人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

歌野晶午著「葉桜の季節に君を想うということ」を読む~してやられる急展開

2014年06月10日 09時47分42秒 | 日記

10日(火)。昨日の朝日夕刊に音楽時評が載りました 音楽評論家の片山杜秀氏が札幌交響楽団の演奏会について批評を加えています。「ああ、札響が東京でコンサートを開いたのだな」と思って、よく記事を見ると「札幌コンサートホールKitara」と書かれていました 何と札幌でのコンサートの模様が書かれていたのです。批評の対象は、北海道出身の作曲家で「ゴジラ」の映画音楽でも有名な伊福部昭の音楽を特集した定期演奏会ですが、概ね演奏を賞賛しています

この記事を見てまず思ったのは「いったい、誰がこの記事を見るのだろうか」ということです 朝日は全国紙ですから、北は北海道から南は沖縄まで、基本的にこの音楽時評が載っているわけですが、札幌での演奏評が果たしてどれだけの人の目に触れるでしょうか このコンサートを実際に聴きに行った人は興味を持って見るでしょうが、そうでない人は、よほど伊福部昭に興味があるか、札幌交響楽団のファンかに違いありません (ここで誤解のないように書き添えておきますが、私は伊福部昭の音楽は大好きです)。

これが例えば、札幌交響楽団が東京で演奏会を開いた時の音楽時評だったら、かなりの人が実際にそのコンサートを聴いているでしょうから、注目率が高まるかも知れません

しかし、そういう考えは「東京から見た地方」という「上から目線」で捉えているのではないか、という批判は当然あると思います しかし、現実問題として、東京では毎日のようにどこかのコンサートホールで同じ時間帯に別のコンサートが開かれており、決して少なくない聴衆が音楽に耳を傾けているという実態は否定しようがありません

さらに、もっと突き詰めて考えれば、新聞の「音楽時評」はどれ程の閲読率があるのか、という問題にたどり着くのではないか、と思います 「新聞離れ」が叫ばれる現在の世の中を見渡すと暗sick(クラシック)になりそうです

もうひとつ思うのは、筆者はプロの音楽評論家ですから、多分、札幌までの往復交通費から宿泊費を新聞社が負担して、さらに原稿料を支払っているんだろうな、という極めてレベルの低い推測です それでも、私は「プロが羨ましい」と思ったことはありません。書きたいことを書きたいからです

 

  閑話休題  

 

歌野晶午著「葉桜の季節に君を想うということ」(文春文庫)を読み終わりました 著者の歌野晶午は1961年、千葉県生まれ。東京農工大学農学部卒業という変わり種です

書店でこの本を見つけた時、「葉桜の季節に君を想うというということ」というタイトルが、本の帯にある「2004年版このミステリーがすごい!第1位」「第57回日本推理作家協会賞受賞」という謳い文句にそぐわないな、と思いながら、騙されたと思って買い求めた本です いつもは巻末の「解説」を読んでから本文に入るのに、この本には「解説」がありません 最後まで読んで振り返ってみると、解説のしようがないことが分かります。少しでも解説をしたら則”ネタバレ”になってしまうからです

 

          

 

元私立探偵の成瀬将虎は「何でもやってやろう屋」を自称する好奇心旺盛な男だが、同じフィットネスクラブに通う久高愛子から悪質な霊感商法の調査を依頼される そんな折、電車の線路に飛び込んで自殺を図ろうとした麻宮さくらを救ったことから、彼女との物語が展開していく

470ページ弱の長編大作ですが、3分の2を越えた当たりに「ええっ」と、思わず声に出して驚く急展開が待ち受けています それまでの思い込み違いを思い知らされます 著者は決して嘘やハッタリを書いているわけではないのに、「してやられた」と感服してしまいます 

最近読んだ本の中ではダントツに面白かった本です。お薦めします

コメント
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