15日(金)。われらが阪神タイガースの兄貴・金本知徳の連続試合出場記録が今日途切れた。今日の対中日第1戦の8回裏二死一塁で投手の代打として途中出場したが、打席中に一塁走者が盗塁失敗してイニングが終了、打席未完了のまま真弓監督が9回表に金本に代えて投手を出したため、連続出場記録が1,776試合で途絶えた。テレビで見ていたが、実にあっけない幕切れだった。これは歴代第2位の記録で、第1位は広島カープの衣笠祥雄の2215試合である。今日途切れていなければ、これを抜く可能性は限りなく高かったのではないか。なお、今日の試合は阪神が中日を5対4で下した。
彼はすでに連続試合フルイニング出場1492試合(1999年7月21日~2010年4月17日)の世界記録、連続イニング出場13,686イニング(同)を達成している。
1968年4月生まれの金本は、広島の広陵高校~東北福祉大学~広島東洋カープ(1992-2002)~阪神タイガース(2003-)という経歴の持ち主である。今年満43歳である。しかし彼に年齢は関係ない。
阪神タイガースが日本一に輝いた1985年、日本シリーズの観戦のため2度西部球場に通った。目の前で吉田監督の胴上げを見た。あの時はバース、掛布、岡田、真弓の強力打線によって日本一になった。あの頃からのタイガースファンであるが、3~4年前までは子供たちを連れて、時には神宮球場へ、時には横浜スタジアムへ、ハッピとメガホンを片手に阪神の応援に駆けつけたものだ。残念ながらまだ甲子園球場へ行ったことはない。これは私の小さな夢だ。
もともと私のラッキーナンバーは6なのだが、金本選手の背番号が6であることから、縁起をかついでメルアドの中にも6を入れている。
彼はすでに連続試合フルイニング出場1492試合(1999年7月21日~2010年4月17日)の世界記録、連続イニング出場13,686イニング(同)を達成している。
1968年4月生まれの金本は、広島の広陵高校~東北福祉大学~広島東洋カープ(1992-2002)~阪神タイガース(2003-)という経歴の持ち主である。今年満43歳である。しかし彼に年齢は関係ない。
阪神タイガースが日本一に輝いた1985年、日本シリーズの観戦のため2度西部球場に通った。目の前で吉田監督の胴上げを見た。あの時はバース、掛布、岡田、真弓の強力打線によって日本一になった。あの頃からのタイガースファンであるが、3~4年前までは子供たちを連れて、時には神宮球場へ、時には横浜スタジアムへ、ハッピとメガホンを片手に阪神の応援に駆けつけたものだ。残念ながらまだ甲子園球場へ行ったことはない。これは私の小さな夢だ。
もともと私のラッキーナンバーは6なのだが、金本選手の背番号が6であることから、縁起をかついでメルアドの中にも6を入れている。