tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

企業は本格的高齢化への対応整備へ

2024年01月13日 13時01分12秒 | 労働問題

人生50年でした、年功賃金、55歳定年制プラス退職一時金という従業員処遇制度は終身雇用制度として設計されたのです、などと外国人に説明ていた時代は歴史上の話となりました。

世界屈指の平均寿命を記録し続け、平和(戦没者無し)で安定した社会を築く努力を重ねている日本の企業では、戦後平均寿命の伸びとともに雇用制度の改革に種々の努力をしてきました。

もともと日本企業の考え方は、欧米流の「必要なときに雇い、要らなくなったら解雇する」という hire and fire の考え方とは違って、わが社という人間集団に入ったものは生涯面倒を見るという理念に立っていたのです。

変化は2つの要因から起きることになりました。1つは平均寿命の延伸、もう一つは社会保障制度の進展とその財政事情です。

定年制度は60歳に伸び、雇用努力義務は65歳という事になり、それでも間に合わない、というので、65歳雇用義務、雇用確保努力義務が70歳という事になっています。

こうした変更は、財源に不安のある公的年金制度との整合性を取るために決められているわけで、長期不況に悩まされて来た企業にとってみれば、雇用についての義務や確保努力を課せられるという負担の面を強く感じさせてきたようです。

ところがこのところ、企業サイドからの定年制、定年再雇用制度、それに伴う賃金制度の改革などの動きについての報道が多くなってきました。

目立つのは定年再雇用の際の賃金水準を、従来より高く設定するとか、job wage 対応にするといったものです。

こうした動きが出てきたという事は、企業が定年延長、再雇用などを行政から押し付けられてするのではなく、企業として、熟練労働力の有効活用、従業員に雇用安定意識を持ってもらい、高齢になっても安心して慣れ親しんだ職場で得意な職務に専念して貰えるというメリットに注目した結果であるように感じられます。

このブログでもすでに触れているところですが、定年再雇用などで、ベテラン従業員を閑職に異動し大幅に賃金水準を引き下げることがい一般化すような状態は、折角職場で鍛え上げた職務遂行能力の活用を年齢が来たからやめるという愚行だとみてきました。

これは勿論当該従業員にとっても極めて不本意なもので、そうしたモラール低下も考えれば、企業全体のパフォーマンスの低下でもあることは明らかでしょう。

そうした意味では、企業としても、長い年月をかけて育ててきたコストを十分回収しないで終わるという極めて勿体ない事をしていると言えるでしょう。

ところで、政府は「働き方改革」で、日本的経営を欧米流の職務中心方式に変えようと熱心ですが、企業の方は、新卒一括採用を辞めない様に、人間集団としての企業の在り方をやめませんから、企業として人を育て、育てた成果を確り回収するという人材の育成/活用計画のバランス管理は、高齢化時代を背景に、更に重要になるわけです。そしてこれは伝統的な人間中心日本艇経営の理念に通じるもののようです。

これは大きく見れば平均寿命の延伸、職業人生の長期化の中で、企業にも、従業員にも最適な雇用人事システムの模索の本格的な動きに通じるものでもあるわけです。

高齢社会のさなる進展は当分続きそうです。今後もこうした企業の動きに注目していきたいと思っています。


OECD日本経済報告書、適切な指摘多く

2024年01月12日 15時00分24秒 | 経済

OECDはこのほど日本経済についての報告書を発表、その機会にコーマン事務総長が来日、昨日都内で記者会見を開いています。 

OECDには専門分野を持つ日本人スタッフもいて、このブログでも時に引用する加盟国の経済統計など役に立つ情報を提供してくれています。

今回の報告書は経済の諸分野をはじめ人口問題、雇用問題、環境問題、など関係分野にも触れて適切な解説や助言などを含んで、日本として注目すべきポイントも含まれています。

その中でもいくつかの注目すべき点を取り上げてみました。

第1はコロナによる経済への打撃です。これについては、OECD加盟職に較べて、落ち込みは多少軽かったようですが、その後の回復が遅れている点を指摘しています。確かにマスクの取扱いや5類への移行について慎重だったという感じはありますが、回復のスピードは今後の政策次第でしょう。問題はこれからいかに頑張るかでしょう。

