2日(木)。わが家に来てから613日目を迎え、何故か北海道テレビ放送のマスコットを紹介するモコタロです
北海道テレビ放送のマスコット”ねんどろいど着ぐるみonちゃん”です ヨロピク!
きみ すっとぼけてないで 挨拶しなさい 記者会見なんだから
二日酔い もとい フツツカモノですがヨロピクお願いしますだ!
閑話休題
9月19日(月・祝)午後1時半からサントリーホールで開かれる「オルガン・カフェ#3」のチケットを同ホール・メンバーズ・クラブの先行発売で買いました プログラムは①メンデルスゾーン「交響曲第4番イ長調”イタリア”」から第1楽章(オルガン演奏)、②ニーノ・ロータ「ゴッドファーザー」から、③マスカー二「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲、④タルティーニ「トランペット協奏曲ニ長調」から第3楽章、⑤ヴィエルヌ「オルガン交響曲第1番」から最終楽章です
演奏は、オルガン=山口綾規、トランペット=高見信行、ナビゲーター=川平慈英です
も一度、閑話休題
昨日午後、内幸町のNPCビル10階のPCホールで、日本記者クラブ主催による「もう一つの日中韓」と題するフィラデルフィア管弦楽団メンバーによる演奏と記者会見があり、出席しました
記者クラブでは 同オーケストラが来日し 音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンと演奏ツアー(5月31日~6月5日、東京、大阪、川崎)を挙行する機会を捉えて、東アジア3か国と米国の音楽家の4人が室内楽の演奏と、記者会見を行うことになったそうです
第1部はフィラデルフィア管弦楽団の4人のメンバーによる弦楽四重奏の演奏です 出演メンバーは、ヴァイオリン=Ying Fuさん(中国)、大城恵美さん(日本)、ヴィオラ=Marvin Moonさん(韓国)、チェロ=Derek Barnesさん(米国)です。両親とも日本人ではあるけれどアメリカ生まれの大城さんが曲目を紹介して演奏に入ります
最初にボロディン「弦楽四重奏曲第2番ニ長調」から第3楽章「夜想曲」が演奏されました クラシック音楽愛好家にはお馴染みの曲ですが、かつてNHK-FMのクラシック音楽番組のテーマ音楽としても使われていました。まさに「ノクターン」というニックネームに相応しい静かで穏やかな曲です
次にベートーヴェン「弦楽四重奏曲第11番ヘ短調”セリオーソ”」から第4楽章が演奏されました この曲は今回の来日公演プログラムに「弦楽合奏版」による演奏として組まれています。この曲を抜粋で聴くには、「セリオーソ」(「厳粛な」という意味)というタイトルからして、第4楽章よりも第1楽章の方が理解し易いと思ったのですが、演奏時間の関係などもあったのでしょう
穏やかな音楽が、フィナーレに至って急に忙しなくなり突然 曲が閉じられます
何故ベートーヴェンは「セリオーソ」のフィナーレにこういう音楽を書いたのか不思議な気がしますが、これがベートーヴェンらしいところと言えばそうかも知れませんね
大きな拍手の後、同管弦楽団の事務局長のアリソン・ヴァルガモアさんが挨拶しました
「ツアーの中で、小グループの集まりで演奏する機会がありますが、今回の記者クラブの会見のように、最初に演奏して 後からスピーチをするというのは今回が初めてのことです でも、この方が良いと思います。われわれのオーケストラは一人一人が文化大使と考えております
今回のツアーではアジアから25人のメンバーが参加していますが、これはオケのメンバーの4分の1を占めています
われわれのオケは、アメリカのワシントン記者クラブでも演奏しましたが、日本のこの会場の方がずっと素晴らしいと思います
今回は東京、大阪のほかに、川崎で初めてコンサートを開催します。われわれは世界の各都市で演奏しますが、その先々がオケのメンバーの出身地であることを誇らしく思います
」
そして、次に演奏した4人に一人ずつ自己紹介をしてもらいました。第1ヴァイオリンのイン・フーさんは上海音楽院出身で、最初にクリーヴランド管弦楽団で演奏し、フィラデルフィア管弦楽団に移ったとのことです 第2ヴァイオリンの大城恵美さんは両親が沖縄と福島の出身ですが、アメリカで生まれ育ったそうです。子どもの頃はスズキ・メソッドで学び、ジュリアード音楽院を卒業したとのこと
ご主人もフィラデルフィア菅のクラリネット奏者で、音楽一家だそうです
ヴィオラのムーンさんは韓国人ですが、フィラデルフィア生まれで、9歳の時からフィラデルフィア管の演奏を聴いているそうです。カーティス音楽院の出身で、最初ボストン交響楽団で演奏し、フィラデルフィア管弦楽団に移ったそうです 毎週、コンサートに通っていたら、フィラデルフィア管の首席ヴィオラ奏者から声を掛けられ、ヴィオラを演奏しないかと誘われたそうで、それがキッカケでプロのオケで演奏するようになったとのことです
チェロのバーンズさんは入団21年になるベテランですが、子どもの頃はスズキメソッドで学び、カーティス音楽院を出たそうです
父親はオーマンディ時代のフィラデルフィア管の首席ヴィオラ奏者で、母親はピアニスト、娘さんもピアニストという音楽一家だそうです
自己紹介が終わって、質疑応答の時間になりました。最初に個人会員の某氏(全国紙出身)が手を挙げ、
「今回の記者会見のタイトル『もう一つの日中韓』というのは、政治的にこの3国が上手くいっていないことから付けたタイトルだと思うが、現在の日本、中国、韓国に横たわる政治的な諸問題について音楽家としてどう思っているか。大城さんにお伺いしたい」
