2025年の万博が大阪に決まったと大阪府や政府は大喜びしているようです。時事通信のこの写真には、その気持ちがよく現れています。
でも、私は大阪万博には疑問だらけで素直に喜べません。私が一番心配するのは、万博とカジノがセットになっているような気がするからです。私の疑念を「東京新聞」のコラム「筆洗」や朝日新聞の社説が具体的に指摘していますので、これらを読んで、冷静に大阪万博につて考えてみてもらいたいと思います。
東京新聞 筆洗
<若き亜細亜(アジア)の黎明(しののめ)に命輝く新日本>。「日本万国博覧会行進曲」の歌い出しである。大阪万博の「世界の国からこんにちは」は知っているが、はて、そんな歌あったかと首をひねる人がほとんどだろう。一九四〇(昭和十五)年に東京で開催予定だった万博のテーマ曲のようなものである
▼紀元二千六百年の奉祝事業として、その一年に東京五輪、札幌冬季五輪、合わせて万博までやってしまおうという計画だった。大胆というか無謀である。果たして時局の緊迫化と財政難を受け、すべて中止となる
▼大阪市が二〇二五年万博の開催地になったのに縁起が悪いか。誘致はめでたい一方で、五輪や万博で活力、国際アピールという戦前からの古い発想がいつまで通用するのかと少々心配にもなるのである
▼二〇年の東京五輪・パラリンピック、続いて二五年の大阪万博とくれば、高度成長期のドラマの再放送を見る気分である。なるほど少し見たい。が、いずれも青春期の日本にふさわしい事業、物語であり今の日本にそれが似合い、本当に活力となり得るのか
▼経済効果二兆円。大阪を元気に。そう聞けば、成功を願うが、七〇年万博の熱狂を期待する方が無理だろう
▼テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」というのか。未来という言葉があのころに比べ、必ずしも魅力的に聞こえない。そういう難しい時代の万博である。
(社説)大阪万博 懸念に向き合ってこそ
誘致合戦に勝った。関係者はお祝いムードにあふれる。だが課題は多く、懸念も根強い。
2025年の国際博覧会(万博)が大阪市で開かれることになった。国内での大規模万博は1970年の大阪、05年の愛知につぐ。高度成長から人口減と高齢化へ、日本の状況が大きく変わるなかでの開催となる。
会場は、大阪湾岸部で造成中の人工島「夢洲(ゆめしま)」。70年代後半に埋め立て工事を始めたが、バブル崩壊で開発計画が塩漬けになり、08年夏季五輪を誘致して活用する構想もかなわなかった「負の遺産」である。
その夢洲での会場整備に1200億円強を投じる計画で、地下鉄延伸や橋の拡張など関連事業にも700億円超を見込む。国や経済界の支援はあるが、大阪府と市の負担は軽くない。入場料でまかなう予定の運営費を含め、住民にしわ寄せをしないことは行政の務めである。
心配なのは、博覧会の理念や構想の具体像がはっきりしない一方で、開催に伴う経済波及効果を強調する声が前面に出ていることだ。
2度目の大阪万博の標語は「いのち輝く未来社会のデザイン」。関西の産学が築いてきた生命科学の蓄積を生かし、急速な少子高齢化に直面する日本から社会課題の解決策を発信する。そう説明されるが、中身はぼやけたままだ。
万博誘致は14年、大阪維新の会の橋下徹・大阪市長(当時)や松井一郎・大阪府知事が、地元経済活性化への起爆剤として打ち上げたのが発端だった。維新との関係を重視する安倍政権が、20年の東京五輪後の景気維持策にもなると見て構想に乗り、昨年4月に閣議了解した。愛知万博は地元合意から閣議了解まで7年をかけており、あまりに対照的だ。
「経済」が先行する万博と一体で位置づけられているのが、カジノを含む統合型リゾート(IR)である。
大阪府・市は、夢洲の一角、万博会場の隣接地への誘致を狙う。地下鉄など万博に備える夢洲への交通網は、IRなくして利用者の伸びを期待できない。地下鉄建設費の一部をカジノ事業者に負担させる案もある。
カジノにはギャンブル依存症の患者を増やす恐れがつきまとう。「命」や「健康」をテーマに掲げる万博と矛盾しないのか。そんな指摘も出ている。
さまざまな疑問や懸念にしっかりと向き合い、説明を尽くし、納得できる回答を示す。大阪府と市には、政府とともにその責任が問われる。