14日(木)。今朝の日経は1986年のチェルノブイリ原発事故と今回の福島第1原発事故を比較している。双方とも国際原子力事象評価尺度(INES)で「レベル7」とされているが、事故の起き方や環境中に放出された放射性物質の量が異なることから両者は全く違うと解説している。
「チェルノブイリ原発事故は試験運転中に原子炉本体が燃料もろとも大爆発を起こし、一気に大量の放射性物質が広範囲に放出された。原発作業員2人が事故当日死亡したほか、28人が3ヶ月以内に死亡した。一方、福島第1原発は地震を受けて運転が自動停止した後、津波の被害によって電源がすべて失われ炉心を冷却できなくなった。格納容器の圧力制御室の一部が破損したことなどにより放射性物質が外に出た。作業員3人が高濃度の放射性物質を含む水に触れて被曝したが、死者は出ていない。環境に放出された放射性物質の量は、福島はチェルノブイリの10%以下である。ただし福島原発事故はまだ収束していないが」
手元に私の古いパスポートがある。スタンプは以下のように押されている。
出国=1986年4月25日(成田)、入国=4月26日(フランス・ドゴール)
出国=1986年5月5日(フランス・ドゴール)、入国=5月6日(成田)
この年のゴールデン・ウィークにパリ経由でオーストリアに観光旅行した際の記録である。旅程は次の通り。成田→エア・フランスでパリへ(知人を訪ね、ルーブル美術館などを観光)→プロペラ機でアルプスを越えオーストリアのザルツブルクへ(モーツアルトの生家、大聖堂、ヘルブルン宮殿=コンサート、知人と会ってザルツ・カンマーグート=サウンド・オブ・ミュージックの舞台、などを観光)→列車でリンツへ(知人と会って市内観光)→列車でウィーンへ(シュテファン大寺院、フィガロハウス、中央墓地=モーツアルトの墓参り、ウィーン国立歌劇場=内部の見学、ウィーン歴史博物館見学など)→飛行機でパリへ→エア・フランスで成田へ。
さて、チェルノブイリ原発事故はこの年の4月26日未明に起こった。ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原発の4号炉で大きな爆発事故があり、火災は爆発から14日後の5月10日にようやく収まった。日本でも5月3日に雨水から放射性物質が検出された。当初、ソビエト連邦政府(当時)はこの事故を公表せず、事故2日後の28日にやっと公表に踏み切った。
つまり私がパリに到着したその日に原発事故が起き、オーストリア観光を終えて帰国してもなお、原発事故は収束していなかったということになる。現地で何らかの報道があれば知人にも会っているのでわかったはずだが、まったく知らなかった。日本に帰国して新聞を見て初めて、事の重大さに気が付いた。今にして思うが、ヨーロッパ各国で報道統制があったのではないか。もしあったとするなら、それは「レベル7」を超えている。今、福島原発は現在進行形である。東電、政府はもちろんのこと、報道側も自主規制があってはならない。
ところで、今日はモーツアルトのバイオリン協奏曲第1番K207が完成した日である(1775年4月14日)。交響曲やピアノ協奏曲が生涯を通じて作曲されたのに対し、バイオリン協奏曲(5曲)は1775年4月から12月(当時19歳)の間に集中的に生誕の地ザルツブルクで作曲された。すべて自筆譜に完成の月日が記入されているという。いまパメラ・フランクのバイオリン、デビット・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏で聴いている。二十歳を前にしたモーツアルトのみずみずしい感性が伝わってくるいい演奏だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/4b/07e88607bad417ef65746c001051bde5.jpg)
「チェルノブイリ原発事故は試験運転中に原子炉本体が燃料もろとも大爆発を起こし、一気に大量の放射性物質が広範囲に放出された。原発作業員2人が事故当日死亡したほか、28人が3ヶ月以内に死亡した。一方、福島第1原発は地震を受けて運転が自動停止した後、津波の被害によって電源がすべて失われ炉心を冷却できなくなった。格納容器の圧力制御室の一部が破損したことなどにより放射性物質が外に出た。作業員3人が高濃度の放射性物質を含む水に触れて被曝したが、死者は出ていない。環境に放出された放射性物質の量は、福島はチェルノブイリの10%以下である。ただし福島原発事故はまだ収束していないが」
手元に私の古いパスポートがある。スタンプは以下のように押されている。
出国=1986年4月25日(成田)、入国=4月26日(フランス・ドゴール)
出国=1986年5月5日(フランス・ドゴール)、入国=5月6日(成田)
この年のゴールデン・ウィークにパリ経由でオーストリアに観光旅行した際の記録である。旅程は次の通り。成田→エア・フランスでパリへ(知人を訪ね、ルーブル美術館などを観光)→プロペラ機でアルプスを越えオーストリアのザルツブルクへ(モーツアルトの生家、大聖堂、ヘルブルン宮殿=コンサート、知人と会ってザルツ・カンマーグート=サウンド・オブ・ミュージックの舞台、などを観光)→列車でリンツへ(知人と会って市内観光)→列車でウィーンへ(シュテファン大寺院、フィガロハウス、中央墓地=モーツアルトの墓参り、ウィーン国立歌劇場=内部の見学、ウィーン歴史博物館見学など)→飛行機でパリへ→エア・フランスで成田へ。
さて、チェルノブイリ原発事故はこの年の4月26日未明に起こった。ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原発の4号炉で大きな爆発事故があり、火災は爆発から14日後の5月10日にようやく収まった。日本でも5月3日に雨水から放射性物質が検出された。当初、ソビエト連邦政府(当時)はこの事故を公表せず、事故2日後の28日にやっと公表に踏み切った。
つまり私がパリに到着したその日に原発事故が起き、オーストリア観光を終えて帰国してもなお、原発事故は収束していなかったということになる。現地で何らかの報道があれば知人にも会っているのでわかったはずだが、まったく知らなかった。日本に帰国して新聞を見て初めて、事の重大さに気が付いた。今にして思うが、ヨーロッパ各国で報道統制があったのではないか。もしあったとするなら、それは「レベル7」を超えている。今、福島原発は現在進行形である。東電、政府はもちろんのこと、報道側も自主規制があってはならない。
ところで、今日はモーツアルトのバイオリン協奏曲第1番K207が完成した日である(1775年4月14日)。交響曲やピアノ協奏曲が生涯を通じて作曲されたのに対し、バイオリン協奏曲(5曲)は1775年4月から12月(当時19歳)の間に集中的に生誕の地ザルツブルクで作曲された。すべて自筆譜に完成の月日が記入されているという。いまパメラ・フランクのバイオリン、デビット・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏で聴いている。二十歳を前にしたモーツアルトのみずみずしい感性が伝わってくるいい演奏だ。
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