人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

コルンゴルトとシベリウスを聴く~都響プロムナード・コンサート

2011年04月24日 18時50分32秒 | 日記
24日(日)その3.午後サントリーホールで東京都交響楽団のプロムナード・コンサートを聴きました。都響は定期会員ではないので、よほどプログラムが気に入らないとチケットを買いません。今回は、シベリウスの第5交響曲とコルンゴルトのバイオリン協奏曲を演奏するというので躊躇なく買いました。

プログラムは前半が①シベリウス「交響詩:タピオラ」②コルンゴルト「バイオリン協奏曲 ニ長調」、後半が③シベリウス「第5交響曲」④同「交響詩:フィンランディア」の4曲です。バイオリンは当初ドイツのヤッフェという女性バイオリニストの予定だったのですが、挟み込みスリップによると「体調不良のため出演が不可能となった」とあります。本当のところは原発が恐かったのかもしれませんが。代演は新日本フィルのコンサート・マスター豊嶋泰嗣。好きなアーティストです。指揮はフィンランドのハンヌ・リントゥ。2013年からフィンランド放送交響楽団の主席指揮者に就任するということです。

「タピオラ」は小手調べといったところ。待っていたのはコルンゴルトのバイオリン協奏曲。コルンゴルトは1897年~1957年に生きた比較的新しい作曲家です。子供のころマーラーに評価され、11歳の時に書いたバレエ「雪だるま」がウイーン宮廷歌劇場で絶賛を浴びるなど、天才として名を馳せました。なにしろフルネームが「エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト」といい、モーツアルトと同じ「ウォルフガング」が付けられているのです。両親の過大なまでの期待が込められています。

彼は1934年にハリウッドに招かれ映画音楽で評価されるようになりました。「ロビンフッド」などが有名です。ユダヤ系だった彼はその後、ナチ支配下となったオーストリアに戻れなくなり、ハリウッドの作曲家として生きる道を選びました。アカデミー賞でオスカーを2度獲得するなど華やかな活動で知られました。そんな彼が作曲したバイオリン協奏曲は、まるで映画音楽のような色彩感の溢れたロマンティックな曲です。この曲との出会いについては別に書こうと思います。長くなるので

ソリストの豊嶋泰嗣は急きょの代演ということで楽譜を前にしての演奏でしたが、コルンゴルトのロマンティシズムを見事に描ききりました。新日本フィルのコンサート・マスターがなぜ都響のソリストに選ばれたのか、その経緯は明らかではありませんが、人選に誤りはありませんでした。素晴らしいアーティストです。

シベリウスの第5交響曲は第2番、第1番に次いで演奏される機会が多い人気曲ですが、とくに金管楽器が大活躍する曲です。それだけに音を”外す”ことは許されません。都響のブラスは充実していると思いました。豊かな響きです。

第3楽章の聴きどころはフィナーレの6つの力強い和音の表現方法です。指揮者がどういうテンポで表現するのか興味があります。バーンスタインのように大きく間をとって締めくくるのか。コリン・ディビスのように、よりさっぱりと間をとるのか。リントゥは、せっかちでもなく、間延びするでもなく、中庸のテンポで堂々と締めました。すごく共感できました

最後の「フィンランディア」は、「これぞ我が国歌」と言わんばかりの堂々たる演奏でした。実際、この曲はフィンランドの第2の国歌とも言われています。自国の作曲家の曲を他国のオーケストラを鳴らして演奏するって、すごくいい気持ちだろうなと思います。日本の指揮者が海外で演奏する際に、日本の作曲家による曲を演奏する機会があまりないのは残念なことです




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文明と文化について

2011年04月24日 12時11分30秒 | 日記
24日(日)その2.けさの日経1面のコラム「春秋」に思わず納得した。「文化と文明の違いを、画家の安野光雅さんが”文化は方言のように範囲が限られているが、文明は標準語のように普遍性がある”と語っている。3月末に98歳で死去した彫刻家佐藤忠良さんとの共著”ねがいは普通”にある言葉だ。例えばこういうことだという。印刷した画集で名画を見るのは文明であって文化ではない。文化に接するには、ルーブル美術館ならルーブルまで行って目で見なければならない」

同じ文化としての芸術でも、音楽と美術はまったく違ったものだ。美術は作者の制作した作品は世界でひとつしかない。あとはコピーに過ぎない。しかし、音楽は確かに作曲家の作った曲の自筆譜は一つしかないが、それを演奏して再現することは誰でもできる。100通りの演奏があれば100通りの本物の音楽だ。それはコピーではない。でも、それらの演奏を聴くためにはそこに行かなければならない。それが文化に裏付けられた行動だろう。

もっとも音楽だって、CDに録音したものを流通させるのなら、それはコピーであって、文化ではなく文明だろう。私が常に生演奏にこだわるのは、結局のところ文化にこだわるからだ。聴きたい曲があって聴きたい演奏家がいれば、わざわざそこまで行って聴く。演奏家と聴衆との2度と戻らない一期一会の世界に浸っていたい。この方針は今後も変わることはないだろう
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ズービン・メータのチャリティー・コンサート~東日本大震災

2011年04月24日 08時15分52秒 | 日記
24日(日)。今朝はいつもより遅く6時20分に起きました。ニュースを見るためにNHK・BSをかけるとベートーベンの「第9」をやっていました。ほとんどフィナーレに近いところでしたが、オケはもちろん、合唱団もソリストも全員が黒服です。指揮者が映し出され、ズービン・メータであることがわかりました。

彼はインド出身の74歳。3月に、主席指揮者を務めるフィレンツェ歌劇場を率いて来日し、都内で地震に遭遇しました。フィレンツェ市長の命令で日程途中でやむを得ず帰国しましたが、本人の強い希望で再来日し、4月10日に東京文化会館でNHK交響楽団とともにチャリティー・コンサートを挙行したのです。その時の録画放送でした。

メータといえばロスアンジェルス・フィルと録音したストラビンスキーの「春の祭典」が強力なインパクトある演奏として記憶に残っています。強烈なリズム感に支えられたバーバリズムの具現といった演奏でした。当時は”ギラギラ”していた印象ですが、いまテレビで観る彼は”キラキラ”輝いています。

東日本大震災や福島第1原発事故の影響で、海外音楽家の来日キャンセルが相次ぐ中で、メータのように非常時の今こそ音楽によって支援を打ち出す親日派がいることは力強いことです。演奏後の拍手は聴衆総立ちで10分も続いたということです。真の音楽家とは考えさせられます。
コメント (2)
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