」に対してはあまり強くないのです。

地球市民の持つ、知識、思想、文化が次第の高度化し、暴力を持って事を制するといったことが現実には起こりえないという人類社会を前提に出来ている「国連組織」は、独裁性という時代錯誤には、いかにも弱いという現実が、いま明らかになっているのです。

今率直に現状を見れば、ロシアのウクライナ侵攻という時代錯誤の暴挙を直接に解決する手段は、ウクライナの勇気とロシアの政権交代しかないという事のようです。

これは国連の試練であり、地球人類の試練でもあるのでしょう。性善説に立つ地球市民の知恵が試されているという事でしょうか。

米大リーグ労使交渉難航、開幕遅れる

2022年03月03日 15時23分19秒 | 労働問題
日本ではオープン戦が始まっているプロ野球ですが、アメリカの大リーグの方は、労使対立で話し合いがまとまらず、試合が始まらない状態のようです。

この辺りの問題は、基本的には日米の基本的な「モノの考え方」の違いから来るようで、開幕を待ちわびるファンは、全く蚊帳の外でやきもきでしょう。

大リーグの「労使」というのは「大リーグ機構」と〔選手会〕です。選手会は「賃上げ要求」をするわけで、「機構」の方はその防御という事でしょう。

労使協定は複数年で、これまでの協定は昨年12月に期限切れ、2月いっぱい迄には新協定締結というのが予定だったようですが、何せ、アメリカでは労使関係は対立的でなければならないという意識が強く、「機構」側は昨年12月にロックアウトを宣言していますから、選手は、球場や練習場などの施設には入れません。練習もできないのです。

争点になっているのは勿論先ずは賃金(年俸)の引き上げですが、先ず選手の最低年俸については、選手会側の要求が、72万5千ドル、毎年2万ドルアップ、機構側は70万ドル、毎年1万ドルアップという事で折り合いがつきません。

もう1つ難航しているのはCBT (競争的均衡課税=通称「ぜいたく税」)についてで、大リーグの球団が一定以上の年俸総額を払うと超過した額の2割をCBTとして納め、傘下の年俸総額の少ない球団に分配するという互助会のような制度です。
この年俸総額の上限を、選手会は2億6300万ドル、機構側は2億3000万ドルで折り合いがついていないという事です。

おカネに関係ないプレーオフ出場チーム数を10から12に増やすとおいうのは合意していますが、おカネの問題は難しいようです。

既に開幕が遅れるので、機構の方では、最初の5~6試合は中止という事にするとのことで、延期ではなく中止ですから試合数が減って、選手の年俸もその分減るという事のようで、これは選手にも痛手でしょう。長くなると大変です。
選手との契約手続きのストップで、FAなども進展がストップ状態のようです。

かつて日本でも、プロ野球でのストライキはありましたが(2004年「球音の消えた2日間」)、これはプロ野球の組織再編問題でした。

日本では、年俸問題が大リーグのようにこじれることはないようですが、そうした背景には、日本的な感覚「選手会も経営陣も、そしてファンも一緒になってプロ野球という文化、その組織が成立している」という事についての関係する人々の意識、無意識の配慮があるのでしょう。

アメリカ流の感覚では、利害関係が妥協点に達すれば、後はまたカラッと晴れて、ファンと一緒にプロ野球のプレーや勝敗に熱狂するというアメリカ流の文化となるのでしょう。
労使交渉が片付いて、なるべく早くその時期が来るといいですね。

物言う株主、経営者革命、日本的経営

2022年03月02日 16時22分11秒 | 経営

経済関係のマスコミでは、時折「物言う株主」という言葉が出てきます。最近は東芝が舞台になって、物言う株主が役員人事などについて意見を述べ、会社と対立しているようで、ネットや新聞にも出ています。

「物言う株主」とは、もともと「物言わぬ株主」という言葉があって、日本では、株主というのは、経営に対していろいろ言わないというのが普通だったところに、マネー資本主義の発展・盛行とともに、欧米から会社の株式を買い集めたうえで、会社の経営に口を出すいわゆるファンドが進出してきて生まれた言葉です。

今では日本でも欧米流のファンドが生まれ、外国に籍を置いたりして「物言う株主」を専門にやるところも出て来ているようです。

企業の経営というのは、歴史的に見ますと、初期段階では、カネを持っている人が出資して企業をつくり、自分が経営者になって、経営をやり、利益をあげて資本を増やす手段として始まったのでしょう。

そうしたオーナー経営者というのが会社の本来の形だったのでしょうが、もっと多くの資本を集めて早く会社を大きくしたいという事で、大勢の人に株式を持ってもらって、広く大きな資本を調達する方式が一般化し「大衆株主」の株式会社が生まれました。

大衆株主は、配当がたくさん来て、株価が上がればいいので、儲かりそうな株を買い儲からなければ売るという事で、経営に口を出すより、良い経営者の会社の株を買えばいいわけです。

