降って来るもの

写真と散文とぽえむ

自思伝㈨ 喪失

2021-06-26 15:02:49 | 詩23 鄙の

自思伝㈨ 喪失

 

僕の一部だったものを今日,喪った

それは肉体的と

精神的の相乗の

鋭く尖ったpainを引き連れ,襲来し

その昼と,その夜を

支配した

 僕に抵抗の

 如何なる手段が

 有ったろう?

選択の余地は

慄きながら,唯,静かに

痛苦が免除される時間を

待つのみの

煉獄

 

人間は一人残らず,その様にして

生きる手立ての

一つ一つを

時を跨いで

奪取されてゆくのだ

periodが打たれるその日まで・・

 

anataも,勿論,bokuも

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第二章~三十一文字に惹かれて~

2021-06-26 06:08:21 | 随想

     我が青史~もう一つの道程~

         第二章

      三十一文字に惹かれて

 

 結婚、三人の吾子の誕生、子育て、別離の哀楽・・、仕事優先を貫いた30年余。それでも”詩を書かない事”或いは”詩が書けない事”の虚しさや喪失感を埋めるように、その空白期に短歌に魅せられる。三十一文字の緊張感と文字に含める情感の鋭さに惹かれ、日々の由なし事を”五七五七七”に綴っては新聞の文芸欄への投稿を重ねていた。

 1986 s61 3 大好きだった義父が僅か51歳という若さで急逝した。驚天動地、受け入れられない!その事実から己を奮い立たせる為と、膨大な無念を残して逝っただろう義父の御霊の鎮魂を切に願い、”百箇日”の法要に合わせて※挽歌百首を詠んで歌集「心に」を編み仏前にお供えする。

 平成元年に父が逝き、ふるさとの山中で独り暮らしを選んだ母が、20年というその後の長い年月を生き抜いて89歳の誕生日を目前に、2009 H21 8長く暑かった夏の終わりにこの世を去る。

   

 思えば、詩歌に堪能だったこの母から、僕は書く事書けることのDNAを間違いなく受け継いだのだ。情感が鎮まるのを待って、秋の終わりに”母に捧ぐ”とタイトルして※詩歌集「円ゐ」を編んだ。

    

    喪失

 

どんなに年老いても  

母親の存在が在れば   

僕はいつでも   

子供でいられたのだ

 

還暦を過ぎても

卒寿に近づいてゆく母親が

いつまでも元気で相対してくれると

疑いもなかったのだ

 

子供でいられるということは

何という幸せなことだったのだろう

瀕死の母の傍で

僕は

倖せに溢れていた時間を

反芻している

 

けれど

重く苦しい時間の足取りの

一歩一歩の道行きに

もはや喪失の悲しみが

べっとりと纏わりついて

二度と子供には戻れないという事実が

限りなく僕を項垂れさせる

それは

誰にでも等しく訪れるものだが

透明硝子の胸の中では

途方に暮れる旅人を襲う

行先の見えない絶望感なのだ

 

歩き出すしかない

立ち止まって蹲ってはいられない

 

新しい環境では僕が親なのだ

覚悟を決めて

親としての時間を紡いでゆくしかない

母が僕の支えであったように

これからは僕が子供たちの心に

その存在を定めるしかない

      H二十一年 八月三十日

 

 三人の子供達が無事に成人し、そこそこの安寧を得た2010 H22 6 己が還暦の誕生日を発行日と定めて、30年余の”短歌の成果”を一冊の歌集に纏めることにする。新聞投稿の長い歳月の期間に入選或いは特選として掲載されたUta凡そ200首を網羅して※詩歌集「道、なかば、」として残した。

 両親を見送り、子供たちの自立を見届けた2011 H23の誕生日。僕は再びポエムの世界に回帰して「再甦」とタイトルを付けた詩Ⅵを上梓する。

第三章へ    06/26 06:46 万甫

コメント (2)
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