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「やりがい」を通じた籠絡  手話通訳者の超低賃金

2009-06-11 | まいにち
労働、社会保障政策の転換を―反貧困への提言 (岩波ブックレット)
遠藤 公嗣,木下 武男,布川 日佐史,本田 由紀,後藤 道夫,今野 晴貴,小谷野 毅,河添 誠,田端 博邦
岩波書店

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  通勤の電車の中で岩波のブックレットを読んだ。

  このブックレットの中で、「使い捨て」にいや気がさしてやめる若者がいる一方で、職場にとどまり続ける若者もたくさんいる。違法状態にさらされていたり、「使い捨ての雰囲気」を感じていたりしても、労働組合に入るでもなく、やめるでもなく、働き続けている若者も大勢いるだろう。こうした若者が働き続けるける理由は、諦念とそこに入り込む「自己責任」の論理だけではない。  「やりがい」だと書いてある。

  『一般的な話だが、高度成長以後、進行したサービス産業化と《消費者本位》の生産体制の浸透、そして感情労働化の進行が、労働者の労働意欲を増大させたということはよく知られている。

  典型的な事例は、看護・介護労働の場合だ。彼らのような対面サービス職に従事する者は、日々自らの感情を労働に向けて自己統制しつつ注ぎ込む。そうした行為は「すべて患者のため」という奉仕の意識を生みみずからの労働条件を顧みさせない』

と書いてある。 

  私はここまで読んで、自らの手話通訳活動について考えた。私たち自身が、あまりにも手話通訳者の勤務条件に無関心であったのではないかと。あたかもすばらしいことをやっていると思い込んで…。

   本当だ! そうなんだ!

  お隣の岡山では最近、ある自治体で手話通訳者の正職員化を実現したが、残念ながらこの広島ではそんな声を当事者からもとんと聞かない。それどころか「次は正職員化ですね」と声をかけられ「正職員になると転勤があるから非常勤のままでいいです」とお答えになった専任通訳者もおられるそうだ。残念なことだ。

  手話通訳士協会の役員を18年間やらせていただいたが、手話通訳士の知らないところで進んでいた手話通訳士関係の話がたくさんあったことに最近気づいた。

  たとえば通訳報酬が源泉徴収の対象となったときに手話通訳だけが例外となったのはなぜだろう。また、そうなっているということもほとんどの手話通訳士も手話通訳者も知らないのではないか?(恥ずかしい話だが、私もついつい最近まで知らなかった)

  医療機関の手話通訳士配置に対し、当時の厚生省が医療点数化しようとしたこと、

  ろう者の公正証書遺言の手話通訳が国は最初「手話通訳士」と考えていたのに、消えてしまいなんの基準も無くなってしまったのはどうしてなんだろう?

 

    自らの立つ位置をしっかりと見つめていたい。

  「人」は支えあう生き物だ と教えていただいたことがあるが、 一方が他方を必死で支えているだけでは どちらもがだめになってしまう。これはろう者と聴者の間でもいえることだ。

  お互いが支えあうのだ と 手話通訳者自身が目覚めない限り、頚肩腕障害も うつ病も これからまだまだ多発していくだろう。

 

  歩いていたら こんなブログがあった