僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2023/6/7)名曲はBon Jovi の It's My Life (Official Music Video)

2023年06月07日 13時44分31秒 | 名曲
Bon Jovi - It's My Life (Official Music Video)


5月末から耳鼻科に通っている。
長年の課題だった難聴。検査の結果、標準よりかなり下。
そこは補聴器専門の耳鼻科で、難聴の原因云々より、とにかく人との会話をスムーズにすることが先決だった。
一週間補聴器を試着し、その効果感想を昨日述べてきた。
うちの中だけで生活していれば我慢できると思ったが、夫との会話も儘ならない、突然入ってきた音にびっくりする、
音の区別がつかない、どこから鳴っているのかわからない、好きな音楽も聴けない、などなど、そして夫にもストレスを加えている。
最近は父のことで病院での説明会話、電話、実家の近所の方との会話、自分の地域の町内会の仕事など、家の中に閉じこもっていられない状況になった。
父にとって身内は私しかいないので、あらゆる病院に関連する用事は私にかかってくる。
それまで、父の又甥の奥さんや、隣の奥さん、父の友人(故人)の子供(50代)などに助けてもらった。
しかし、やはり最終的な責任者は私、という結論(なんのことかわからないかもしれないが、割愛)になってから
覚悟して、あれこれやってきた。
試着とはいえ、補聴器の恩恵を受けている。
これが今の時期、自分の耳だけで病院等の対応をするのは、自分を人間失格のような気持ちに陥る可能性がある。
この暑さだけには気を付けて一歩一歩進めていこう。
来週は別のメーカーの試着である。

耳鼻科の医師に言った。
壁掛け時計の秒針のチクタク音が聞こえ、うちの時計がそういうものだったとは、と改めて発見した。
ネコのモーさんの「ゴロゴロ」の音が聞こえた。これは嬉しかった。
ずっと何十年も猫たちが傍にいながら、いつのまにかゴロゴロが聞こえなくなりその存在を忘れていた。
他、外の騒音、夫との会話等の感想。

そして今日、音楽を聴いてみようと思った。
何がいいかな、あれかな、今流行っているのは「アイドル」なんだって、どれどれと聴いてみる。
ああ、メロディーがわかる。
そうか、じゃ、封印していた自分の好きな曲を聴いてみよう、と何時間も聴いてしまった。
これから頻繁に順に選曲していけばいい。
で、選んだのはこのボンジョヴィのこの曲。
前にも選んだなあ。でも好きだからなあ、やっぱりリビィンオンアプレイヤーかな、などと
思ってイッツマイライフのPVを観ると、あれ?この青年、
ブルーブラッド(海外ドラマ)のジェィミー役の人ではないかと検索した。あまりに若い時代だから
間違いかもしれずと思い。やはりそうだった。
というわけでこの曲を選択する。

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(2023/6/6)父の再入院。

2023年06月06日 16時16分35秒 | 両親のこと、入院のこと

これは約一カ月前に撮影。
新緑のプラタナス。私以外にも、太い幹にタッチしていく方が多数。
つい、タッチしたり抱擁したり、そんな思いにさせる大きな存在。

また一カ月くらい空けてしまうブログ。
父が3月末に入院したことを書いた。
そして4月22日に退院した。
肋骨を骨折し、肺に溜まった血を除去する手術をし、経過良好、元気に退院した。
その退院の記述がない。

退院してから、父は民生委員の方と今後の取り決めをする。
頭もクリアー、身体も足元が覚束ないがなんでも一人でやる父。
骨折の原因となったお風呂には、週2回、ヘルパーさんが訪問する時に入ることになった。
寝室は二階のベッドであるが、階段が危険なので、一階の和室に介護用ベッドをリースして置くことになった。
退院日に搬入した。
翌日、実家に行く父を乗せ買い物に。買い物にもこだわりがある父には口出しはしない。
牛タン弁当を食べて、さあ私たち夫婦の用事を足そうと帰宅の準備をすると、父が服を脱ぎだした。
これから風呂に入る、といきなり言う。
はあっ?いつ風呂洗いしたの?いつ沸かしたの?
「オレは、朝から風呂洗いをして水を溜め、沸かして今から入るから!」