第二は金融政策です。OECDがこの所の物価上昇は一時的で早晩沈静とみているようです。これは当たりでしょう。その上で、金利政策について2%インフレを前提に、もっと早く金利政策の転換に動くべきだという指摘のようです。

確かに日銀は、賃上げが低い中での物価上昇なので、金融緩和を続ける必要を強く認識して来たようですが、早晩2%への正常化が予想されるのであれば、早目に金利引き上げに動いてもいいのではないかという政策論も成り立つでしょう。そうしてしていたらどうなっていたかを考えるのも大事かもしれません。

第三は財政赤字の巨大化の問題です。OECDは日本の突出した赤字財政は危険と指摘し、補正予算を安易に積み上げるのは良くない、原油などの輸入企業に補助金を出すの早くやめるべきで、必要な財源は消費税の漸進的な増税で確保すべきという考え方です。

これは日本政府のやり方、何かあるとすぐに補助金を出して票に繋げようとする事の不健全性を暗に指摘しているのでしょう。

原油が値上がりすればその分は末端価格に素直に反映させて国民がエネルギーの値上がりを実感し、対応を考えるという経済原則に沿った行動が重要という意味で、このブログでも安易な補助金は不適切と考えているところです。

財政の健全化についてはコーマン事務局長の記者会見で強く指摘しているようで、OECDの中でも突出した赤字財政には警鐘という所でしょう。

その他、高齢化と労働力の有効活用については定年制の問題なども取り上げていますが、これは日本の特殊事情ですから、日本自身が適切に誤りない対応策を取るべく努力している所でしょう。

嘗ては日本的経営に関心を持ち、プラザ合意以降は円高に苦しむ日本の実情を統計数字で示してくれたDECDです。

日本も積極的に協力しつつ活用できる組織として、その意見は真摯に傾聴すべきではないかという感じがします。


株価上昇はバブルの兆候、実体経済の重視を

2024年01月11日 14時35分05秒 | 経済

この所の日経平均の動きは些か異常ですね。大発会でご祝儀相場かと思ったら暴落、翌日から急激に持ち直し、その後は急上昇の一本調子、きょう11日には35000円を突破という上昇ぶりです。これで日本経済も回復などという意見もあるようです

昨年から、いずれバブル期のピーク38000円台達成も、といった声はありましたが、まあ話半分と聞いていた人が多かったのでしょうが、この所の勢いならと感じた人も多いかと思われます。

専門家筋の解説では、ダウ平均の上昇に対して日本は遅れすぎているとか、円安がプラスしているとか、昨日のダウの上昇を受けてとか、更には、NISAの枠が広がったので「貯蓄から投資へ」の動きが出たとか、その証拠には素人にも解り易いトヨタが上げたとかいろいろありますが、それにしても急ピッチです。

大体日経平均はダウの後追いとか、外国投資本の意向で動くことが殆どのようですが、今回もやはりそんな背景でしょうか。

昔は株式市場は実体経済の先行指標などと言われたものですが、今はマネーマーケットはマネー事情で独自に動くようですから、日経平均の急上昇が、これからの日本経済の順調な回復の先行指標などとはとても言えないでしょう。

いろいろ考えてみますとやはりアメリカ経済との関係が背後にあるような気がします。

今アメリカは不況感になって来たようです。なのに、FRBは金利を下げようとしません。お陰でドル高・円安です。おそらく、ドルの価値を高く維持したいのでしょう。

アメリカがドル価値を高いドルを目指す時は、アメリカがおカネを使うときです。外国から資源・材料などの物を買う、更に対外援助をしなければならない時はドル高の方が好都合でしょう。

アメリカにマネーが流入してくれないと、という事情もあるでしょう。このPCにもドル投資の勧誘広告が入ってきたりします。

日本のマネーがアメリカに流入する事はアメリカにとっても好都合でしょう。ちょうど日本政府も「貯蓄から投資へ」と宣伝しています。日経平均が38000円台を記録したバブル期、日本経済がバブル崩壊から立ち直りを見せたリーマンショック前を思い出します。

