人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

文藝別冊「モーツァルト」を読む~もしもモーツアルトが長生きしていたら・・・・

2014年06月04日 07時02分11秒 | 日記

4日(水)。昨日はワルツ王、ヨハン・シュトラウスⅡ世の命日でした 彼は1825年10月25日に生まれ、1899年6月3日に死去しています。彼の命日を知ったのは、なんと昨日の朝日『天声人語』でした。その書き出しは次の通りです

「『12月32日』という奇妙な日付が出てくるのは、きょうが命日のヨハン・シュトラウスの喜歌劇『こうもり』だ。大みそかの日めくりを破ると、1月1日と思いきや12月32日になり、観衆がどっと笑う

その通りです。あの場面は会場が沸きます なぜ『天声人語』が話の枕に『こうもり』を持ち出したか、続けて次のように書いています

「ひるがえって、『5月35日』は笑えないし、説明が要る。中国で25年前に天安門事件が起きた。その日付『6月4日』は中国政府が最大級に敏感な語だ ネットに書けば当局に削除される。監視をかわす隠語として広まったのが5月35日だった

そして、『天声人語』は次のように結びます

「冒頭の喜歌劇の日付は、架空のお話であることの暗示であろう しかし大勢の市民を圧殺した天安門事件は現代史の事実である。自由な選挙と言論を欠いたまま大国はどこへ向かうのか。世界が見つめている

日本の人口=約1億2700万人に対し中国は約13億5000万人と日本の11倍もの巨大な人口を抱えて、国民の生活を維持・向上しなければならないのですから大変だとは思います とは言うものの、『世界は中国を中心に回っている』とか『オレの物はオレの物。他人の物もオレの物』と思われては困ります。それって無法者ですから。自滅の道しかないでしょうね

さて、冒頭の「こうもり」に戻りましょう。ここでクイズです。「傘」は英語でアンブレラ。それでは「折り畳み傘」は英語で何というか?答えはこのブログの最後に

 

  閑話休題   

 

河出書房新社の「文藝別冊『モーツァルト』を読み終わりました このムックは2013年9月30日に発行されたものですが、このシリーズでは過去に『マーラー』『フルトヴェングラー『カラヤン』『ワーグナー』などが取り上げられています。モーツアルトを巡る対談やエッセイから成り、最後に必聴50作品とお薦め盤が紹介されています

 

          

 

作曲家の池辺晋一郎氏とドイツ文学者の池内紀氏の対談「風、水、音・・・・自然の寵児モーツアルト」では、興味深い発言がいくつかでてきますが、作曲と演奏家にはいろいろ種類があるという話の中で、池辺氏は次のように発言しています

「作曲も演奏家も、聴いている方に分析させたい演奏家と、そうではなくて、ただ楽しませてくれる演奏家というタイプがいるわけです ベートーヴェン好きとかバッハ好きの人は、調べて、その作品の裏側を見せたがるけれど、モーツアルト好きはそういうことをしないんです(笑)。オペラでも、ワーグナー・ファンは、観終わって、帰りは絶対議論 友達と演出についていろいろ議論したり。ヴェルディ好きは、演出じゃなくて、ソプラノとテノールがどうだったかという話で飲む モーツアルト好きはそんなこと全然考えない。終わったらあとは、楽しくホイリゲでビールやワインを飲んで騒ぐ オペラにしてもそうだろうけど、たとえば演出家でも、ブーレーズが振ったものを聴くと、ここをどうやったかというのを調べたくなるわけですよ。『ブーレーズはここでディミヌエンドした』とか『このテンポはどうだ』とか。だけど、たとえばデュトワが振ったものは、別に調べたりしないで、ただ聴いて、そこに埋まって酔えればいいという感じがするんです

それに対して池内氏が、「それは理屈の人と・・・・・」と聞くと、

「感覚の人ですね。作曲家にも演奏家にもあると思います。ブレンデルが弾くと音階も哲学になるという感じがするけど(笑)」

と答えています。なるほど分かるような気がします

また、「片山杜秀、モーツアルトを語る~寄る辺なき不安からの疾走」には次のような発言が収録されています

「川上徹太郎の『寄る辺ないモーツアルト』のイメージにかかわる話ですが、ミクロなレベルで、長調になったり、短調になったり、半音階的なおかしな不思議な音がサラッと織り込まれて、いまのはなんだったんだと思っても、どんどん先に行ってもう二度とあらわれず、はかないなあというような、そういうところがおそらくモーツアルトの核心なのです 主調が長調か短調かというのはかりそめみたいなもので、あくまでミクロで際限ない推移の連鎖。そこに少なくとも現代人にとってのモーツアルトの魅力があるんだろうと思います 『短調のモーツアルト』の中に『長調のモーツアルト』が居て、『長調のモーツアルト』の中に『短調のモーツアルト』が居る。どっちにも『半音階のモーツアルト』がまたもちろん居る。融通無碍でないまぜで変わり身が早くて疾走するのがモーツアルトでしょう

5月18日に第一生命ホールで聴いた仲道郁代のコンサートで、彼女がモーツアルトの音楽の特徴について言いたかったのは、まさにこのことなのでしょう

作曲家の吉松隆氏は「モーツアルトがもう少し長生きしたら、もっと傑作を残しただろうか」という興味深い考察をしています モーツアルトは35年の生涯でしたが、吉松氏は、モーツアルトの実質的な作曲活動期間という点から見ると、他の作曲家と比べてさほど短いとは言えないという、意外な事実を紹介しています モーツアルトの最初の作品(ケッヘル1番)が5歳の時で、最後の作品(レクィエム。ケッヘル626番)が35歳の時。したがって、作曲活動期間という点で見ると30年間はたっぷりあったということです

他の作曲家の場合はどうかというと、ベートーヴェンは作品1(ピアノ三重奏曲)が24歳の時で、死去が56歳の時、したがって33年間、マーラ―は最初に交響曲を書いたのが28歳で、実質的に活動していたのは50歳までなので22年足らず、チャイコフスキーは24歳でデビューし53歳で亡くなるまで28年に過ぎない、と指摘しています

吉松氏は、「モーツアルトに、せめて1曲でもチェロ協奏曲を書いて欲しかったなあと思っている」と書いていますが、まったく同感です。現在、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を上回るチェロ・コンチェルトはないと思いますが、もしモーツアルトが作曲していたらどうだったでしょうか

〔クイズの答え〕ハンブレラ(半ブレラ)

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