もう初めから民生委員との約束を破っている。
私たちはここで帰るわけにいかない。
「何分、入る予定?」
「40分。」
早く言えよ、帰る間際になって素っ裸になるなんて。
一事が万事、こんな調子の父である。
人のことは考えない、人に一言、声を掛けない、自分の頭の中の時計で動く。
結局、入っている間、夫と待ち、風呂から上がれば、「タオル!」と横柄に叫ぶ。
不快な気持ちで実家を去る。

それが4月23日のことだった。
亡き母の命日(6月12日)は今年7回忌なので父はイベント的にやりたいが、身体が軽く動かないので
田舎のお寺に供養を頼んでいた。
11日が日曜なので、近所の方々のお焼香を目論んでいた。
平穏にそして慌ただしくその日を迎えるのだろうと思っていた。

5月18日、確かこのプラタナスを撮影した日。
私のスマホに早口の男の人の声。
救急隊の方だった。
父、転倒して頭を打つ、前回入院した病院に運ぶ、付き添いは隣人の方。
という内容だった。
またあの病院に駆けつける。

また続きは後で。
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(2023/5/15)町内の方の死。

2023年05月15日 10時53分15秒 | 日常、仕事、認知症

いつもの公園のプラタナスと桜の樹。

今日の空は曇ったり、雨になったり。

町内会の件で隣の奥さんが来訪。
引継ぎのことで。
話の途中、角の家の方が亡くなったことを聞かされた。
2年ほどになるそうだ。
私は何も知らなかった。
会話はしたことはないけれど、ゴミ出しの時など会えば挨拶をしていた。
自分が入院、退院してその間、コロナ禍もあり、葬式の形態も変わった。
私自身家に閉じこもって世間から遠ざかっており、どこかの家が取り壊されたのを見て初めて
知るようなものが多かった。
今回聞いたことは、聞くまで、ずっと健在だと思っていた。
夕方には玄関の電灯が着く。だから居るものとばかり。
センサーで着くようになっているのではと隣の奥さん。
カエルがたまにこの家の塀の隙間から出てくるのでいつもチェックしていた。
それが2年も、私は気付かなかったんだ。
もう、あの夫婦はいない。
しかし、家はそのまま立派に、植木もバラも咲いている。
さっきまで居るものと思っていたのに。
訃報の回覧も回ってなかった。
これは知らせるべきではないか。
以前は知らされていたような気がする。

近くの家は取り壊され、空き地になっている所多数。
家はあっても、門扉は入られないように置き石があるのも、不在、空き家の印のような所多数。
この町は老人たちが作ってきた町だ。
子孫が後を継がず、郊外に家を建て、この町の実家を空き地にして売っていくのが多い。
マンションだらけになっていく。
それをしみじみと感じていたこの2年。
自分が年を取っていくということは
周りの年配の方もそうだということを忘れがちな愚かな私。
死ぬことは日常。
それにしても、死は寂しい。


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(2023/5/12)愛しのリリーちゃんと再会。リハビリ散歩。

2023年05月12日 15時24分36秒 | ワンコ

数カ月ぶりにリリーちゃんに会う。
早朝。

私のことを覚えていてくれた。
私の姿を見つけた喜びを身体いっぱい表現してくれる。因って写真が上手く撮れない。
愛しいリリーちゃん、私はずっとリハビリ散歩をサボっていました。
すみません。

いつもの神社のつつじとシラン。
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(2023/4/11)'Once Upon a Time in the West' Dire Straits

