9日(月)。わが家に来てから152日目を迎え、夜は早く寝るように説得されるモコタロです
まだ眠くないんだってば~ もっと遊びたいよ~
閑話休題
昨日、サントリーホールで日本モーツアルト協会創立60周年記念公演「モーツアルト交響曲全45曲演奏会」のうち第4部と第5部を聴きました 第1部から第3部までの初期の交響曲は前日の7日にサントリーホール「ブルーローズ」で演奏されましたが、私は東京フィルの文京シビック”響きの森”コンサートがあったので聴いていません
第4部は午前11時から三ツ橋敬子が東京フィルを振って交響曲第22番から第30番までの9曲を演奏します 普通のコンサートで配られるプログラムがないので、2,000円を出して「60周年記念プログラム」を買うしかありません
やむを得ず買い求めましたが、内容は値段に見合った充実したものだったので後悔しないで済みました
ただし、コンサートのどこで休憩が入るのかが書かれていないので、その意味では不親切です
結局のところ、第22番~第25番、休憩、第26番~第28番、休憩、第29番~第30番という時間割で、休憩3回を含めると2時間半の所要時間でした
自席は2階LB1列6番、2階左サイドの最前列(1階席で言えば1列目と同じ位置)の左通路側席です。会場は5割程度の入りでしょうか P席(オケの後ろの席)はかなり埋まっていますが、1階後方や2階席は空席が目立ちます。中期の交響曲なので全体的にはこの程度の入りで仕方ないのかもしれません。でも、ちょっと寂しいです
東京フィルのメンバーが登場します。コンマスは女性です。正確に言えば東京フィルに女性のコンマスはいないので、フォアシュピーラーの栃本さんか平塚さんがコンマスを務めたのだと思います 総勢35人ほどのオケの配置は左奥にコントラバス、前に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります。前日、文京シビックで聴いた尾高忠明+東京フィルはオーソドックスな楽器配置でした。指揮者によってオケの態勢が変わる一例です。楽員を見渡すと文京の時とは違うメンバーです
何しろ東京フィルは団員が150人も居るので融通が利くらしく、2か所で同時公演も可能です。ちなみにこの日は午後2時から東京オペラシティコンサートホールで東京フィルの「午後のコンサート」があり、尾高忠明の指揮で文京”響きの森”と同じプログラムが演奏されるということなので、東京フィルはオペラシティ-とサントリーホールで同時にコンサートを開いていることになります
サントリーホールでこの日演奏するのはモーツアルトが17歳~18歳の時に生まれ故郷のザルツブルクで作曲した交響曲で、第22番から第30番までをケッヘル番号順に演奏するのですが、最近の研究によると有力な作曲順は26番、27番、22番、23番、24番、25番、29番、30番、28番という順番だそうです
三ツ橋敬子がタクトを持って指揮台に上がります。彼女は背丈が低いので指揮台は必需品です 第22番から順番に演奏しますが、主に管楽器が曲に応じて入れ替わったり、弦楽器が増やされたりします。三ツ橋敬子の指揮を見ていていつも思うのは、左手の動きが実に綺麗というか、華麗というか、美しいのです
2階の自席からは彼女の顔の左側がよく見えるのですが、曲の性格に応じて千変万化するのが実に興味深く見られます。P席に座りたがる人の気持ちがよく分かります
22番、23番、24番と演奏してきて、第25番の第1楽章「アレグロ」が鳴った時、今までの交響曲とは違った次元の曲だと感じました つまり、この曲は第40番の交響曲と同様、ト短調の交響曲なのです。45曲のうち短調はたったの2曲に過ぎませんが、2曲とも名曲中の名曲です
一方、もう一つ有名な第29番は優雅で穏やかな曲です。いずれの曲も三ツ橋敬子は躍動感溢れる華麗な指揮で東京フィルから、求める音を引き出していました
第5部は午後3時から井上道義が東京フィルを指揮して交響曲第31番から第36番までの6曲を演奏しました 自席は2階LC2列4番、2階の左センター寄り、前から2列目の左通路側席です。会場は第4部よりは多少聴衆が増えている程度です
コンマスは第4部と同じ女性です。オケは総勢46人ですが、メンバーの一部が入れ替わっています。第2ヴァイオリンの首席には戸上眞里、ヴィオラの首席には須田祥子がスタンバイしています。いよいよ真打登場といったところです
このメンバーで次の第6部まで行くのでしょう