ここまで言うと、些か行き過ぎた観測と言われるかもしれませんが、そう感じさせるほどに、異常な日経平均の上昇です。

この動きがどこまで続くかはわかりませんが、いずれにしても、実体経済と関係ないバブルに入って来ている事は確かでしょう。

バブルは、始まるとまだ続くという心理状態を生み出すようですが、同時に、人はバブルは必ず崩壊するという知識もどこかに持っているはずです。

マネーの世界は結局は仇花の世界です。国民の生活を支えるのは矢張り実体経済です。具体的には実体経済の成長、賃金と物価の関係次第ですし、企業にとっては、株価や時価総額ではなく、実体としての生産販売活動がどれだけ伸びるかに依存しているのです。

政府も国民も、日経平均の急上昇を喜ぶよりは、実体経済の建て直しこそが重要という視点を忘れないでほしいと思うところです。


東京都区部消費者物価、2023年12月沈静傾向を示す

2024年01月10日 14時29分23秒 | 経済

消費者物価際数については例月20日過ぎの全国消費者物価の発表のデータを使って動向の把握をしていますが、今月は発表の早い東京都区部の消費者物価指数の発表(昨日)の2023年12月の数字を全国の先行指標として取り上げました。

このブログでは消費者物価指数の上昇が問題になった2021年からの消費者物価の動きを例月チェックしていますが、長い間、黒田日銀の頃から日本銀行が待望していた消費者物価の沈静が実現の段階に入るかどうかが最近の注目点でした。

この所の動きを見ている中で、そろそろ消費者物価の上昇もピークを迎え沈静に向かうのではないかとこの2か月ほど指摘して来ていますが、11月の東京都の区部の発表を見てピークは越えたという感じを強くしましたんで、あえて都区部の速報値を取り上げました。

結果は、下図の通りです。

    東京都区部消費者物価指数の対前年同月比の動き(%)

           資料:総務省統計局「消費者物価統計

例月の全国指数の場合と同様「総合」、「生鮮食品を除く総合」、「生鮮食品とエネ絵ルギーを除く総合」の3指標を取り上げていますが、因みに原指数の動き見ますと1年前の昨年2022年12月は104.0でそれからもじりじり上昇を続け2023年10月の106.8がピークとなった感じです。その後は11月106..5、12月も同じく106.5です。

総合指数はあまり下がっていませんが、前年同月上昇率を見ますと上昇スピードの鈍化がはっきりしています。

特に注目していますのは、緑の線の「生鮮食品とエネルギーを除く総合」の動きです。一昨年来の消費者物価の高騰はこの指数の上昇によるところが大きいのです。

この中身は、いわゆるコアコア部分で、加工食品、調理食品、飲料、調味料などからトイレットペーパーなどの生活必需品で、嘗て消費不振で値上げ出来ずに苦しんだ部門の一斉値上げによるものです。この部分が9月頃を境に鎮静化して来た事が大きいのです。

海外物価の沈静、下落傾向を考えますと、日本の消費者物価上昇も、いよいよ終わるという感じになってきたと感じる理由です。

海外物価の高騰が無ければ、またこれ以上の円安がなければ物価も徐々に正常化し、迫る春闘の賃上げも確実ですから、日銀のゼロ金利脱出、いわゆる出口政策が動くでしょう。さてそうなると、それによる、円高、コストアップの可能性はどうなのか、日銀の舵取りが注目されるところです。


平均消費性向2023年11月は低下

2024年01月09日 13時44分02秒 | 経済

平均消費性向2023年11月は低下

今朝、総務省統計局から「家計調査」の家計収支編11月分が発表になりました。早速勤労者世帯の平均消費性向を見てみますと前2か月は対前年比上昇に転じていたのに、残念ながらまたマイナスに戻ってしまっていました。

世界情勢多事多端の中でも、日本経済は長期不振だった消費支出の堅調で何とか元気さを取り戻してほしいと思っているところですが、消費者心理は揺れ動いているようです。

     勤労者世帯の平均消費性向(%)の動き

          資料、総務省統計局「家計調査」

消費の動きの大勢をを示す「2人以上世帯」の消費支出の動きは、マスコミの報道にもありまうように、対前年同月の実質消費支出の伸びは消費者物価の上昇で19カ月連続マイナスですが、一昨年あたりからコロナの終息もあり堅調さを見せてきました。