2023年04月11日 07時59分28秒 | 名曲
'Once Upon a Time in the West' Dire Straits


久しぶりに好きな曲を紹介。

大好きだったダイアーストレイツの「ワンス アポン ア タイム イン ザ ウエスト」
カタカナで書いてみた。

さっき、中古のマンションの間取り図を見ていたら、築1984年という数字を見て、ああ、その頃の自分は・・・
と、懐かしく胸が締め付けられるようだった。
結婚して、仕事に夢中で、髪は短くて、娯楽は夫とコンサートに行ったり、音楽を聴いたり、二人の共通の宝物だった
ことを思い出した。
もし、自分の耳がまだ正常に音をきちんと把握できたなら、夫と共に一階のオーディオルームで音楽を聴いていたはずだ。しかし、私の耳はもう正確に音を聴き取れない。
頭の記憶の中にある歌い手の声を頼りに音楽を聴くだけだ。
すっかり音楽とは遠ざかった。
が、しかし、大好きだった曲はたくさんあるのだ、記憶の音、声を頼りにまた聴くと良い。

そして、この曲を選んだ。
70年代末の曲だが、独身時代、毎朝この曲を目覚ましにセットして、起きて仕事に行ったんだ。
そして、80年代になって結婚したあとに
夫と東京の日本青年館という所に彼らのコンサートに行ったんだ。
まだ日本ではあまり有名ではなかったけれど、2日続けてコンサートがあり浅草のホテルに泊まり
2日間通った。
そして、ダイアーストレイツはbigになり、存在が大きくなりすぎた。



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(2023/4/6)いつもの神社へ。父のこと。

2023年04月06日 11時02分41秒 | 両親のこと、入院のこと

昨日は曇天であったが、私のもう一つのパワースポットである、近くの神社に1月以来のお参り兼リハビリ散歩を
してきた。
桜の樹の本数は乏しいが、この神社にも桜の樹はあった。
もう散ってしまったのもある。

濃いピンクの枝垂桜である。
暗くて、ピンクが映えないですね。
夫の幼稚園のあった神社、そこを離れず何十年も暮らしている夫に、いつも自分の人生と比して、
「安定の家庭」「安定の人生」を感じるのです。
私が物心着き始めた富良野の保育所時代。ほぼ記憶になし。強烈な印象の出来事は今でも覚えているけれど、
それはまた別の話。その保育所時代から人生何転もするのだが、居住からして何十転もしている。
それと、夫の人生の居住を比較すると、笑うほどに私は忙しかった。知らず知らずのうちに、
ストレスとなって溜まっていたことだろう。
転校なんてストレスの最たるもの。それを何回も。社交的な、外交的な性格ならまだカバーできるが、
内向的、劣等意識を持つ自分にとって住む場所、生活する場所が変わるたびに皺が増えていったようだ。
いつもこの神社は、そのことに気付かせる。
良い場所である。
小さな神社である。

家事をしつつこれを書いている。
さっき、父から電話があったのだが、聞き取れない私の耳では理解できず、「私は何もしていない」と
頓珍漢なことを言うだけであった。電話もしていない、メールもしていない、病院には初日と手術日に行っただけ。
見舞金もまだ包んでいない。用意しているが、医師の呼び出しの時でいいだろうと思っている。
実家の冷蔵庫の整頓は、又甥のお嫁さんにお願いしてあるので、私は何もしていない。
何枚も書く書類の件は身内なのでやっている。
きっと誰からも連絡がなく、多忙な医師、看護師とは最低限の会話、威圧的な話し方の父は敬遠されるであろう。
勝手にしゃべって、勝手に切っていた。
メールは面倒のようだ。要望はその方が私には確実に伝わるのだが、文字打ちが面倒らしい。

