10日(火)。わが家に来てから153日目を迎え、柄にもなくダイエットを気にするモコタロです
体重計に乗ったんだけど、コード踏んでたら正確に測れないよね
閑話休題
最近、当ビル8階廊下の窓から南の方角を映した様子です 中央の高いビルが虎の門ヒルズ、その右の奥のビルが六本木ヒルズ、その右の黒っぽいビルが東京ミッド・タウン、手前右のガラス窓のビルが飯野ビル、その手前の工事中のビルが現在解体中の旧・新生銀行ビルです
閑話休題
昨夕、初台の新国立劇場でプッチーニの歌劇「マノン・レスコー」を観ました キャストはマノン・レスコーにスヴェトラ・ヴァッシレヴァ、デ・グリューにグスターヴォ・ポルタ、レスコーにダリポール・イェニス、ジェロントに妻屋秀和、エドモンドに望月哲也、旅籠屋の主人に鹿野由之ほか。バックを務めるのはピエール・ジョルジョ・ラモンディ指揮東京交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団。ジルベール・デフロによる新演出です
舞台は18世紀後半のフランスのアミアン。青年騎士デ・グリューは、修道院に入ることになっていた美しいマノンに一目ぼれし、二人でパリに駆け落ちする マノンはパリでの貧乏暮しに嫌気が差し、大蔵大臣ジェロントの妾になる
しかし、贅沢だが愛のない生活に虚しさを感じていた。そんなマノンの前に再びデ・グリューが現われ愛を確かめ合う。それをジェロントに目撃され、マノンは姦通罪で流刑に処される
彼女の後を追ったデ・グリューと共にアメリカの荒野をさまようが、衰弱しきったマノンはデ・グリューの胸の中で息を引き取る
一言で言えば恋に一途な青年と贅沢病の女の絶望的な物語です オペラというのはだいたいそういう台本が選ばれています。それに作曲家が美しい音楽を加えることによって人々を感動させる訳です
実はこの公演は、4年前の3月15日(火)午後6時半から観るはずでした しかし、その4日前の3月11日に発生した東日本大震災の影響で急きょ中止になったのです。2011年は3月だけで8枚のチケットの払い戻しを受けました
プログラムに載った4年前のゲネプロの写真を見ると、マノン役のヴァッシレヴァとデ・グリュー役のポルタが載っている(プログラムの表紙もそう)ので、4年ぶりにゲネプロの成果が生かされることになった訳です
賑やかな前奏が始まると、隣席のアラフォーのイタリア人らしき女性の二人連れがヒソヒソ話を始めました これがずーっと続くのです。ヒソヒソ話なのでうるさくはないのですが煩わしいのです
歌手が歌っていようが、オケだけが演奏していようが、シチュエーションに関係なくひたすらヒソヒソやっているのです
「あの歌手のドレス、素敵ね
」「きっと、森英恵よ
」「あの人、いい男ねえ
」「私の好みじゃないなあ
」とか話しているのでしょうが、日本語ではないので会話の内容が分かりません。よくも続くものだと感心さえします。それが何と第1幕だけでなく第2幕も続いたのです
さて、マノン役のヴァッシレヴァはブルガリア生まれのソプラノですが、ウィーン、ミラノ、英国などの主だった歌劇場で歌っている実力者で、美しくも力強いリリコ・スピントで奔放ながら悲劇のヒロインを演じました
デ・グリュー役のポルタはアルゼンチン生まれのテノールですが、ベルリン、トリノ、フィレンツェなどの歌劇場で活躍しています 高音部が美しいリリコ・スピントです。白眉は第3幕のル・アーブル港で不幸を嘆き切々と歌うシーンです
この場面では、隣席のヒソヒソ話のアラフォー女性がハンカチで目頭を押さえていました
あんた泣いてんのね・・・だか~ら言ったじゃないの~
ジェロント役の妻屋秀和は凄いですね 何をやってもツボを押さえた演技と歌唱力で楽しませてくれます
シリアスな演技をやっても、今回のような三枚目をやっても、決まっています
今回の公演を成功に導いた大きな原動力は、ミラノ・スカラ座で10年間、首席オーボエ奏者を務めたというモランディの情熱的な指揮に応えてニュアンス豊かな演奏で歌手陣を支えた東京交響楽団の面々です 時にオケが雄弁に歌っていました
第2幕と第3幕の間に演奏される間奏曲は、近い将来待ち構える悲劇を暗示するような憂いに満ちた音楽ですが、モランディ+東響は感動的に演奏しました
舞台装置について言えば、極めてシンプルな舞台造りです。余計なものを一切そぎ落とした舞台は、返って聴衆の関心を音楽に集中させます
午後7時に始まった公演は第2幕と第3幕の間に休憩を挟んで、9時40分に幕を下ろしました 観終わって「この舞台は4年前に観るはずだったんだな」と、感慨深いものがありました