人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「ディスカバリー・ナイト」で「時の終わりの四重奏曲」を聴く/「殺人狂時代」「他人の顔」を観る

2016年06月18日 07時30分00秒 | 日記

18日(土)。わが家に来てから629日目を迎え、新しい仲間とやっと馴染んできたモコタロです

 

          

              ぼくたちは お互いに日本語をしゃべれないところが共通点なんだよな

 

  閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「第3回 仲代達也映画祭」最終日、「殺人狂時代」と「他人の顔」の2本立てを観ました 「殺人狂時代」はチャップリンではなく、岡本喜八監督・脚本による1967年 モノクロ映画(99分)です

 

          

 

犯罪心理学の大学講師・桔梗信治(仲代達矢)はある日、「大日本人口調節審議会」という不可思議な団体の男の訪問を受け、信治の命をもらうと言われる しかし、亡き母のブロンズ像が落ちてきて男は死んでしまう。桔梗はなぜ自分が命を狙われるのかを突き止めるため、特ダネを狙う週刊誌記者の鶴巻啓子(団令子)とチンピラの大友ビル(砂塚秀夫)を仲間に引き入れ、「大日本人口調節審議会」の正体を暴くべくポンコツ自動車を駆りながら暴れまくる

「大日本人口調節審議会」というのは、人口調節のために無駄な人間を殺すのが目的の組織という設定です 多くの映画でシリアスな演技を見せる仲代が、すっとぼけた一面を見せる映画です 最初に登場する桔梗は足の水虫に悩まされるド近眼の大学講師ですが、スーツを着ると一転、カッコいい男に変身します その変身ぶりが見どころのひとつです

どうやらこの映画はあまりの荒唐無稽な内容に一時オクラ入りになったらしいのですが、理屈抜きで楽しめる映画でした

2本目の「他人の顔」は阿部公房原作・脚本、勅使河原宏監督による1966年 モノクロ映画(121分)です

 

          

 

奥山常務(仲代達矢)は仕事中、顔に大やけどを負いケロイド状になり、頭と顔を包帯ですっかり覆われる身となった 顔を失うと同時に妻(京マチ子)や共同経営者からも疎まれると思い込むようになる。そこで彼は仮面を作り まったく顔を変えて生きることを考え付き、病院を訪ねる 医者(平幹二朗)は仮面に実験的な興味を持ち、仮面製作を引き受ける。知り合いが自分を見破ることができないことに自信を持った奥山は仮面を付けて自分の妻を誘惑する しかし、妻はまったく別の顔の男が奥山であることを見破った。奥山は「自分は誰でもない」と自暴自棄になり 衝動的に女を襲い警察に連行される 医者は奥山に仮面の返還を求めるが、彼は拒否する。医者が「君だけが孤独じゃない。自由というものはいつだって孤独なんだ。剥げる仮面、剥げない仮面があるだけさ。君は自由なんだ。自由にしたまえ」と言うと、奥山はナイフで彼を刺し殺す

この映画の主張は、「自由というのはいつだって孤独なんだ。剥げる仮面、剥げない仮面があるだけさ」という医者の言葉に集約されると思います 誰だって、他人には見せない顔を持っているのではないかと思います

さて、この映画では電子音楽のようなものが使われていますが、この映画の音楽を担当しているのは武満徹です 奥山と医者がビヤホールで語り合うシーンに、当時36歳の武満徹も登場しています タバコを吸いながら静かに微笑んでいるシーンで、セリフはありません。武満は多くの映画音楽を書いていますが、映画に登場するシーンは極めて珍しいのではないでしょうか

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、サントリーホール「ブルーローズ」で、サントリーホール・チェンバーミュージックガーデン「ディスカバリー・ナイト」を聴きました プログラムは①武満徹「雨の樹 素描Ⅱ オリヴィエ・メシアンの追憶に」、②同「カトレーンⅡ」、③メシアン「時の終わりのための四重奏曲」です 出演はヴァイオリン=成田達輝、チェロ=横坂源、クラリネット=吉田誠、ピアノ=萩原麻未です

 

          

 

自席はC3列2番です。照明が消え会場が真っ暗になった中、4人の奏者が静かに舞台に登場します。照明が白と黒を基調とするエレガントな衣装に身を包まれたピアニストの萩原麻未だけに当てられます。

1曲目はピアノ独奏による武満徹「雨の樹 素描Ⅱ-オリヴィエ・メシアンの追憶にー」です 1992年4月に死去したメシアンを追悼するために その年に作曲・初演されたピアノ独奏曲です 「雨の樹」シリーズは大江健三郎の短編小説「頭のいい『雨の樹(レイン・ツリー)』(1980年発表)に触発されて作曲されたそうです 萩原麻未の指から神秘的な音楽が紡ぎ出されます

