NHKのドキュメントドラマ
「たったひとりの反乱」
「渡り鳥の楽園を守れ!」
を観る。
今日のテレビはこれを観ようと思っていた。
千葉県習志野市の
谷津干潟
こんなに自分は長く生きているのに
まだまだ世の中のこと知らないことが多すぎる
また今日も人生の勉強になった
昭和49年(1974年)
昭和の真っ只中、高度成長期後の日本は
その頃は
エコなどと言う言葉はない時代
汚染された下水、汚水は海に垂れ流し
今なら海や山に不法投棄したら捕まるが
その時代は、どんどん物を海に捨てていた
どうせ
近いうちに埋め立てられる干潟である
むしろ、この汚染の臭気に耐えられない近くの住民は
埋め立てに賛成だった
まさに臭いものには蓋。
そこに
一人の若者が
かつて自分が幼いときに遊んだ干潟が埋め立てられるという
新聞記事を読み
ここを訪れる
目の前のゴミの山、山、動物の死骸など何でもある
そのゴミの中で1匹のカニを見つける
ゴミの中でも生きているカニ
待ってろよ
今、ここをきれいにしてやるから
ゴミによって呼吸できない干潟をきれいにしようと
一人立ち上がる
敵は大きい
一人ゴミを拾う姿を
変人扱いする人々
ゴミを処理したくても市や大蔵省(干潟の管轄だった)も拒否
その辺の公園や道路のゴミを拾うのとはわけが違う
周囲数キロの広大な干潟のゴミをどう処理するのか
それを考えただけでも
普通の人なら挫折する
抵抗の力は大きすぎる
今から埋め立てをしようという行政の動きに逆らうのだから
一人でやるにはあまりに小さい存在だ
彼は何年もかけて黙々と拾い続ける
4年経っても、彼は孤独である
人々にバカにされながら続けることは
「変人扱い」との戦いでもある
その彼を見て
主婦が数人自分たちも手伝わせてくれ、とやってきた
彼女たちの激励が彼をよみがえらせた
新聞社に行き、この実情を記事にしてもらい
全国に知られていく
80年代に入り
エコという言葉はまだ生まれないが
「クリーン作戦」というのが全国のあちこちで実施されるようになった
その言葉を借りて
この干潟もやってみよう、と主婦たちが言う
果たして集まるかどうかもわからないが
ビラ配りなどをして呼びかける
そして
クリーン作戦の当日、小雨の降る中
気の重い彼が現場に到着して見たものは
何十人(何百人?)もの賛同者が
集まっていたのである
中には、かつて彼のこの行動に猛反対した人もいる
しかし
彼の地道な行動に、彼らも揺り動かされたのだろう
道路公団の有志も、彼に共鳴してボランティアで
大きな機材をつけたトラックを持ってくる
鬼に金棒だ
廃棄された大型のものを一気に片付けられる
こうして干潟はきれいになっていく
これなら行政も動かざるを得ない
とうとう議会は
干潟の埋め立てを取りやめの決定をする
野鳥たちがたくさんやってくることも調査されて
1993年にはラムサール条約の登録地に認定されるまでに至る
世界的に権威のある条約の認定にまでこぎつけられるとは奇跡に近い
ゴミの山だったあの干潟が
まもなく埋め立てられようとする干潟が
釧路湿原のように自然の中にある、自然に守られている湿原を
ラムサール条約に登録されるのと全く違う意味で
奇跡だと思う
これは
彼の力であることもそうだが
埋め立ての方向に向いていた住民が覚醒したかのように立ち上がったことも
強い力となったと思う
彼は思想で動かされたのではない
信念でもない
恥ずかしい、という気持ちもあった
意地だった
そしてそれがライフワークとなった
出発の気持ちはどうであれ
貫徹したことが世論を動かしたのである
工業地帯に
野鳥のオアシスがある
これは画期的なことだと思う
全てを埋め立てるのではなく
野鳥のためにそこに棲む生き物のために
そこを守り抜いた彼初め住民は
谷津干潟を誇りに感じているだろうと思った
それにしても
たった一人で始めることは
どれほど抵抗を感じることか
たった一人は「変人」である
しかし
変人は、大勢の心を動かす
真似できぬ強い力だ
彼のそのときのことを述べた記事をここに載せる
ぐっと来るものがあります
ここを読んでください。感動します。
今日
私はまた1つ感動に出会った
1つ勉強した
どの土地、どの場所にも
知らない歴史、事情があるものだ
1日でも長く生きないと
それらを知らないままに死んでいくんだ