しかし昨年に入って消費者物価の急激な上昇を受けて節約志向に入ったり、堅調を取り戻したりの気迷い症状のようです。

11月は10月の生活関連物資の一斉値上げなどもあり、それでも頑張って消費を伸ばすかとみていましたが、年末を控え、少し節約かといったところのようです。

ただ11月には、消費者物価の動向が、これまでの上昇一途といったところから、これからは物価も落ちつくのではないかという感じへの変化が見られています。

更に、年末には今春闘についての昨年より高い賃上げという声が労使ともに聞かれ、金属労協や基幹労連大幅賃上げ要求基準設定などもあり、2024年の賃金上昇への期待感も高まっているようです。

11月のムードから年末にかけてのこうした変化で歳末商戦もそれなりの水準になったようで、基調的には消費意欲は腰折れしないという方向にあるように感じられます。

物価が少しずつでも沈静化していけば、平均消費性向は上がらなくても、実質消費水準は上昇しますから、これは家計にとっては朗報です。

10月までの生活物資の大幅上昇については、少し上げ過ぎたという反省もあるようで、消費不振を招かないようにと実質値引きのセールも見られるようになっています。これから年末年始にかけての物価と消費支出の関係から目が離せないところです。

気になるのは、毎月勤労統計では平均賃金は前年比1~2%の上昇ですが、家計調査の勤労者世帯の「世帯主収入」が名目値でも対前年でマイナスを続けている事で、これは小規模・零細企業の実態が含まれるためとみられますが、これも今後の注目点でしょう。


年末年始の行事と日本の食文化

2024年01月08日 15時48分42秒 | 文化社会

今日は成人式の月曜日です。祝日を月曜にもってくるハッピーマンデー制度で、成人の日が鏡開きより早く来ました。成人の日、海の日、敬老の日、スポーツの日の4祝日が月曜日になりました。3連休を楽しもうという趣旨でしょう。その結果、結構なことに、鏡餅が成人の日にも飾ってあります。

話が初めから横道にそれてしまいましたが、本題は年末年始の食べ物に関する行事です。年末年始の食べ物に関わる行事と言えば、

冬至にはカボチャを食べましょう

年の暮れには餅つきをしまし、鏡餅を飾りましょう

おせち料理も作りましょう

大晦日には年越しそばを食べましよう 

新年の三が日はお屠蘇(元旦)と雑煮で祝いましょう

おせち料理を食べてゆっくりしましょう

1月7日には七草粥を食べましょう

11日は鏡開き、鏡餅を割って食べましょう

日本の年中行事は健康を意識したものが多いようですが、この中で見ましても、冬至のカボチャは、冬になって野菜の摂取が少なくなるので黄緑色野菜の代表のようなかぼちゃでビタミンの補給を心がけます。餅をつくのは、正月はゆっくりと体も気分も休めるように保存食を用意し、神前にも備えます。おせちも日持ちの良い料理を纏めて作り保存の効く重箱に詰めるのです。

年越しそばは忙しい大晦日の夕食をファーストフードの蕎麦で済ますというのと同時に、江戸では白米食によるビタミンB1不足を補う意味もあったようです。

元旦の屠蘇は多様な薬草を含む健康願望の意味も大きく、1月7日の七草粥は、保存食の続いた正月の食事に新鮮な野草でビタミン補給と同時に、胃腸に優しい粥でという意味が大きいようです。

そんな伝統、年中行事、生活習慣があるので、欧米に比べて肥満が少なく、平均寿命が長く、高齢者の就業率も高くなっているのかもしれません。

ところで、鏡開きは神前に供えた鏡餅を神様のご加護とともに頂くのでしょうが、この頃になると、餅には青カビが出て来ます。この辺で食べないと、という知恵でしょうか、そこで落語を1つ。

昔の話ですが、林家木久扇が弟子だったころ師匠の林屋彦六に、カビの生えた餅のカビを削れと言われ、面倒くささについ愚痴が出て、「何でこんなにカビるんでしょうねぇ」と言ったら、師匠の彦六が一言「早く食わねえからだぁ」・・・。お後が宜しいようで、


喧嘩両成敗:日本の知恵

2024年01月06日 12時04分15秒 | 文化社会

ケンカ両成敗という言葉が日本にはあって、大変便利に使われています。

「お兄ちゃんが僕のお菓子を取ったから、僕はお兄ちゃんの本にマジックでバツ印を書いたんだ」というような兄弟げんかの時、親は「喧嘩両成敗ですよ。2人とも謝りなさい!」といて決着をつけるのです。