一回更新しよう。





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(2023/4/5)桜満開。父のこと。

2023年04月05日 12時09分07秒 | 日常、仕事、認知症

昨日通院の帰りに、いつもの自分のパワースポットの公園に行ってみた。


プラタナスの白い肌と、細々とした枝。これから大きな葉っぱになる。太い幹にタッチ。


そのプラタナスの前の黒々とした幹の桜の樹。花。青空。

午後にまた出かけてみようと思う。
心が不安定です。

父が入院して1週間。面会禁止なので今の様子はわからないが、特に病院から連絡がないので、順調なのだと思う。
そういう約束にしている。市内でもうちから遠く、通うのにタクシー代が嵩む。
今後一週間のうちに、退院後の父の生活の仕方について話し合うことになっている。

父はどう思い描いているのだろう。

家族構成としてはうちは単純だ。
父。
娘の私。夫。

この三人のみ。

法的に、何かトラブルになるような人間関係でもない。
父が一人で何もできなくなったら、娘の世話になるか・・・という気持ちに傾くのが自然だろう。

しかし。
そうではない複雑な事情。

私は、10年ほど前に
遺産相続放棄している。
正確には、「させられている。」
父は、法定相続人、というのを嫌がっている。
なぜなら、法定通りなら娘の私に全てが行くから。
結婚して実家を出た私には渡したくない、というのが父の気持ち。
かと言って、
父の姓を受け継いだとしても、何かと理由をつけて私に行くことは拒否していただろうと思う。

以前にも書いたかもしれないが、
実家の傍には、父の甥の子(又甥というようだ)家族が住んでいる。父の田舎から大学進学、就職のために
仙台に出てきてそこで結婚し、子供もいる。
おそらく、父は色々なことを彼らに言い、将来的にこの家、土地はお前たちに相続させる、と言って
近くに住まわせたのだと思う。

私には常々、
「この家は又甥にやるから。彼らは直系だから。」
まるで、父が彼らの祖父、父のようなふるまい。
彼らには、田舎に父親母親がいる。直系はあちら。
父は、兄弟の末っ子。父が直系を名乗るなら、まだまだ直系を名乗る者がある。
父の屁理屈論理に付き合うつもりはない。

10年ほど前に、
有無を言わせず、実印まで押させて、「遺産放棄する」という念書を書かせられた。
母の死の際にもその念書は生き、そのままスムーズに父のものになっている。
母の形見というのは、札幌時代に着ていた黒いオーバーだ。
あとは、たまに着ていたTシャツくらいだ。大事に扱っていた黒いオーバーを見ると、
それが今でも通用するデザインで、虫穴もほつれもなく、何年も大切に着ていたなあと思わせる。
まだ着てはいないが、自分が生きているうちに袖を通したいと思っている。

そして、何より、自分が父の養子だというのが一番だろうと思う。
父の言う「直系」の意味がわかる。
血を引いているかいないか。
私は、法律的に娘ではあるが、父の血は引いていない。
血を引く、というのは肝心なこと、愛情の度合いも違ってくる。
ましてや、父と私は
そんなに親子の情愛を持って生活をしてきたわけではない。

(中断して、神社にリハビリ散歩してくる)













































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(2023/3/29)記事投稿/父の入院等。

2023年03月29日 08時20分04秒 | 日常、仕事、認知症
父が入院したために
また
私の生活が慌ただしくなりそうだ。
父の入院前日に、急に私の血圧が上がり、217/150、205/133、148/98という推移だった。
その次の日に、急に父の入院の知らせが入り、病院から帰宅まで、自分の血圧が上がるのではと
ドキドキしていた。そうなっては私まで入院騒ぎになる。

これから手術の為、また病院に行く。血圧計持参である。


投稿記事が2カ月以上なかったので、テンプレも地味なものになっており、こうして新たに
投稿する。
あ、何を書きたかったかと言うと。

3年前の今頃、姑の入院、転院、死去、愛すべき我が猫たちの相次いでの死去(昨日はナナの命日)、
心休まることなく日々駆け回った。
最終の病院の近くの川の大きな橋の上からの眺め、姑の入院が無ければこの眺めも知らないままに
生活していくんだ、と思った。
あの気持ちから、まさかの自分の入院になるとは、夢にも思わなかった。
あの気持ちからまだまだ出発できないままに3年が経ち、
こうして、ふりかかる出来事にまた慌ただしく生活することの不安。
上手く対処できるだろうか。
原因不明の血圧上昇が気になる。
あとでその前後を思い出し、原因を探ってみよう。
何しろ、退院して初めてと言っていいほどの200越えだったのである。
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(2023/1/26)久々の雪掻き。

