今日は、昨日封切りされたばかりの映画「ひまわり」を新宿・武蔵野館に観に行きました。小さな劇場でしたが、珍しく、満席となり、定員オーバーの方は、午後の部に回されたようです。
映画は、沖縄本土復帰40周年の記念に作られました。しかし、制作実行委員会が呼びかけた多くの団体・個人の協力金で作り上げられたもので、映画会社やスポンサー企業もない、心ある庶民の力で作られたものでした。
ストーリー
激しい爆音とともに米軍のヘリが沖縄国際大学へ墜落した。事故現場を見た山城良太は、52年前の石川市(現うるま市)の空を思い出していた。良太は宮森小学生6年生で仲良しの、茂と豊と二年生の一平達と元気に遊び回っていた。新学期、担任の先生が転校生の宮城広子を紹介する。良太はほのかな恋心を抱いた。沖縄の青い空の下で、良太の家族も、一平の家族も、広子の家族も一生懸命に生きていた。1959年6月30日、突然、米軍のジェット戦闘機が墜落し炎上しながら宮森小学校へ激突した。悲鳴をあげながら逃げまどう子ども達、良太は広子を助けようとしたが、広子は大きな傷を負い息絶えていた。校庭には一平の変わり果てた姿があった。悲しむように花壇のひまわりが風に揺れていた。
それから53年目の2012年、年老いた良太(長塚京三)は妻を失い娘の世話を受けている。孫である大学生の琉一(須賀健太)はゼミ仲間と共に沖縄国際大学へリ墜落事件と宮森小ジェット戦闘機墜落事件をレポート活動を始めるが、頑なに事件の真相を語らない良太など、事件の傷跡は今も深く遺族の心を苦しめている。琉一はゼミ仲間と共に基地と平和を考えるピース・スカイコンサートを決意するが、恋人の加奈(能年玲奈)との不和など、コンサートを前に様々な問題が起きはじめる・・・
太平洋戦争末期の沖縄本土決戦で大きな犠牲者を出した沖縄県民は、戦争の終わったあとも多くの犠牲者を出しました。その一つが1959年の宮の森小学校への米軍機の墜落です。そして、2004年、沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落など、沖縄に基地があるが故の犯罪や事故が絶えません。
そんな沖縄の三代・四代にわたる悲劇を描いています。
私自身は、沖縄問題に一定の理解を持っているように錯覚していましたが、沖縄県民の抱える問題は私たち本土(?)の人たちの理解を超える壮絶なものでした。
映画を見て、自身の勉強不足を改めて恥じました。
今、危険極まりないオスプレイが沖縄に配備され、またいつ悲惨な事故が起こるかもしれません。そんな時だからこそ、ひとりでも多くの方に見てもらいたい映画でした。
映画は、沖縄本土復帰40周年の記念に作られました。しかし、制作実行委員会が呼びかけた多くの団体・個人の協力金で作り上げられたもので、映画会社やスポンサー企業もない、心ある庶民の力で作られたものでした。
ストーリー
激しい爆音とともに米軍のヘリが沖縄国際大学へ墜落した。事故現場を見た山城良太は、52年前の石川市(現うるま市)の空を思い出していた。良太は宮森小学生6年生で仲良しの、茂と豊と二年生の一平達と元気に遊び回っていた。新学期、担任の先生が転校生の宮城広子を紹介する。良太はほのかな恋心を抱いた。沖縄の青い空の下で、良太の家族も、一平の家族も、広子の家族も一生懸命に生きていた。1959年6月30日、突然、米軍のジェット戦闘機が墜落し炎上しながら宮森小学校へ激突した。悲鳴をあげながら逃げまどう子ども達、良太は広子を助けようとしたが、広子は大きな傷を負い息絶えていた。校庭には一平の変わり果てた姿があった。悲しむように花壇のひまわりが風に揺れていた。
それから53年目の2012年、年老いた良太(長塚京三)は妻を失い娘の世話を受けている。孫である大学生の琉一(須賀健太)はゼミ仲間と共に沖縄国際大学へリ墜落事件と宮森小ジェット戦闘機墜落事件をレポート活動を始めるが、頑なに事件の真相を語らない良太など、事件の傷跡は今も深く遺族の心を苦しめている。琉一はゼミ仲間と共に基地と平和を考えるピース・スカイコンサートを決意するが、恋人の加奈(能年玲奈)との不和など、コンサートを前に様々な問題が起きはじめる・・・
太平洋戦争末期の沖縄本土決戦で大きな犠牲者を出した沖縄県民は、戦争の終わったあとも多くの犠牲者を出しました。その一つが1959年の宮の森小学校への米軍機の墜落です。そして、2004年、沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落など、沖縄に基地があるが故の犯罪や事故が絶えません。
そんな沖縄の三代・四代にわたる悲劇を描いています。
私自身は、沖縄問題に一定の理解を持っているように錯覚していましたが、沖縄県民の抱える問題は私たち本土(?)の人たちの理解を超える壮絶なものでした。
映画を見て、自身の勉強不足を改めて恥じました。
今、危険極まりないオスプレイが沖縄に配備され、またいつ悲惨な事故が起こるかもしれません。そんな時だからこそ、ひとりでも多くの方に見てもらいたい映画でした。