29日(日)。昨日、サントリーホールで日本フィルの第661回東京定期演奏会を聴きました プログラムは①シベリウス「夜の騎行と日の出」、②マーラー「交響曲第6番イ短調」。指揮は日本フィル首席客員指揮者ピエタリ・インキネンです
自席は2階LD3列2番、左ブロック左から2つ目の席です。会場はほぼ9割方埋まっている感じです。マーラーだからこそでしょう オケは向かって左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスというオーソドックスな配置です
インキネンは対向配置をとらないようです
1曲目のシベリウス「交響詩”夜の騎行と日の出」は1908年に完成しましたが、ちょうど交響曲第3番が作曲された時期に当たります この曲についてシベリウスが友人に語った解説が残っています。それによると
「森の暗闇の中を一人孤独に馬で行くごく一般的な人間の内面的な経験・・・・時にひとり自然とともにあることを喜び、また時には静寂やそれを打ち破る聞き慣れない音に畏れを感じる。しかし、夜明けには感謝と喜びが訪れるのだ」
曲はまさに、この解説をなぞるように進みます。シベリウスらしいメロディーが随所に聴かれます
休憩後はマーラーの「交響曲第6番イ短調”悲劇的”」です。この曲を一言で言えば「英雄の栄光と死」とでも言えるでしょうか 順調に勝ち進んできた英雄が、最後の局面でハンマーに打ちのめされるのです
第1楽章が低弦のユニゾンで開始されます。英雄の行進曲とでも言える音楽です 気持ちよく聴いていると、椅子が微妙に振動していることに気が付きました。スワ地震か・・・と思いきや、となりのトトロが、もとい、となりのオジサンが行進曲に合わせて足で拍子を取っているのです
これには困りました。気持ちはよく分かります。拍子を取りたくなる曲想なのです。でも、ここは天下のサントリーホール。自分一人だけで聴いている訳ではありません。しかし、私はそのオジサンがあまりにも善良そうな顔だったので、やめてけろ、とは言えませんでした
一番ストレスを残さない方法は自分でも足で拍子を取ることですが、そうすると近所迷惑の原因が2倍になるので止めておきました
ところで、この楽章の第2主題は「アルマのテーマ」です。マーラーの妻アルマの回想録に、マーラーが「私は君をある主題の中に定着しようと試みた」と語ったと書かれています。素晴らしいメロディーです
第2楽章に入りますが、インキネンは「スケルツォ」の楽章を選びました 実は第2楽章に「スケルツォ」の楽章を持ってくるか、あるいは「アンダンテ・モデラート」の楽章を持ってくるかという選択があるのです。従来、第2楽章「スケルツォ」、第3楽章「アンダンテ・モデラート」という解釈が一般的でしたが、2003年に国際マーラー協会が第2楽章「アンダンテ・モデラート」、第3楽章「アレグロ」が最終決定稿だと発表したのです
しかし、現在でも、衝撃的な第4楽章「アレグロ」の前に緩徐楽章を置く従来のスタイルを採る指揮者が多いのが実情です。インキネンもその一人と言う訳です
第3楽章「アンダンテ・モデラート」は抒情的で心安らぐ音楽です。マーラーの緩徐楽章はどの交響曲も良いですね。第3番、第4番、第5番、そして第9番
チェレスタとハープで始まる第4楽章は、この交響曲の物語の結論です 楽章の後半でハンマーが打ち下ろされますが、インキネンは3回の打撃を指示しました。この回数にも複数の解釈があります
そもそもマーラーの自筆譜では、当初ハンマーの導入はなく、後に加筆されたのですが、その時は第4楽章で5回打たれるようになっていました その後、第1稿を出版する段階で3回に減らされました
さらに、初演のためのリハーサルの過程で、3回目のハンマーの打撃を削除し、代わりにチェレスタを追加したのです
私はこれまで何回かこの第6交響曲を生演奏で聴いてきましたが、第4楽章でハンマーが3回打たれた演奏に出会ったことはほとんどありません。ほぼすべて2回のみです
第4楽章の曲の途中で打楽器奏者がおもむろに立ち上がり、ステージ右後方に設置された畳一畳ほどのテーブルのような台を、大人がやっと持ち上げられるほどの大きなハンマー(木槌)で思い切り叩くのですが、その瞬間、台が大きく波打つのが見えます 2回目に叩いた後、奏者がステージ脇に姿を消しました
ひょっとしてトイレかな、と思いましたが、マーラーの場合、ステージ裏で打楽器を演奏することもあるので、音入れではなく音出しだったのかも知れません
案の定、その奏者は戻ってきて3回目の打撃に備えました
この曲は、ハンマーのすぐ前で演奏しているチューバ奏者などにとっては、大きな迷惑な曲でしょうね 耳がつんぼになってしまうのではないかと心配になります。耳栓してるかもね
それに、会場を貸しているホール側にとっても、間接的に床をハンマーでぶっ叩くわけですから、あまり心地よくはないでしょうね
プログラムに載せられたこの曲の解説は松本學という評論家(?)が書いていますが、最後に小さな文字で次のように書かれていました
「この曲目解説は当初演奏会を予定していた2011年4月のものをベースに加筆したものです。」
その年に何があったかを思い出せば、何故この曲が演奏されず、今になって演奏されるようになったのかが分かります 言うまでもなく、2011年3月には東日本大震災があり、多くの犠牲者が出ました
その影響で、数多くのコンサートが中止もしくは延期に追い込まれました。あれから3年経って、やっとマーラーの第6番『悲劇的』が演奏されるようになったのです
マーラーは今から約100年前、「いつか私の時代が来る」と呟いたと言われていますが、まさに今こそ、マーラーが聴かれる時代(混迷の時代!)です