北陸旅行2日目の行程で印象に残ったことを書いてみます。
◎ 輪島の朝市
ホテルでバイキングの朝食を食べた後、輪島の朝市に行きました。午前9時には、朝市に着きましたが、大変な人出でした。

試食のものをつまみ食いしたり、品定めをしたり、地元の方との会話を楽しみました。私は、「こんな場所では、食い歩きが似合う」と称して、甘酒を飲みながら歩きました。バイキングの朝食を少な目にしておいて良かったです。本来なら値引き交渉が楽しいのでしょうが、関西の方と違って、値引きなど口にも出せませんでした。

買い物袋を持った女子会です。「もっと、時間が欲しい」と言って、とても気に入ったようです。
◎ いつまでも残したい千枚田
白米千枚田に行きました。快晴。青い空、青い海、刈取りを終わった後の千枚田。実に見事でした。

聞けば、ここには、1,004枚の田があるそうです。でも、地元の農家の方で、農業としてこの田んぼを持っている方は、一軒のみだそうです。オーナー制と、ボランティアによる農作業で辛うじて維持されているようです。全国には、観光用の棚田として残されているところはいくつもありますが、やはり、ここが一番インパクトが強いと思います。
しかし、PTTが発効されれば、観光用の棚田は以外は、消滅してしまうような気がします。棚田が消滅すれば、里山は荒れ放題、「地方創生」どころではありません。PTTでこれらの田んぼをつぶし、片方で「地方創生」「一億総活躍社会」をブチ上げるアベ政権は、やはりおかしいと思います。
◎ 身近にあった志賀原発
能登金剛で遊び、千里浜ドライブウエイに向かう途中の志賀町の国道でこんなものを見ました。

走るバスの窓から写した写真です。これが、北陸電力の志賀原子力発電所です。3.11福島原発事故後、塀を5m嵩上げしたそうです。原発は海抜11mの所にあるが、5m嵩上げすれば、津浪対策は万全だと言っているようですが、いかにもチャチナな塀でした。
前の夜、ホテルで地元のテレビを見ていたらこんな画面が出ました。

毎日、志賀原発の状況を放映しているようです。この原発は、1993年運転開始をしたが、1999年6月に臨界事故を起こしています。事故原因は人為ミス、しかも事故報告を直ちにせず、情報隠しさえしていたそうです。2007年には、マグネチュード 6.9の能登半島地震も起きています。志賀原発の直下に活断層があるとの評価もあり、現在、2基とも運転を休止しています。場合によっては、このまま 廃炉になる可能性もあります。
(ガイドさんは、通りすがりに、この辺りの水田の水路は極めて整備されているのも、原発のお蔭かも知れない と述べただけで、原発を否定も肯定もしませんでした。上記のことは帰宅後ネットで調べたことです。)
国道沿いの町の近くに、当たり前のように原発があるのに驚きました。ひとたび事故が起これば、能登は全滅でしょう。
◎ 古い加賀山中温泉の街を歩く
この日は、山中温泉に泊まりました。開湯が、1300年と言う古くからの温泉でした。夕食後、温泉の街の散策に出かけました。街の中心は、共同浴場のある「菊の湯」当たりの様でした。男湯と女湯が別棟で建っている立派なものでした。

菊の湯の前には源泉があり、温泉玉子が作れるとのことでした。男湯の番台では、温泉玉子用の玉子も売っていましたので3個買いました。ザルに入れ、源泉に漬けましたが、出来るまでに、40分かかるというので、それまで街をブラつきました。からくり時計が午後8時を告げると人形がおどりだしました。山中座の芸能はすでに終了していましたが、見事な天井絵などを鑑賞しました。昔と違って、夜の温泉街は射的などもなく、閑散としていました。温泉玉子が出来上がるのを待ってホテルに戻りました。
翌朝は、5時半、ホテルを出て、鶴仙渓、こおろぎ橋、ゆげ街道と芭蕉ゆかりの街を散策しました。古い温泉の街を垣間見られてとても良い思い出になりました。
◎ 輪島の朝市
ホテルでバイキングの朝食を食べた後、輪島の朝市に行きました。午前9時には、朝市に着きましたが、大変な人出でした。