子供は両方とも、自分のやったことは「悪い事」だという事は解っていますから、それぞれに不満はあっても、それで納得してケンカは収まるのです。

この考え方を、日本以外の所で披露しても、なかなか理解されないようです。先に弟のお菓子を取った方が悪いとか、大事な本のマジックでバツ印などマジックは消せないのだからもっと悪い、と言い始めると収まるものも収まらなくなります。

ハマスとイスラエルの問題を見れば、仕掛けたのはハマスで、それを契機にハマスを殲滅するまで戦うというのがイスラエルです。そしていずれの側でも、関係ない一般人が多く犠牲になっています。しかし「両方悪い」という発言は聞かれません。

現実は「両方悪い」といった立場は取らず、主要国でも「どちらかを支援する」という立場をとるという事になるのです。その結果は、世界を二分する形になり、紛争はますます収まりにくくなります。

この違いはどこから来るのでしょうか。それは、日本の対立があれば融合・習合を考えるという伝統文化と、宇宙は神と悪魔の対立とする二分論の宗教・文化から来るという意見もあるでしょう。

しかし、文化や宗教の違いを論じてみてもそれで平和が訪れるわけではありません。少数の独裁者の意思で対立が起き、平和を望む多くの人が犠牲になるという現実は、人間社会の在り方としても極めれ不条理なものです。

現に国連は戦争を続けるべきではない、停戦こそが望ましいと言っています。しかしそれが聞き入れられないのは少数の独裁者の意識が二分論を信奉しているのでしょうか。

相戦う二分論のリーダーたちは、どちらも、自分は神の下にあり、相手は悪魔の僕だと信じているのでしょうか。それでは争いは絶えず、人類の繁栄を願う神の意志にも反するでしょう。

狭くなった地球、接触の機会の多くなった人間同士、平和共存の知恵の必要性はますます高まるでしょう。

そうした中で平和を願い、「戦争(喧嘩)そのものが悪」とする思想は世界のより多くの人々に共通な理念となっているのではないでしょうか。

そうであってみれば、日本人の育んできた知恵である「喧嘩両成敗」という考え方は、世界に平和を齎す重要な社会規範として、世界の文化の中に広め、広く共有されるように、日本としては積極的に努力すべきではないでしょうか。


天災と人災

2024年01月05日 11時48分44秒 | 文化社会

人類はその誕生以来、天災と戦ってきました。生存のためには多様な災害と戦って防いできたのでしょう。

地震や洪水、旱魃もあれば、猛暑や極寒もあったでしょう。地球上のどこに住むかも大事な問題で、住みやすいところを探して、ホームランドであるアフリカから南米の南端まで随分早く到達しています。

その他、これは天災というべきかどうか解りませんが、猛獣や毒蛇などの天敵も沢山いました。人間が蛇を嫌うのは、その時の思いが海馬のどこかに残っているからだという話も聞きました..

それから10万年単位の年を経て人間は、天災に対する防御の方法をいろいろと工夫し、改善進化させて、安心して平穏な生活が出来るようになって来たのではないでしょうか。

寒さや暑さ、旱魃や水害、地震や雷に対しても、治水や潅漑、地震に強い建築や避雷針など様々な天災に対して人間でなければできない技術革新を駆使して防御の可能性を広げて来ました。

 

そして人類は平穏に安全に、安んじて暮らせることになったのでしょうか。残念ながら、そうなっていないのです。

人間は、自分の手で災害を作りだすようになってしまったのです。それが人災です。人間の「競う心」が行き過ぎて「争う心」「戦う心」に変わった時、人災は起きるのです。

自分より優れた相手.がいたら、自分も負けないように頑張ろうと考えるのが「競う心」でしょう。それが、相手を倒せば自分が一番と考える時「争う心」が生れます。

小は個人的なものから大は国同士のものまで規模は拡大し、それに天災対応で進化した技術力を活用して大規模な破壊の実行、戦争という段階にも至ります。

歴史的に見れば、こうした形での人災は、技術革新の進展に合わせてますます巨大なものとなり、原爆の開発に至って「核戦争による人類破滅の可能性」まで言われるようになっています。

 

