広島は6日、雨の中で、アメリカによる原爆投下から69回目の原爆の日を迎え、平和祈念式典が開かれました。
私たちは、所沢市役所正面玄関前の被ばく石前で、所沢平和祈念式を行いました。
この被ばく石は、所沢市と広島市とが、非核・平和宣言をした友好都市を結んだ証として、広島市旧庁舎で被爆した敷石を広島市から寄贈されたものです。
この被ばく石には、次の言葉が刻まれています。
「この石は、広島市に原爆が投下されたときに、同市庁舎前の敷石としてあったものを本市の平和への限りない願いと世界平和の祈念のため、とくに広島市の御好意により、昭和59年2月に譲り受けたものです。次の言葉とともに・・・・。No more Hiroshima !」
しかし、今まで市は8月6日にさえ、何らのアクションを起こしてきませんでした。そこで私たち市民有志が、少なくても8月6日には、広島の悲劇を共有しようと、10年程前から、被ばく石前で「平和祈念式」を行ってきました。
今朝も、8時から被ばく石前に市内有志約80人が集まりました。
主催団体代表のあいさつです。
続いて、参列者が被ばく石に献花しました。
8時15分、NHKの広島平和祈念式典の放送の鐘の音を合図に1分間の黙とうをしました。
その後、参加者の発言がありました。
埼玉県被団協「しらさぎ会」のメンバーの方や被爆絵画会所沢実行委の方たちからも連帯のあいさつがありました。また、所沢市議会各会派からも何人かの市議さんの参加があったそうです。そんな中に、前市長も参列してくれました。願わくば、現職市長時代に「市としての取り組みをしてほしかった」と思いました。
こんな団体の連帯のあいさつもありました。
フクシマ原発事故告訴団所沢の会です。私は、今日、遅まきながらこの会に入会しました。
式の最後に、「原爆許すまじ」と「青い空は」の全員合唱です。年金者組合のうたごえサークルのメンバーが歌のリードをして、私のアコとHさんのギターで伴奏をしました。
ギター伴奏のベテランのHさんと一緒でしたので、伴奏も少し気が楽でした。
参加者も年々増えていますが、 安倍政権の秘密保護法の強行採決や集団的自衛権行使容認の閣議決定が、このままではいけないとの気持ちを強くさせているのでしょう。
来年は,100名の参加で、平和祈念式を行いたいと思っています。
私たちは、所沢市役所正面玄関前の被ばく石前で、所沢平和祈念式を行いました。
この被ばく石は、所沢市と広島市とが、非核・平和宣言をした友好都市を結んだ証として、広島市旧庁舎で被爆した敷石を広島市から寄贈されたものです。
この被ばく石には、次の言葉が刻まれています。
「この石は、広島市に原爆が投下されたときに、同市庁舎前の敷石としてあったものを本市の平和への限りない願いと世界平和の祈念のため、とくに広島市の御好意により、昭和59年2月に譲り受けたものです。次の言葉とともに・・・・。No more Hiroshima !」
しかし、今まで市は8月6日にさえ、何らのアクションを起こしてきませんでした。そこで私たち市民有志が、少なくても8月6日には、広島の悲劇を共有しようと、10年程前から、被ばく石前で「平和祈念式」を行ってきました。
今朝も、8時から被ばく石前に市内有志約80人が集まりました。
主催団体代表のあいさつです。
続いて、参列者が被ばく石に献花しました。
8時15分、NHKの広島平和祈念式典の放送の鐘の音を合図に1分間の黙とうをしました。
その後、参加者の発言がありました。
埼玉県被団協「しらさぎ会」のメンバーの方や被爆絵画会所沢実行委の方たちからも連帯のあいさつがありました。また、所沢市議会各会派からも何人かの市議さんの参加があったそうです。そんな中に、前市長も参列してくれました。願わくば、現職市長時代に「市としての取り組みをしてほしかった」と思いました。
こんな団体の連帯のあいさつもありました。
フクシマ原発事故告訴団所沢の会です。私は、今日、遅まきながらこの会に入会しました。
式の最後に、「原爆許すまじ」と「青い空は」の全員合唱です。年金者組合のうたごえサークルのメンバーが歌のリードをして、私のアコとHさんのギターで伴奏をしました。
ギター伴奏のベテランのHさんと一緒でしたので、伴奏も少し気が楽でした。
参加者も年々増えていますが、 安倍政権の秘密保護法の強行採決や集団的自衛権行使容認の閣議決定が、このままではいけないとの気持ちを強くさせているのでしょう。
来年は,100名の参加で、平和祈念式を行いたいと思っています。