2日続けて、姑の夢を見た。1日目は、姑の姿が見えないので、襖を開けると、電気をつけたまま背を向けて寝ていた。生きている、と安堵した私だった。そして今朝方3時過ぎに目が覚め トイレに行き、また姑の夢を見ていたなあ、と夢の内容を振り返った。私たち家族が、大きな中古の家に引っ越すのだが、私は、お茶菓子を持って姑の部屋を訪れる。そして会話する。昨日は、後ろ姿だけで、顔も声も不明で、ただ生存確認して安堵しただけで、夢の中の儚い姑の存在だったが、今朝のは、顔はうっすらだったが、にこやかに会話が成立していた。そしてこの夢を書き留めなければと思った。なぜなら、入院以来、「夢を見ていたようだ」と感覚は残っていても、内容を覚えていることが稀になったからだ。あの夢しか覚えていない。入院が、「囚われの身」の感覚、暗い海の前で迷っている私。ブログにも書いた。あれ以来、記憶に残る夢を見ただろうか。
2日続けて姑が、不安定な私の夢の中に現れたことを記録しておきたかった。私は、自分の一挙手一投足が、あの時の姑だ、と毎日謎っている。そして思いやりに欠けた自分を嘆いているのである。今なら分かる、あれも、これも。
大谷さんの話題が嬉しい。
仙台、有観客か無観客か。私は知事の考え支持。
明日から暑くなる。いよいよ私の苦手な夏。