2023年01月26日 14時16分11秒 | ネコ


今日は快晴である。午後の陽射しが雪を溶かしてくれる。
昨日は久しぶりに雪搔きをした。
雪が重くて近所のような綺麗な雪掻きにはならなかったが、左半身のリハビリを兼ねて
危なっかしく雪を運んだ。
夫の職場が北の方角なので、こちらとは景色が違う所に暗いうちから出かけていく。
その時が一番心配だ。
せっかちの夫とのんびり屋の私の対照的な性格。
ゆっくり、を心掛けてほしい。
仙台は、ちょうど良い冬である。
旭川の妹に連絡をすると、雪掻きが毎日大変なようだ。
私が北海道にいたころは中学生までだったので、本格的な雪掻きをしたことはない。
しかし、妹は腰痛を抱えて毎日しなければならないようだ。
寒さと雪の多さ。年を取って来ると本当に身体に響く。
妹一家がこちらに移住することを考えることもある。
娘の一人が仙台のファンなので、先日もこちらの神社のお札を郵送で購入したようだ。
伊達家、片倉家の研究を趣味でしている。一人で仙台の図書館を目的に来仙することもある。
いやはや感心する。彼女の行動力にいつも脱帽。


モーさんやトモについて。

昨年の夏以来、うちのネコとして迎え入れたモーさん、年末年始を通院しながらうちのネコとして夫の布団の中や、
私のベッドの上で寛いでいた。
二階のトモと過ごし、トモの頭の刺激に一役買ってくれた。
そして
今年に入って、階下にいるケナガ、ナナコと一緒に遊ぶことを覚えた。
一階の和室と廊下それに通じる夫の部屋で3匹でダッシュで遊んでいるのである。
その音に更に刺激されて、トモも階下に降りて食堂にやってくる。
今まで、一階に降りてくるというのはほとんど皆無。
二階にいたシンノスケやヒカルたちと過ごすことが彼女の人生だった。
それが一階におそるおそる、否、図々しく降りて、ゴハンの催促をする、他の部屋を冒険してみる、
サンルームなんて入ったことのない16年、入ってくる。
モーさんにつられて自分の意志で行動している。
それが嬉しくてね。

モーさんはモーさんで、トモとはじゃれ合うということはできないから
下の2人と互いに獲物のようにして暗闇や筒テントの中で狙い合う。
ケナガは喜んで夫の部屋で跳んではしゃぎ、廊下をドリフトするのが好きそうだ。
わざとジャリジャリと音を立ててドリフトしている。

ゴハンの時は二階でトモと食べるのだが食べた後、いないなあと思い
下に行って見ると、ナナコと一緒に丸いベッドの上で寝ているのである。
それぞれ、少し前と違った行動が見えてくる。


陽射しに当たって寝ているモーさん。
明日もう少し温かくなってほしいね。









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(2023/1/1)平和でありますように。

2023年01月01日 20時44分32秒 | 日常、仕事、認知症


あけましておめでとうございます。
正月からブログに向かうというのはとても良いこと、と自分の姿勢に感心しています。

今日は実家に父の知人家族が集まる日。
その前に
朝、元朝参りに夫と共に歩いて出かける。
私のリハビリ散歩コースの1つである神社へ。夫の通った幼稚園があった神社である。
昨年もその感慨深い思いを書いたような気がする。
本来ならもう少し先の大きな神社にお参りしていたが、私の足では斜面は危険なので
平地にある、程よい距離のいつもの神社へ。

