18日(月)その3.すみだトリフォニーホール(小)に新日本フィル室内楽シリーズ(第6回)を聴きに行った。プログラムは①ジョリベ「フルートと打楽器のための協奏的組曲」②ベートーベン「六重奏曲 変ホ長調」③「同「弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調」の3曲。
ジョリベの組曲は1965年に作曲されたが、プログラムの解説によると「ストラビンスキーの”春の祭典”を受け継いだともいえる原始的・民族的・呪術的な要素があるテーマ」ということらしい。分かりやすく言えば「村の祭りの笛太鼓」といったところか。たまにはこういう曲もいいんじゃないか、と思う。
ベートーベンの「六重奏曲」は彼が25歳ころの作品で明るく楽しい曲だ。クラリネットとホルンとファゴット各2本で演奏する。昨年のこのシリーズでベートーベンの「七重奏曲」を演奏し喝采を浴びた新日本フィルの主席クラリネット重松希巳江さんのリードでテンポ感よく曲が流れていた。実に楽しそうに演奏しているのが好ましかった。こういう演奏で聴くと「ベートーベンって本当にいいなぁ」と思う。
「弦楽四重奏曲第16番」は1826年10月に完成した。この年の7月には甥のカールがピストル自殺騒ぎを起こしたりして心労が重なった時期で、ベートーベンは翌年3月に息を引き取ってしまう。そういう意味では、弦楽四重奏曲の最後の曲であるとともに、実質的に最後の「白鳥の歌」といってもいいかもしれない。
第3楽章はまさにこの世との別れの曲といっても差し支えないのではないか。ある意味モーツアルトのクラリネット協奏曲の第2楽章「アダージョ」に通じるものがある。浄化された世界がそこにある。
第4楽章には「ようやくついた決心」という題名が記されている。さらに冒頭の2つのモチーフには「そうであるべきか?」「そうであるべき!」という言葉が付けられている。ベートーベンはこの曲で何らかの決着を付けようとして、それを実現したのか?ベートーベン研究家たちがいろいろと詮索しているようだが、真意のほどはベートーベンにしかわからない。
ジョリベの組曲は1965年に作曲されたが、プログラムの解説によると「ストラビンスキーの”春の祭典”を受け継いだともいえる原始的・民族的・呪術的な要素があるテーマ」ということらしい。分かりやすく言えば「村の祭りの笛太鼓」といったところか。たまにはこういう曲もいいんじゃないか、と思う。
ベートーベンの「六重奏曲」は彼が25歳ころの作品で明るく楽しい曲だ。クラリネットとホルンとファゴット各2本で演奏する。昨年のこのシリーズでベートーベンの「七重奏曲」を演奏し喝采を浴びた新日本フィルの主席クラリネット重松希巳江さんのリードでテンポ感よく曲が流れていた。実に楽しそうに演奏しているのが好ましかった。こういう演奏で聴くと「ベートーベンって本当にいいなぁ」と思う。
「弦楽四重奏曲第16番」は1826年10月に完成した。この年の7月には甥のカールがピストル自殺騒ぎを起こしたりして心労が重なった時期で、ベートーベンは翌年3月に息を引き取ってしまう。そういう意味では、弦楽四重奏曲の最後の曲であるとともに、実質的に最後の「白鳥の歌」といってもいいかもしれない。
第3楽章はまさにこの世との別れの曲といっても差し支えないのではないか。ある意味モーツアルトのクラリネット協奏曲の第2楽章「アダージョ」に通じるものがある。浄化された世界がそこにある。
第4楽章には「ようやくついた決心」という題名が記されている。さらに冒頭の2つのモチーフには「そうであるべきか?」「そうであるべき!」という言葉が付けられている。ベートーベンはこの曲で何らかの決着を付けようとして、それを実現したのか?ベートーベン研究家たちがいろいろと詮索しているようだが、真意のほどはベートーベンにしかわからない。