考えてみれば、人間とはいかに愚かなものかという感慨を深くします。当初天災の影響を最小限に食い止めようとして積み上げてきた技術を活用して、人間が人間に災害を及ぼす「人災」の規模を益々大きくして来ているのです。

天災、つまり自然災害が不可避でることは、人間はその発生以来の経験で熟知しています。そしてその防御に努力する事が最善と考えその結果が人間の生活の向上になって、人間社会を素晴らしいものに作り上げてきたのでしょう。

それをどこで間違えたのでしょうか、人間の手で作り上げたものを人間の手で壊すのが人災、就中「戦争」です。そして人災は怨念を生み、往々にして報復の連鎖を生んで永続化するのです。

 

今や人間にとって、天災より人災の被害の方が大きいのではないでしょうか。人間とはなんと愚かの者という感じを強くするのですが、人災を起こすのは、ほんの一握りの年限で、大多数の人間はその被害者です。

若し人災を起こすエネルギーを天災の防御に活用すれば、人災による被害ななくなり、天災への防御は一層高度なものになりうるのです。

 

この一握りの人たちの考えを正せば、人間社会はマイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに転換することで二倍のスピードで改善進化する事が出来るでしょう。

これこそが人間が今、自分たちの経験から学ばなければならない事ではないでしょうか。


イスラエルに民主主義の危機、

2024年01月03日 22時10分24秒 | 文化社会

新春早々イスラエルで民主主義の危機というニュースです。ハマスを殲滅するまで 戦争を続けるためには政府が独裁的な権力を持たなければならなという立場から、イスラエル政府が昨年7月に可決した最高裁の権限を制限する「司法制度改革法案」、は無効という判決を最高裁が下したのです。

つまり、この法案の通りになれば、政府が何をやっても立法府はチェックできないわけで、政府の独裁的地位を決定的にするものでしょう。

事は基本法(憲法)に相当するレベルの問題で、最高裁は判決文の中で、「司法制度改革法案」は、イスラエルの民主国家としての中心的特性に重大かつ前例のない打撃を与えかねない」と述べているとのことです。

近代国家では「立法、司法、行政」の三権は「分立」というのが常識と考えられていますが、イスラエルの批評家たちにも、裁判所の独立性を無視し、イスラエルの民主主義を駄目にするという意見が多く、国民の大半も反対で、大規模な抗議運動が起きているという事です。

この法案については、アメリカのバイデン大統領もアメリカとイスラエルの関係を危険にさらすものという見解を示しているようです。

ネタニヤフ首相は、ハマスとの戦争を国の総力を上げて行う事が必要といった説明をしているそうですが。ここから明らかになって来るのは、やっぱり戦争を好むのは独裁者なのだといいう現実ではないでしょうか。

国民の大半がこんな戦争はしたくないと思っているのに、「国の総力を挙げてハマスを殲滅したい」というのはネタニヤフの心なのです。そしてそれに反対するものは疎外する。これは独裁者の特徴です。

という事ですが、こうした独裁者をリーダ-として選ばない事が民主主義国家では可能な筈です。それなのに、そういう人を選んでしまっているのです。選んだ人の中でも、後から失敗だったと思う人も大勢いるのでしょう。

問題は、それを防止するためには、何が大事かです。例えば、このブログで書いている「民主主義のトリセツ」のような事をみんなが考えなければならないでしょう。

しかし、この努力を国レベル、つまり国民に全て任せるのではなく、国の在り方について人類の持つ最も高次の機関である国連が理論的な合理性とともに相当程度の具体性、解り易さを以って、世界に明示する事を実行すればどうでしょうか。

マスコミが報道するような、民主主義を揺るがすような問題が起きたとき、あるいは年に何回と決まった時期に、「地球人類の平和と発展のために、国民は独裁者になるような人をリーダーに選ばないように十分注意しましょう」というメッセージを世界に送る事を国連の行事化するのはどうでしょう。やってみて効果が無かったら、もっと良い方法を考えましょう。


有史以来の変な春闘、現実に気付く事が大切

2024年01月02日 13時01分25秒 | 労働問題

能登半島地震で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。自然は時に苛酷です。でも、皆様の復興の努力には必ず答えてくれることを願っています。

 