経営は専門家である〔経営者〕にまかせていればいいと考え、経営には口を出さないのが(特に日本では)通例でした。

結局株式会社というのはそういうことになると洞察したのが、アメリカのJ.バーナムという学者で、『経営者革命』という本を書いて、「資本家経営者」の時代から、企業では次第に「資本家」と「経営者」は分離し、企業は、経営者という専門職によって経営されるようになるのだという指摘をして大変有名になりました。

しかしここ20~30年でしょうか、マネー資本主義が発展してきて、企業の経営などは面倒だからカネでカネを稼ぐというビジネス(マネーゲーム)が大流行になりました。

そうして生まれたのが「ファンド」でしょう。単純に言えば、儲かりそうな会社の株を買って、儲けたら売って、また別の儲かりそうな会社の株を買う、100株、1000株の売買ならデイトレでしょうが、もっと大きな資金で、大株主になり、大儲けを狙うというのがその神髄です。

法律的には、株式会社は株主のもので、大株主の意見は株主総会では最も重要です。そうした立場で、この会社はこうすればもっと儲かる、だからこうすべきだ、と主張する「物言う株主」の登場という事になるのです。

専門経営者としてその会社の経営を長年やってきた社長(経営トップ)と株の値上がりで儲けようという大株主の意見が食い違うと、『物言う株主』登場という事でマスコミの記事になります。

会社が順風満帆なら問題ないのでしょが、会社の経営が些か巧くないような時は、経営者がファンドの攻撃を受けやすくなり、有名企業だとマスコミがにぎわいます。

日本的経営では、企業は基本的に人間集団という意識が強いですから、その人間集団の中から選抜された経営者に同調(同情)する人が多いようです。

また日本的経営では、おカネにも出自があって、「額に汗したカネ」(モノづくりで稼いだカネなど)が本当のカネで、株の売買で儲けたカネなどは「あぶく銭」「浮利」などと蔑む意識があるので、「物言う株主」は仇役のように見られがちです。

どちらの意見が良い結果を生むかは「ケース・バイ・ケース」でしょう。

プーチンと「世界の世論・21世紀の良識」

2022年03月01日 13時42分54秒 | 国際関係
20年以上も独裁者の地位にいると、自分の周囲は自分に迎合する人ばかりなので、客観的な情報が入りにくくなったり、客観的な判断が出来なくなったりするのでしょう。

プーチンさんの頭の中は、旧ソビエト連邦が理想の姿として一杯に拡がってしまっていたのでしょうか。

一方21世紀の世界は、「核の抑止力」も大きなきっかけになって、戦争のない平和な暮らしの中で、経済を発展させ、国民の生活をより豊かでより快適なものにすることが国家の目的といった常識が次第に定着し、日本やシンガポール、ルクセンブルグなどに見るように、国の大きさや資源の有無、軍事力などが国の豊かさとは全く関係のない世界になって来ています。

所がプーチンさんの判断基準では、ウクライナが経済の発展を進めるためにEUに加盟するという事は、ヨーロッパがナポレオンやヒットラーのようにロシアに攻めてくる動きに見え、NATOはヨーロッパがロシアを侵略するための組織としか見えなかったのでしょう。

偉大な(?)アナクロニズム(時代錯誤)の持ち主のプーチンさんには、自分が旧ソ連邦の回復の願望を持っているように、ヨーロッパはロシア征服の意図を持っていると見えていた(今も見えている)のかもしれません。

今回の悲劇の根因は、こうしたプーチンさんのソ連邦の復活、それを果たした英雄としての賞賛・名誉といった独善的な希求だとすれば、「戦争は人の心の中で始まるものだから・・・」というユネスコ憲章の前文はまさに優れた洞察でしょう。

そうであればあるほど、プーチンさんの時代錯誤の思惑は、今日の世界の世論、そして、自らの足元のロシアの多くの国民の、恐らく、今ウクライナ戦線に派遣されているロシア軍兵士の心とも大きく食い違っているのではないでしょうか。

プーチンさんは、歴史的な同胞ウクライナの国民は、自分の意図に当然従うべきだと考えるのでしょう。
一方、前線の兵士の中にも、ウクライナに親戚知人を持つ人は多いでしょう。歴史的な同胞と、21世紀の世の中なのに、なぜ殺し合わなければならないのか、という感覚を持つ人の方が多いのではないでしょうか。 

既にプーチンさんは、戦争のない世界を作る大きなきっかけでもある「核の抑止力」を無視、「核の使用」についても、ロシアは、核保有の超大国として、その使用も視野に入れているという意識を、単なる威嚇と思いたいところですが、示しています。

こうした21世紀地球人類の「タブー」に、敢えて触れる発言をするという事は、プーチンさんの心の中には大きな「焦り」がある事の証左ではないでしょうか。

プーチンさんに、今、知らせなければならない事は、ロシア国民を含め、地球上の多くのの国も人々も、プーチンさんに「ダー!」(yes!)、 とは言っていないという事実なのではないでしょうか。
そして国連は今、それを「緊急国連総会」という形で、伝えようとしているのです。

「プーチンさん、あなたの思いが叶っても、あなたは英雄にはなれません」という事を早く分かって貰う事ではないかと思うところです。