演奏が終わると会場が再度 真っ暗になり、今度は4人の奏者に照明が当てられます。ピアノを奧にして、左からクラリネットの吉田誠、ヴァイオリンの成田達輝、チェロの横坂源という並びです

2曲目の「カトレーンⅡ」はヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノのための四重奏曲です  「カトレーン」というのは「4行詩」「4行連」のことを意味します  この曲は、1週間前の6月10日の「ENJOY!ウィークエンド 未来編」で日本・シンガポール合同メンバーによる演奏で聴いたばかりです この日の4人の演奏を聴いて「これが本当に1週間前に聴いた同じ曲だろうか?」と思うほど、まったく違う曲に聴こえました 1回目は初めて聴いたということもあって、”難しい曲”といった印象で まったく理解不能でしたが、今回は理解できるまでには至らないものの、武満の音楽の機微とか深さがある程度伝わってくるように思いました 4人の演奏者がそれぞれ、聴く側に語り掛けてくるような印象を受けました

演奏後、4人がそれぞれマイクを持って挨拶と曲目の解説をしてくれましたが、萩原麻未の次のような挨拶が印象に残りました

「武満徹の音楽を 最初にピアノ・ソロで、次に四重奏で演奏しましたが、武満徹の手書きの楽譜を見ながら演奏しました 楽譜はきめ細かく書かれていて、弾きながら自然の息吹とか、静かな佇まいといったようなことを感じました

この発言を聞いて、この日の映画「他人の顔」で見た静かに微笑む武満徹の顔を思い出しました

また、横坂源は

「次に演奏するメシアンの曲は、バッハに通じるところがあると思います プロテスタント(バッハ)とカトリック(メシアン)の違いはあるものの、共にキリスト教の熱心な信者で、強い信仰心を持っていて、それが曲に反映されているのではないかと思います

と語っていました

 

          

 

プログラム後半はオリヴィエ・メシアン「時の終わりのための四重奏曲」です 曲名としては「世の終わりのための~」として覚えてきたのですが、どうやら直訳すると「時の~」となるようです 

メシアンは第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、ドイツ東部のゲルリッツにあった捕虜収容所に収容されていましたが、この曲は1940年に収容所の中で作曲されました メシアンをはじめ捕虜たちによって1941年に初演されました。曲想は「新約聖書」の「ヨハネ黙示録」第10章に基づいています

演奏は「カトレーンⅡ」と同じくヴァイオリン=成田達輝、チェロ=横坂源、クラリネット=吉田誠、ピアノ=萩原麻未です

曲は全8楽章から成りますが、4人が演奏に加わる楽章もあれば、無伴奏曲もありといった具合で、いろいろな形式で構成されています

第1楽章「水晶の礼拝」を聴くと、あちこちから鳥の鳴き声が聴こえてきます

第2楽章「時の終わりを告げる天使たちのヴォカリーズ」は、萩原麻未のピアノの強打から入ります ここで、隣の男性がビクッと身体を震わせました

第3楽章「鳥たちの深淵」はクラリネットの独奏により、最弱音から最強音まで、息の長い旋律が奏でられます 吉田誠の演奏は緊張感に満ちた素晴らしいパフォーマンスでした

第4楽章「間奏曲」は、まるでポルカのような賑やかな曲で、どちらかというと楽しい音楽です

第5楽章「イエスの永遠性への頌歌」はピアノ伴奏によりチェロが美しいメロディーを奏でます。横坂源のチェロはしみじみと聴かせてくれました

第6楽章「7つのラッパのための狂乱の踊り」は4つの楽器が総動員で演奏される活気のある音楽です

第7楽章「時の終わりを告げる天使のための虹の錯乱」はチェロの独奏から入りますが、途中から4人によるリズム中心の曲想に変化します この楽章における萩原麻未のピアノはリズミカルで迫力がありました

第8楽章「イエスの不滅性への頌歌」はピアノ伴奏によりヴァイオリンが崇高なメロディーを奏でます 成田達輝のヴァイオリンは終始弱音による演奏でしたが、会場の隅々まで美しい音が響き渡りました

最後の音が静かに鳴り終わって、4人の奏者がじっと動かず、しばし”しじま”が続きました 成田がヴァイオリンの弓を降ろせば拍手が来るところですが、彼はなかなか降ろしませんでした。終わるのが名残惜しそうです

この4人は日本全国を回ってこの曲を演奏している(横坂氏の説明では今回が4回目)とのことです 若者たちの演奏は気持ちの良いものがありました それにしても、この曲は本当にナチの捕虜収容所の中で書かれたのだろうか、と思わずにいられません

 

          

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