人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

AKB48は、なぜ、売れたのか?

2011年04月13日 18時36分30秒 | 日記
13日(水)その2.今日の日経朝刊に「アジア知的財産権シンポジウム2011広告企画」が見開きで載っています。AKB48のプロデューサー秋元康さんの基調講演が面白いので紹介します。題して「AKB48は、なぜ、売れたのか?」

「エンターテインメントでの成功には98%の運と1%の汗と1%の才能が必要だと思う。AKB48が売れたのも運なのである。しかし、1%の努力と1%の才能がなければ100%にはならない。いつも考えているのは”予定調和を崩すこと”。見る前に想像がつくようでは観客にそっぽを向かれる。今ヒットしているものはすべて過去だ。今の流れを読んでひらめくというよりは、周りと関係なく、自分でこれが面白いと思うものが見つけられるかどうかだ。止まっている時計は、日に2度正確な時刻を示す。ところが周りを見ながら合わせようとするとなかなか合わない。世間で流行しているものとは関係なく、自分が”これは絶対に面白い”と思い、それを全力でやり続けることが大事ではないか。今はインフラや技術が急速に進歩しているので、コンテンツを考える時にもメディアミックスをどうするかといった”器”から入りたがる人が多いが、料理がおいしければ、どんな皿に盛っていても食べたいと思う。器の形に関係なく、自分は何が面白いのかというところから始めたほうがいい」

秋元さんは成功するための要素の98%は運だと言っていますが、そのためには周到な仕掛けがあり、それなりの力がなければならないでしょう。それを1%の汗と1%の才能と置き換えてもいいかもしれません。1人の少女をエンターテインメントの世界にデビューさせて成功させるのは非常に困難でしょう。でも一辺に48人まとめてデビューさせれば「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ではないけれど、そのうちの何人かはヒットするのではないか。少女たちを集めて歌と踊りを仕込んでデビューさせる。そして人気投票をやってお互いの競争意識を高めて全体のレベルアップを図る。それが彼の仕掛けでした。

成功のためには98%が運だと言うけれど、見方を変えて考えると、2%しかない成功する可能性を実現するためには98%の「運を引き寄せる」ための努力が必要だと思うのですが、どうでしょうか。「自分は運がない」と言う人は”運がない”のではなく、”運を引き寄せる努力をしていない”から、運がやってきた時に逃してしまうのだと思います。日ごろから広くアンテナを張って情報を収集することも大事なような気がします。

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再び吉田秀和「音楽展望」に思う~レベル7の東日本大震災を受けて

2011年04月13日 17時04分15秒 | 日記
13日(水)。このところ体調が悪かったが、昨日夕方から急に悪化して夜には38度を超える高熱が出てしまった。保険証がなかったので家に直行して栄養を取ってから寝た。けさ熱が37度台に下がったので会社に休暇願いの電話を入れて、地元のクリニックに行った。待合室には静かな音楽が流れていた。ショパンのマズルカ、ポロネーズ、ワルツ・・・。ショパンだけかと思っていると途中で曲想が変わった。ブラームスのハンガリー狂詩曲が流れた。だれの演奏家はわからないが良かった。

さて、昨日の朝日朝刊の吉田秀和「音楽展望」である。編集者の付けたタイトルは「立ち上がる国 苦難の時にこそ無償の愛」である。内容はタイトルどおりである。つまり「音楽の展望」は一言もない。次のとおり。

1945年の3月に召集令状がきて大阪に出向いたが、結局”身体薄弱”を理由に応召されなかった。東京への帰りがけ見知らぬ人から「帰る方向が一緒だから自分の家に泊まっていったら」と声を掛けられ、一宿一飯の世話になった。それなのに今ではその人の名前さえ覚えていない。その帰りの3月10日、東京大空襲で被災した人々にぶつかった。巨大な夜襲を受けて家を失い、家族親戚知人らとはぐれ、途方にくれたまま歩く姿に出くわした。自分は何とか八王子まで帰りついた。この大空襲のあと半年もたたないうちに日本は降伏した。思えば日本人は、その後も次々大きな災害や苦難に襲われたが、そのつど克服し立ち上がってきた。日本はそういう国だ。偉いものだと思う。

ここまでの内容であれば、音楽界の大御所の「独り言」で済んでしまう。しかし、今回はそうではなかった。彼は最後にこう結んでいる。
「しかし、よくよく考えてみると、このうちの一体何割が人災だったのだろう」。

世界共通語である「ツナミ」を伴った今回の東日本大震災は、確かに自然災害である。しかし、それによって被害を受けた東京電力福島原発の放射能漏れ事故は、自然災害とばかり言えるのか?「想定外の大災害でした」で済むのか?

今朝の朝日によれば「地震の規模が大きいほど余震の数は多く、マグニチュードが本震より1小さいぐらいの余震は起きる可能性がある。今回は本震M9だからM8。2004年のスマトラ沖地震(M9.1)の3ヵ月後にはM8.6の地震が起きている」という。再びM8規模の地震が起きたら福島原発はどうなるのか?今後の対策を誤ったら正真正銘の人災だ。いまや国際的な尺度による重大さの評価はレベル7(深刻な事故)となった。これ以上のレベルはない。政府、東電、関係者には一層の自覚と責任ある行動を求めたい。

吉田秀和の「音楽展望」に戻る。もう「音楽展望」の看板を下ろせとは言うまい。国家の危機のときに音楽評論家として出来ることは何か、と熟慮のうえでの執筆なのだろう。いつかまた音楽の話が書かれた「音楽展望」が読める時が1日でも早く来ることを願っている。





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