そこでの祈りは
やはり全ての命あるものの平和である。
自分の身近な者たちだけではなく、世界の隅々までの、今生きているものたちが一年平穏に過ごせるように、
と漠然とした言葉であるが頭によぎる。

そのあと、夫と共に帰宅するのだが、その道すがら、とある路地の前で
「この路地、行ったことある?」と夫に聞くと
「行ったことがある。」と答えた。
生まれた時から離れたことのない、この界隈の「主」(ぬし)のような夫は、小さいころか中学生辺りか
通ったことがあるようだ。
私もこの界隈に住んで何十年も経てば少しはわかるのだが、しかし、入ったことのない路地は幾つかある。
迷うように入ってみた。そこに住む人々は毎日通る道なので、私の高ぶった感情は理解し難いと思うが、
とうとうこの路地に来てしまった、と興奮しながら眺め眺め歩いた。
夫は路地の入口で待つ。
またもきっと、「怪しい奴、と思われているぞ。」と言うだろう。
カエル探しの時の私の恰好がまさにそれだったから。

うちの前の路地とは雰囲気の異なる静かな路地であった。
広い庭を持った家はもう誰もいない、というのがわかった。
この界隈はこうして空き家、空き地になり、やがてマンションが建つのであろう。
せっかくのお屋敷のような立派な建物があっても、そこを継ぐ者なければ、どんどん売地となっていくこの辺。
やがて、私たちにも遠くはない未来に、この問題が出てくる。
感傷的に、空き家となった屋敷を眺めているけれど、今この年齢になって、家は大きく建てるものじゃないなあと
つくづく思っている。
若い時は、あれやこれやと部屋を夢見て建ててはみたが、
今、自分の寝ている所は、二階の居間だし、独立的な勉強部屋の自分の部屋は全くと言っていいほどに
利用していない。暖房も切ってしまった。
ここで一日のうち何時間も過ごしていたんだ、と退院したてのころ眺めた。
ここに寝ていたんだ、今は考えられない、猫のいる、にぎやかな、明るい、ゴチャゴチャした居間がいい、
一人はいやだ、と思って居間にベッドを置いたんだ。
夫は自分の部屋を大事に使っている。休み毎に音楽を聴いたり、何か作業をしたりと。
まだまだ、夫の気持ちは私より若い。

最初で最後の、この路地の歩き、こうなっていたのか・・・と漸く納得できただけでも収穫である。
いつかまたこの気持ちを書いてみよう。

実家に。
父は隣の家にいた。
去年と全く同じシチュエーション。
皆で行く、と知らせているのに、留守にして隣の家にいる。
あれ、去年もそうだったのではないかと。

皆と話していると、
大きな声で笑い、初笑いができてよかった、と思った。
愛想笑いじゃない、本当の大笑い。久々である。

そして自宅に戻ると
トモに変化。

食事の時に、身体を起したり、顔を上げてゴハンを待っている様子が戻ってきた。
それまでは、伏したままエサを手の甲につけて舐めさせたり、水も私が運んで飲ませたり、
トイレも抱えていったりと老人のようになってしまい、年齢だから仕方ないと思っていたが、
左後ろ足を引きずる姿に注目した。
元気の無くなる前日に、私のベッドの下で、ナナコとトモが喧嘩したのだ。
それは、唸り声とかではなく、
私は、具合の悪かったモーさんと横になっていたのだが、急にベッドが音を立てて揺れたので、地震かと思った。
モーさんも驚いて起きた。無言の取っ組み合いになったようだ。
慌ててナナコ、トモ2匹、階段を降りていく姿を見る。
それで足をぶつけたのかそのあと、ふさぎこんでゴハンを食べなくなり、排便もなくなった。
すると痩せていく。足腰の筋肉が弱る。
何が原因なのかわからなかった。
足をひきずる姿で、あ、あの時の・・と原因の一因になったのではと思った。
痛かったのだ。すぐに引きずってくれればすぐにわかったのに、一切動かないから、わからなかった。
今日あたりの身体の動きで、回復に向かっているのがわかった。
そして排便も少しあった。一週間以上だ。
写真に撮る。明日、先生に見せるため。