新春早々、日本経済の行く先を左右すると言われている今年の春闘についての経営側からのメッセージが報道されています。

経団連の十倉会長は、賃上げへの熱量と意気込みは去年に負けない、結果も必ず昨年以上となってついてくると思うという趣旨の発言を新春インタビューで述べています。

経済同友会の新浪代表幹事は、昨年暮れの連合の2035年までに最低賃金1600円以上を目指すという方針を意識してでしょう、最低賃金が2000円を越えるような経済を目指すと新春インタビューで発言しています。

もともと春藤は、英語ではspring offensiveと言われていて、経営側にとってはspring deffesiveですねなどと言われていたものですが、今年は攻守所を変えて、経営側からの賃上げへの積極的な意見が聞かれます。

労働側の要求に対抗して、経営側は過剰な賃上げないならないために防御態勢というのが世界共通で、日本も以前はそうだったのですが、この所は、経営側が積極的に賃上げをすべきと発言しています。

昨年もそうでしたが、主要企業などで、組合の要求に対し、満額回答というケースが多くみられますが、これは、企業の財務・収益といった見地から満額回答をしても問題ないという経営側の判断を示していると言えます。

今年は労働側の慎ましい要求基準に対して、経営側が積極的に賃上げをしようという意思表示という様相で、元日早々経営側発言が、賃上げは必要、昨年より高い結果を期待する、といった国際的に見ればまさに異常な労使の賃上げに対する意識の状況という事になっています。

何故こんなことになっているのでしょうか。理由は、経営側が、日本経済、日本企業の立場として、多少とも積極的な賃金水準の是正をした方が、日本経済にとっても、自社の経営にとってもいいのではないかという意識を持っているからでしょう。

その意味では、日本経済にとっての賃金水準のあるべき姿に、今の賃金水準は達していないという、経済分析、経営分析について、経営側の方がより速く、より正確に現状を把握しているという事でしょう。

一方、労働側は、長期不況の中で経営側と一緒に苦労してきた中で、無理な要求なしないという意識が強く、その感覚に未だ支配されているというように感じられます。

欧米労組の様に、労働側の代表として出来るだけ高い賃金を実現する事が役割で、経営者はそれを払った上で利益を出すことが役割といった労使関係とは違うようです。これは欧米の労働組織が産業別、職種別なのに対し日本は企業別という要素が大きいのでしょう。

つまり、日本経済、企業経営の現状は賃金水準を引き上げ、日本中の世帯がより大きい購買力を持ち、消費需要の積極的な拡大を必要としているという事に経営者の多くが気づいて来たという事に他ならないのです。

経済学者をトップに据えた日銀も、より多くの経営者が、それに気づいてくれることを願っているのでしょう。

その実現のためには、経営側には、国内のサプライチェーン(下請け構造)における付加価値の配分に公正を期する事も要請されます。これは経営側の重要な課題で、得にd最低賃金の引き上げのためには必須の課題でしょう。


2024年(令和6年) 今年はどんな年に?

2024年01月01日 11時33分05秒 | 文化社会

明けましておめでとうございます。

「去年今年 貫く棒の 如きもの」高浜虚子、連綿として、流れていく「時間」に区切りをつけるのは、人間の知恵でしょう。

多くの人は昨年を振り返り、今年はもっと良い年にしたいと気持ちを新たにするのですが、そんなことに関係なく世界のあちこちで戦争や混乱が続いてしまうという残念なことになってしまっています。

誰もが、こうした問題も今年は解決の年であってほしいと思いますが、どうなるのでしょうか。

このブログも出来るだけ早期の解決をと願いつつ、解決と同時に、今後こうして問題が起きないようにしたいという願いも込めて、皆様とともに考えていきたいと思っています。

特に、2つの大きな問題を追いかけなければならないように思っています。一つは世界共通の問題ですが、「独裁者」という存在が生れないような社会システム、基本的には民主主義の成熟によるものと思っていますが、それについての検討です。

もう1つは、これは現在の日本に特有な問題ですが、政府の努力では、どう頑張っても解決しない「自家製デフレ」を今年中には何とか終わらせたいという思いです。

共に市井の一老人の手の届く問題ではありませんが、日々流れてくる情報に一喜一憂しながら、選挙の一票のような感じで、一票も大事なのだと、皆様と一緒に考えていきたいと思っています。

何卒よろしくお願い申し上げます。