海と森の
始まりは真っ新な白紙だから
自身が何より
出会えるかも知れない
未知のポエムに
或いは、エッセイに
或いは、初めての詩句に
胸躍らせて、wakuwakudokidoki
カリキュラム”自然”の扉を開ける
きっと巷の詩人も小説家も
太古から
その様にして輩出し
僕はその系譜の末端の
端くれとして存在している
それでも言語が使い古されないのは
言葉の海が永遠の揺蕩いと共に在り
言葉の森が幾重にも連なって
言葉のinochiを産み出すから
僕は七十年を費やして
まだ、汀の浅瀬に踵を浸しているだけだが・・
僕は古希を過ぎても
まだ、森の入り口を入って光の届く短さだが・・