元朝参りのご利益、
大きい声で笑い合ったこと
トモの回復の兆し。
有りがたし。

実家に出かける前、陽射しの中で寝そべるモーさんとトモ。









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(2022/12/30)トモの様子/お墓参り

2022年12月30日 20時06分54秒 | 日常、仕事、認知症
モーさんは、夫の布団の中に入って、夫とともに寝ています。

トモは、ほとんど食べていません。
足元ふら付きながらも水は飲みに行くので、水分だけでも補ってほしい。
一階で作業をしていた間、夕方、自らトイレに行ったようです。
私が抱きかかえて誘導しなければならない状態半分。
でも一人で行ったようです。
少しゴハンをやると、今までよりも頭を上げて皿の餌をなめ始めました。
ほんの少しではあるけれど、胃の中に食べ物が入って落ち着いたのか
手足のグルーミングをし始めました。
希望が持てる姿。

今日はお墓参りに。
8時半頃の山の上のお墓は、斜面はザクザク霜柱が残っていて、私のような足では危険。
杖を持っていって正解。
最近は、買い物に杖は持っていかないようにしている。
が、人のいない、気温の低い山の中は杖は必須。
冬枯れの山の中の墓に正月用の飾り花を添えて、鮮やかな色が冷え切った墓人の心を温かくしているようです。
もう誰も訪れない、夫の母親の先祖の墓にも行き、温かいお茶も供える。
私たちが元気な限り、通える限り、訪れよう、といつも思いつつ去る。
これから年始にかけて墓参する人たちが増え、ところどころの鮮やかな花々が訪れる人を安心させる。
正月だから、派手な色の方が賑やかだ。

今作業の小休止の時のブログです。
これからまた作業。
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(2022/12/29)久々のブログだ。

2022年12月29日 22時16分04秒 | 日常、仕事、認知症


今、この時間のモーさんの寝顔。

おそらく、もう誰も見ていないかもしれませんが、
乏しくなってもブログを辞めるということは考えていないので
何かをきっかけにまた書けるようにしたいと思います。

自分の身近な問題として
現在、愛するトモが危篤というのがあります。
年末。病院は閉まっていますね。
小康状態を保ちつつ年明けの2日に病院に行く予定です。
先生がそのようにしてくださった。
色々と検査をしましたが、これ、というのが判断できず。
モーさんもその前に、具合悪くして20日くらい辛かったようですが、回復しました。
トモも時間がかかってもいいから、モーさんのように元気になってほしい。
が、16歳の高齢。でも頑張ろう、互いに。

仕事していないのに、年末忙しい私は、何だ。
順序立てて行動できない、動作が鈍い、人一倍時間が掛かる、等。
よって、メモ、メモ。
明日は、お墓参りの予定。正月の花を飾ってこよう。
夫は今日から休み。嬉しい。
ずっと一人で、言葉も無く一日夫の帰りを待つ身だったから。
猫たちが、たまに会話の相手になってくれる。
独り言もなるべく大きく言うようにしている。
声を出さなきゃ。




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(2022/10/19)記事を載せないと。

2022年10月19日 09時44分47秒 | 日常、仕事、認知症
ブログ、放置である。
久々に見ると、テンプレートなど変更になっていたりしている。
気候の良い今日、猫たちの写真を。




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(2022/8/14)学生時代の話を思い出す。大岡昇平。教授。

