3月1日(日)。えっ?!と思ったら、もう3月に入ってしまいました。時の流れは油断も隙もありません わが家に来てから154日目を迎え、足を気にするモコタロです
足がかゆいよ~ 水虫かな~ 兜虫かな~・・・・・無視かよ
閑話休題
昨日、すみだトリフォニーホールで新日本フィルの第536回定期演奏会を聴きました プログラムは①ウェーバー「歌劇”魔弾の射手”序曲」、②ヒンデミット「ウェーバーの主題による変奏曲」、③ブラームス「交響曲第1番ハ短調」の3曲。指揮はオーストリア生まれのラルフ・ワイケルトです
この日のコンマスは”王子”こと西江辰郎です。その隣に見たような顔の女性がスタンバイしていたので、プログラムに挟みこまれた楽員配置図で確かめたら、川田知子とありました この人はこれまで「東京・春・音楽祭」をはじめ、室内楽のコンサートでよく見かけるヴァイオリ二ストです。1991年に東京藝大を首席で卒業し、その年にシュポア国際コンクールで優勝しています。この日は首席並みの扱いで客員として招かれたのでしょう
ところで、トークの天才・篠原英和さんは降り番なのか姿がありません
拍手の中、ロマンス・グレイのラルフ・ワイケルトがタクトを持って登場します ボン歌劇場、フランクフルト歌劇場、チューリッヒ歌劇場の音楽監督などを歴任していることから分かるように、オペラ指揮者としての名声の方が高い人です
この日のプログラムはウェーバー、ヒンデミット、ブラームスといった、いわゆる”ドイツもの”です。得意分野で勝負を賭けるというプログラミングです
ウェーバーの「魔弾の射手」はアーベルとラウンの共著「怪談」の中の民話に着想を得て作曲した歌劇です 序曲はオペラの魔的な世界を凝縮したような曲想です
首席クラリネット奏者の重松希巳江の演奏が際立っています
ワイケルトは重厚な音楽作りに徹します
2曲目は、「ウェーバー」の尻取りではないですが、ヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」です ウェーバーの4手のためのピアノ集と劇音楽『トゥーランドット』の音楽から選曲して4つの楽章からなる管弦楽曲として作曲しました
例によってプログラムに掲載された音楽評論家A氏の「プログラム・ノート」を読んだのですが、相変わらず何を言いたいのかさっぱり分かりません 私がいつも言っているように「曲目解説に文学は要らない
」のです。例えば、次の表現を読んで、あなたは理解できますか?
「・・・・つまりはウェーバーが先駆けたドイツ・ロマン主義の陰画としての残光を軽やかに明滅させて。こうして19世紀ドイツの主題は、恐怖の魔の力を避けて海を渡り、交響的に変容し、新天地で新しい表現を輝かせた」
”新天地”とはヒンデミットがナチスの弾圧から逃れてアメリカに渡った事実から、アメリカを指していることは分かりますが、何なのでしょうか”陰画としての残光を軽やかに明滅させて”というのは?さっぱり分かりません 私のように素人で頭の悪い聴き手にも分かり易く解説して欲しいと思います。独りよがりの文章は止めて欲しいと思います。易しいことを難しく表現するのは誰でもできます。しかし、難しいことを易しく表現するのは誰でも出来ることではありません
音楽の世界でそれが出来るのは音楽評論家という『プロ』でしょう。皆さんはどう思われますか?
さて、ワイケルトはこの曲でも重心の低いどっしりした音楽作りをします いかにも”ドイツ音楽”を意識させる指揮ぶりです
休憩後はこの日のメイン・プログラム、ブラームスの「交響曲第1番ハ短調」です。この曲は1855年頃(つまりブラームスが22歳の時)に作曲に着手され、1876年(ブラームス43歳の時)に完成した、つまり21年という年月を要した苦労の産物です ブラームスには超えるのが困難なベートーヴェンの9つの交響曲が常に頭の隅にありました。したがってベートーヴェンの交響曲を”超える”曲を作曲することに周到な準備をしていた訳です
この曲が完成した時、「これはベートーヴェンの第9交響曲に次ぐ交響曲第10番だ」という賛辞が寄せられました
実際、この曲を聴けばその賛辞が大げさではない的を射た表現だということが判ります
ワイケルトのタクトで第1楽章の序奏部が大管弦楽を背景にティンパ二の連打によって開始されます 前の2曲同様、どっしりした音楽作りです。ベートーヴェンを超えようとするブラームスの意欲が垣間見られるような堂々たる演奏です
第2楽章では、オーボエ首席の古部賢一、クラリネットの重松希巳江、ホルンの井出詩朗の独奏が光ります 聴きどころはやはり第4楽章の中盤、アルペンホルンの旋律が登場するところです。ブラームスは密かにシューマン夫人のクララを愛していましたが、1868年に彼女に当てた手紙の中にこの旋律の譜面が書かれているのです
ブラームスはその旋律を、8年後に完成した記念すべき交響曲第1番の最終楽章に登場させたわけです
ホルンの旋律の後は分厚い弦楽器により気持ちの良いメロディーが奏でられます そして力強いフィナーレになだれ込みます
会場一杯の拍手にワイケルトは何度もステージに呼び戻され、歓声に応えます あらためてこの人のプロフィールを見ると、1975年に巨匠カール・ベーム自身によりカール・ベーム賞が授けられています
その当時、クラシック音楽界は「カラヤン派」と「ベーム派」に分かれ、演奏論争が繰り広げられていました
どちらかと言うとスタイリッシュで軽快なテンポで演奏するカラヤンと、田舎のおっさん的な風貌でゆったりした音楽作りをするベームとにファンが分かれていたのです。私はどちらかと言うとベーム派で、特にモーツアルトの交響曲は彼の演奏が(今でも)”基準”になっています
カラヤン+ベルリン・フィルとベーム+ウィーン・フィルはそれぞれ80年代に生演奏で聴きましたが、ベームがNHKホールで公演に先立って演奏した重厚な「君が代」は今でも忘れられません。あれ程感動した国歌の演奏は前にも後にもありません
この日聴いたのは、そのカール・ベームに認められたワイケルトの指揮による演奏だったわけです。繰り返しになりますが、重心の低いどっしりした重厚な音楽づくりでした
一方、彼のオペラ指揮者としての実力には素晴らしいものがあります 私はワイケルトが指揮をしたオペラを新国立劇場で3回聴きました
2011年のR.シュトラウスの「サロメ」、2013年のモーツアルトの「魔笛」、2014年のモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」ですが、どれもが的確なモーツアルトのテンポで演奏していました
これ見よがしの派手さがまったくなく、地味な指揮者ですが私は素晴らしいコンダクターだと思います