試食のものをつまみ食いしたり、品定めをしたり、地元の方との会話を楽しみました。私は、「こんな場所では、食い歩きが似合う」と称して、甘酒を飲みながら歩きました。バイキングの朝食を少な目にしておいて良かったです。本来なら値引き交渉が楽しいのでしょうが、関西の方と違って、値引きなど口にも出せませんでした。

買い物袋を持った女子会です。「もっと、時間が欲しい」と言って、とても気に入ったようです。
◎ いつまでも残したい千枚田
白米千枚田に行きました。快晴。青い空、青い海、刈取りを終わった後の千枚田。実に見事でした。

聞けば、ここには、1,004枚の田があるそうです。でも、地元の農家の方で、農業としてこの田んぼを持っている方は、一軒のみだそうです。オーナー制と、ボランティアによる農作業で辛うじて維持されているようです。全国には、観光用の棚田として残されているところはいくつもありますが、やはり、ここが一番インパクトが強いと思います。
しかし、PTTが発効されれば、観光用の棚田は以外は、消滅してしまうような気がします。棚田が消滅すれば、里山は荒れ放題、「地方創生」どころではありません。PTTでこれらの田んぼをつぶし、片方で「地方創生」「一億総活躍社会」をブチ上げるアベ政権は、やはりおかしいと思います。
◎ 身近にあった志賀原発
能登金剛で遊び、千里浜ドライブウエイに向かう途中の志賀町の国道でこんなものを見ました。

走るバスの窓から写した写真です。これが、北陸電力の志賀原子力発電所です。3.11福島原発事故後、塀を5m嵩上げしたそうです。原発は海抜11mの所にあるが、5m嵩上げすれば、津浪対策は万全だと言っているようですが、いかにもチャチナな塀でした。
前の夜、ホテルで地元のテレビを見ていたらこんな画面が出ました。

毎日、志賀原発の状況を放映しているようです。この原発は、1993年運転開始をしたが、1999年6月に臨界事故を起こしています。事故原因は人為ミス、しかも事故報告を直ちにせず、情報隠しさえしていたそうです。2007年には、マグネチュード 6.9の能登半島地震も起きています。志賀原発の直下に活断層があるとの評価もあり、現在、2基とも運転を休止しています。場合によっては、このまま 廃炉になる可能性もあります。
(ガイドさんは、通りすがりに、この辺りの水田の水路は極めて整備されているのも、原発のお蔭かも知れない と述べただけで、原発を否定も肯定もしませんでした。上記のことは帰宅後ネットで調べたことです。)
国道沿いの町の近くに、当たり前のように原発があるのに驚きました。ひとたび事故が起これば、能登は全滅でしょう。
◎ 古い加賀山中温泉の街を歩く
この日は、山中温泉に泊まりました。開湯が、1300年と言う古くからの温泉でした。夕食後、温泉の街の散策に出かけました。街の中心は、共同浴場のある「菊の湯」当たりの様でした。男湯と女湯が別棟で建っている立派なものでした。

菊の湯の前には源泉があり、温泉玉子が作れるとのことでした。男湯の番台では、温泉玉子用の玉子も売っていましたので3個買いました。ザルに入れ、源泉に漬けましたが、出来るまでに、40分かかるというので、それまで街をブラつきました。からくり時計が午後8時を告げると人形がおどりだしました。山中座の芸能はすでに終了していましたが、見事な天井絵などを鑑賞しました。昔と違って、夜の温泉街は射的などもなく、閑散としていました。温泉玉子が出来上がるのを待ってホテルに戻りました。
翌朝は、5時半、ホテルを出て、鶴仙渓、こおろぎ橋、ゆげ街道と芭蕉ゆかりの街を散策しました。古い温泉の街を垣間見られてとても良い思い出になりました。