2022年08月14日 21時30分36秒 | 文学/言葉/本




昨日ケナガとナナコが一緒にいる所の写真が撮れたので。

夫が一階の和室で寝転んでテレビを観ていると、ナナコがその横に。そしてケナガもやってくる。

夜の8時にはもう夫は寝ていて、夜中2時ごろ起き、音楽を聴いている。
休日はいつもそのように過ごしている。

今日もちょっと出かけた。
お昼には夫がマックを食べたい、と言うので何年ぶりかに買う。
数年前は私の仕事帰りに近くのマックでたまに買っていた。
それをしなくなって数年。
退院後の食生活等すっかり変わった私は、マックもモスも全く食指が動かなくなった。
夫はそういうのが好きで久しぶりに食べたいとなった。
明日はケンタッキーである。
夫の休みはこのように普段食べていないものを食べるようにしている。
ところで、夫、チーズが嫌いなので、チーズ抜きのマック3つである。

その車中、こんな話をした。
私の大学時代の話。
もう昭和の50年代の、古ーい時代の話。
マックに向かう途中にお寺街の中を通るのだが
お盆のお寺の賑わいを見つつ、ふとあるお寺のことを思い出した。
場所もその辺りだと思う。
このお寺と富永太郎という詩人の繋がりがうろ覚えだった。

大学時代の大学祭か何かの時に
大岡昇平が来校したような気がする。
何しろ何十年も前の話なので、全てうろ覚えである。
「群像」に大岡昇平の随筆が載っており、
その来仙した時に富永太郎にちなんだお寺を
仙台の友人を介して訪ねたことが書いてあった。

ある講義の時、教授が大岡昇平について話したので
私はたまたま持っていたその「群像」の随筆をコピーして教授の室のポストに入れた。
ほんの軽い気持ちである。
大岡昇平さん、こんな随筆書いていましたよ、という紹介の気持ちである。
群像を教授が読んでいる、なんて考え及ばず。

そして次の講義の時。
教授はマイクを通して、開口一番
「私の室のポストに群像のコピーを入れてくれたのは誰ですか?!ぜひ名乗り出て下さい!」
とかなり興奮気味に学生に問い詰めた。
「その仙台の友人というのは、この私なんですよ。」と
経緯を述べた。
私は講義が終わったあとに名乗り出た。
まさか、こんなに濃く大岡昇平とつながりがあったとは思っていなかった。

そしてそれ以来、その教授と話すことが多くなったのだが
結局何十年経った今
「それが何?」の状態。
大岡昇平の研究者になるわけでなく、富永太郎の研究者になるわけでなく
それをきっかけにして文学に埋もれるわけでもなく。
夫に
「それが何という状態ですよね、今。」
何も達成しないままに朽ちていく。

今、書棚を調べてみると
大岡昇平の「富永太郎」伝があったので。
確か図書館で読んで、そのあと自分の給料で手に入れた本。
煙草の煙で黄ばんだ本になっている。

あのお寺周辺を通ると、いつも富永太郎の・・・と思うので
今日は口に出してみたよ、夫。







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(2022/8/13)休み前半終わり。

2022年08月13日 21時01分29秒 | 日常、仕事、認知症


また寝床を変えて2人で寝ている。



毎日カワイイ2人。
勿論、ケナガとナナコも毎日カワイイ。しかし、写真が少ないね。


今日は実家に2カ月ぶりに行ってきた。
暑いので半ズボン、半そでの恰好の父。
91歳、一人暮らし。転んで怪我をした所を見せてくれた。
お互い歩き方は要注意。
牛タン弁当を食べる。
一緒に暮らすことは今後もないと思うけれど、来年の夏の誕生日もこのように
元気であってほしい。

昨日は義父母の墓参に。早朝6時出発。
混雑はしていなかったが、同じ気持ちの人たちは何組かいた。
暑さと混雑を避けての墓参。
今の暑さは本当に危険である。夫も足元が覚束ない。

夫の4回目のワクチンの予約も取れて、親のことなど、大きなことが色々片付いて
ホッとする。
私は4回目先週。父はまだ。

旭川の妹家族にずんだ餅を送る。
牛タンは既に送ってある。
妹の夫がガンの手術。
私が妹の立場だったら・・・などと考えてしまう。




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