と質問しました。これに対し、大城さんは、困った表情を見せながら、
「こういう質問を受けるのは初めてです 自分は両親とも日本人で、アメリカに渡って私が生まれた訳ですが、それを理由に差別されたことは全くなかったです。そういう意味でアメリカはオープンな国だと思います
アメリカで育った関係もあり、そうした政治的な事項について考える機会が無かったことは、自分にとってはラッキーだったのかもしれません。普段からそうした政治的なことについて考えているわけではありません。自分として出来ることは音楽を通じて国境を超えることだと思うし、それが音楽をする人間の特権だと思っています
政治的なことを避けて音楽だけを考えれば良いというのは甘いと言われるかも知れませんが、音楽家としては そうすることしかできません
」
と答えると、会場から大きな拍手が起こりました 次に全国紙の女性記者が質問に立ち、
「現在、日本と中国と韓国の間の関係について、どう思っているか、中国のイーさんと韓国のムーンさんにお聞きしたい」
と同じような質問をしました。これについては二人とも、「政治的な問題があることは理解していますが、それをどうしたらよいかといったことは普段考えているわけではありません。自分たち音楽家は音楽を通して世界に何らかの貢献をしたいと思っています」という趣旨の発言をして、彼らも会場から大きな拍手を受けていました
この2人の質問は、日本記者クラブの記者会見ならではの質問だったと思います 例えば音楽雑誌や音楽番組などの記者会見だったらこういう質問は出てこなかったでしょう。大城さんをはじめ3人のアジアからの演奏家は、あくまでも自分たちの演奏活動を より多くの人たちに理解し、演奏を聴きに来てほしいと思って会見に臨んでいるはずです。一方、会場に来ている参加者の多くは、短いながらプロの生演奏に接し、オーケストラや音楽のことについて聞きたい として集まっているはずです
二人の質問に対する3人の答えの後、会場から大きな拍手が起きた理由を考えてみる価値があると思います 自分を含めて多くの参加者は「せっかく日本に来て記者会見に臨み演奏までしてくれたのに、回答に困るような質問をするのか。私たちの多くは皆さんのことを理解していますよ
」という気持ちを込めて、真摯に 率直な回答してくれた3人の演奏者に大きな拍手を送ったのではないか、と思います
私から言わせてもらえれば、3人の答えは最初から分かり切っていました。音楽家は音楽を通じて国境を超えて人々に訴えるのです 私が質問するとしたら、「フィラデルフィア管弦楽団は、2011年に再建型の連邦倒産法(日本で言えば「会社更生法」)の適用を申請するに至り、一旦破産したわけだが、その時、演奏者としての地位・立場がどう変わったか(給与面など)、あるいは、どのようにしてオケは1年足らずで再生し復活を遂げたのか、その理由を知りたい。もう一つは、日本はオーケストラの収入は定期会員を中心とする会費収入が高い割合を占めているが、フィラデルフィア菅の収入基盤はどうなっているのか。アメリカのオーケストラは多くの割合を寄付金収入に頼っていると聞いているが、2011年の破産宣告の時は個人からの寄付金収入が思うように集まらなくなって危機に陥ったと聞いている。どのように危機を乗り越えたのか?」というようなことを聞くでしょう
質疑応答の後、司会者から「先ほど、事務局長のアリソンさんから、記者会見の時は最初に会見を行い 後で演奏するスタイルが通常のスタイルだという話があったので、ここで、サプライズとして最後にもう1曲アンコールを演奏していただき、この会見を終わりたいと思います」とアナウンスがあり、4人は慌てて楽器を取りに戻りました。彼らにとってもサプライズだったようです 先ほど演奏したベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95”セリオーソ”」の第4楽章「ラルゲット・エスプレッシーヴォ ー アレグレット・アジタート」のフィナーレ部分を演奏しました
演奏はわずか数小節で、あまりにも短すぎてビックリしました。まさにサプライズでした
ところで、個人的にフィラデルフィア管弦楽団で思い出すのは、70年代後半だったか、ユージン・オーマンディとともに来日して東京文化会館で演奏した時に聴きました その時はブラームスの交響曲(第3番だったか?)の演奏を聴いて、あまりにも金管楽器がゴージャス過ぎて(これが有名な”フィラデルフィア・サウンド”か
と驚きましたが)、ブラームスには向かないオケではないか、と生意気にも思いました
懐かしい思い出です。今のフィラデルフィア・サウンドはどうなんだろうか?と考えたりしました
最後に、今回の貴重な機会にお声がけくださった ゆえさん にお礼を申し上げます
最後の、閑話休題
記者会見の後、帰ろうとすると、元の職場の若者たちに発見され、飲み会に誘われてしまいました 気の弱い私は断ることが出来ず、PCビル地下の焼き鳥KでE元部長、T君、K君と4人で飲むことになりました
生ビールと焼酎の水割りを飲んで、7時ごろ帰ろうとすると、E元部長が、新橋で新しいお店を開拓したからそこに飲みに行こう、歌も歌えるし、と”悪魔の囁き”で誘うではありませんか
気の弱い私は断ることが出来ず、ついていくことになりました。そこで、ウイスキーの水割りを飲んで2曲?歌ったので、帰りが予定より大幅に遅くなりました
というわけで、幸か不幸か娘は帰りが遅いと言っていたし、息子は帰宅が早くて10時半、遅いと0時を回るので、家に帰ってから夕食を作りました 毎日深夜帰宅状態の息子の体力をつけなければならないので、ステーキを焼いて、サラダを作りました