井上道義は指揮台を使用しません。なぜなら指揮台から落ちる心配がないからです これは冗談です。タクトも持ちません
アイ・コンタクトで済ませるつもりです
最初の第31番「パリ交響曲」の演奏を楽しみにしていました。第1楽章冒頭から堂々たる響きです 実はもっと軽く出るのではないかと思っていたのです。井上の指揮は振りが大きく動きが激しいのが特徴です。第1ヴァオリンの方に行ったり、逆の第2ヴァイオリンの方に行ったり、忙しいったらありゃしない、といった感じです
時にボクシングのスパークリングのような動きも見せます
まあ、結果としてオケから出てくる音楽が良ければそれで良いのです
井上は第1楽章が終わったところで少し間を置きます。遅れて会場に到着したお客さんが席に着くのを待つわけです 井上は後ろが見えないので、会場の様子が分かりません。井上はほぼ正面の首席ヴィオラ奏者・須田祥子を見て「どう、もういい?」と無言で尋ねます。須田は会場内が落ち着いたのを見計らって、頷いて第2楽章開始OKのサインを送ります。これがさきに指摘した「アイ・コンタクト」です
さあ、私が注目するのは第3楽章「アレグロ」。井上は予想通り早めのテンポでグングン音楽を進めます
先日のブログで、私の場合モーツアルトの交響曲の演奏の基準は、カール・ベームの演奏だ、と書きました しかし、それには唯一の例外があります。それがこの第31番「パリ交響曲」、とくに第3楽章「アレグロ」なのです
ベームのテンポはまさに古き良き時代のゆったりしたテンポです。しかし、この交響曲の「アレグロ」はもっと速くなければならないと思うのです。この曲に関しては、オットマール・スイトナー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏が理想です
その意味で、この日の井上はスイトナーに近いテンポ設定で演奏していました
この日、最後に演奏された第36番「リンツ」には驚くべき作曲経緯があります。モーツアルトは1782年8月にウィーンでコンスタンツェと結婚しましたが、翌年7月から10月にかけて妻を連れてザルツブルクに里帰りしました そしてウィーンへの帰途で中間点のリンツに立ち寄ったのですが、10月30日に当地の伯爵の家に迎えられ、急きょその4日後の11月4日に演奏会を催すことになったのです
しかし交響曲を持ち合わせていなかったので、わずか4日間で新たに交響曲を作曲したのです
それがこのリンツ交響曲と言う訳です。4日間といいますが、オーケストラで演奏するには写譜をしていくつか楽譜を作らなければならないのでその時間も必要でしょうし、リハーサルの時間だって必要でしょう。それを考えると作曲だけのために実質的に4日間は無かったと思われます
そういうことを考えると、とても人間ワザとは思えませんが、モーツアルトは父親に書いた手紙の中で「自分は、頭に浮かんだ音楽をただ楽譜に書きとめるだけです」というようなことを書いてるので、まるで頭で作曲した音楽を写真で撮ったように、そのまま修正もなく譜面に書き写したのでしょう。だからこそ、モーツアルトは天才なのです
第5部の演奏は、第31番~第33番、休憩、第34番~第35番、休憩、第36番という時間割で演奏されました 曲と曲との間、楽員の入れ替えが行われている間、井上は舞台袖に引き上げることなく、ヴィオラ奏者やチェロ奏者に話かけたりして時間をつぶしていました。いちいち舞台袖に引き上げるより省エネが図れるわけです。これは合理的で良いことだと思いました
また、井上は演奏後、主だった管楽器奏者を立たせ、弦楽器群を立たせますが、他の指揮者に比べスマートです 炎の〇〇軒と呼ばれる熱血指揮者などのようにしつこくありません。さっぱりしています
かつて井上は「おれが!おれが!」という目立ちたがり屋的な側面が強く出ていて嫌味に感じていましたが、最近はそれが引っ込み、あくまでも主役はオーケストラだ、と言わんばかりにオケを立てます
重病を患ってからでしょうか・・・・きっかけは何であれ、良い傾向です
ところで、分厚いプログラムの指揮者のプロフィールを見たら、三ツ橋敬子の紹介記事の最後に「現在、イタリア・ヴェネツィア在住」とありました 一方、井上道義のプロフィールの最後を見たら「自宅にアヒルを飼っている」と書かれていました
ほかに書くことなかったの
6日から8日までの3日間でモーツアルトの曲だけで19曲聴いたことになります これ程モーツアルトを集中的に聴いたのは生まれて初めてです。日本モーツアルト協会の企画のお陰です。お礼を申し上げます。入会しないけど