人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

渡辺玲子レクチャーコンサート(ハクジュホール)のチケットを買う/五味康祐著「西方の音」を読む

2016年06月07日 07時24分07秒 | 日記

7日(火)。昨日は明治通りをいつもと反対の方向に歩くことにしました いつもは白山通りと明治通りが交差する西巣鴨の交差点を左折して池袋方面に行くのですが、昨日は右折して王子方面に歩きました 所要時間は約25分弱。池袋までは約30分なので、王子の方が近いことが分かりました 池袋にも用事があったので王子駅からJRで池袋に出て、買い物の後 昼食を取って、再び歩いて巣鴨まで帰ってきました。もちろん万歩計は1万1千歩を軽く超えていました 

ということで、わが家に来てから618日目を迎え、何故か嫌いなはずの毛づくろい用ブラシを噛もうとしているモコタロです

 

          

           ぼくが嫌いなのは 毛づくろいじゃなくて 爪切りだってば!

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「ビーフ・シチュー」と「生野菜とワカメのサラダ」を作りました 材料が同じなので見た目はカレー・ライスと同じですが、あくまでもビーフ・シチューです

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

10月20日(木)午後7時からハクジュホールで開かれる「渡辺玲子プロデュース レクチャーコンサート」のチケットをネットを通じて買いました 演奏曲目は①ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調”春”」、②シューマン「F.A.E.ソナタ」より「間奏曲」、③ブラームス「F.A.Eソナタ」より「スケルツォ」、④フランク「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」です 出演はヴァイオリン=渡辺玲子、ピアノ=江口玲です

「レクチャーコンサート」は、私のように学生時代にブラバンをやっていたわけでもなく、音大を出たわけでもない音楽素人にとっては、非常に勉強になるコンサートです 古典四重奏団による「レクチャーコンサート」は何回か聴きましたが、とても分かり易い解説でした ヴァイオリンとピアノの組み合わせによる「レクチャー・コンサート」は初めてなので、今から楽しみです

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

五味康祐著「西方の音」(中公文庫)を読み終わりました 五味康祐は1921年大阪・難波生まれ。53年に「喪神」で第28回芥川賞を受賞しています。いわゆる剣豪ブームを巻き起こした「柳生武芸帳」の著者と言った方が分かり易いでしょう

この本は、ステレオ装置を求めてヨーロッパへ渡った1963年秋から、新しくは69年春まで、『芸術新潮』に『西方の音』と題して発表したエッセイをまとめたものです

 

          

 

文末の解説で文芸評論家の新保祐司氏が五味康祐について次のように書いています

「プロ野球、麻雀、手相などはこの程度の扱いでもいいだろうが、この音楽通ということは、それで済むことではなく、五味康祐という作家の核心につながっていたように思われる 音楽通というようなディレッタンティシズムの次元の話ではなく、音楽は五味という人間の最も深いところに突き刺さっていたからである

つまり、五味康祐という人は、小説だけでなく、プロ野球の知識、麻雀の腕前、手相を見ることにかけてはプロ並みである上に、音楽に関してはプロにも負けないほどの知識と情熱を持ち合わせていたということです ここで「音楽」というのは、西洋音楽のことであり、またその音楽を再生させるオーディオ機器のことも含んでいます。この本は音楽に関するエッセイ23篇を収録しています

エッセイのタイトルを見ると「ぺレアスとメリザンド」(ドビュッシー)、「ピアノ・ソナタ作品109」(ベートーヴェン)、「セレナード”ハフナー”」(モーツアルト)など 作品について書いたもの、「バルトーク」「カラヤン」「ワグナー」「シベリウス」「ラヴェルとドビュッシー」など 音楽家について書いたもの、「不運なタンノイ」「米楽団とオーディオ」「トランジスター・アンプ」「わがタンノイの歴史」など オーディオについて書いたもの、と音楽を取り巻く幅広いテーマについて書き綴っています

「タンノイ」の話が2度出てきますが、これは英国の伝統的なスピーカーのことです。私も五味氏ほどの高級スピーカーではないものの、昔からタンノイのスピーカーでLPレコードを聴いているので親近感を覚えながら読みました

そもそもデビュー作『喪神』の着想を、ドビュッシーのピアノ曲『西風の見たもの』から得たということで、それほど音楽にこだわりを見せていると言えます。どのエッセイを読んでも、氏のクラシック音楽に対する造詣がいかに深いか、そしてオーディオ装置にハイ・フィディリティを求める欲求がいかに並外れているかが分かります

ひとつだけ、カラヤンに関する面白いエピソードをご紹介しておきます(「トランジスター・アンプ」より)

「カラヤンの暗譜で指揮をとるのは有名で、ある楽員が、あなたはどうして暗譜で振らないのですかとクナッパーツブッシュに訊いたら、『俺はだれかと違って譜が読めるからね』とクナッパーツブッシュは皮肉をいった。これを聞いて以来、単に暗譜だけでなく、目を閉じて指揮をするようになったというゴシップがあるそうだ。本当かどうかは知らない

これを読んで、思わずニヤリと笑ってしまいました いかにもありそうな話です

クナッパーツブッシュで思い出しましたが、彼はリハーサル嫌いで有名で、1955年だったか、ウィーン国立歌劇場管弦楽団を指揮してリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」のリハーサルに臨んだ時、「諸君はこの曲を良く知っている 私も良く知っている それではリハーサルをやる意味はどこにあるのか?」と言い放って帰ってしまったというエピソードがあります 残念ながら この本には載っていません

偉大な作曲家とその作品について語る次の記述は興味深く読みました(「日本のベートーヴェン」)

「およそベートーヴェンの芸術から『運命』や『英雄』『第九』を除外することは他のどんな作曲家におけるよりも不可である モーツアルトはシンフォニーがなくともオペラを聴ければいい。バッハは極言すれば『カンタータ』と『受難曲』があればよい。シューベルトは歌曲を聴けば足りる。交響曲を抜きにしてその音楽を語れないのは、いまならかろうじてマーラーとブルックナーくらいだろう。百余のシンフォニーを書いたハイドンさえ、ベートーヴェンの下敷みたいなものだった」 

ここで五味氏が主張しているのは、クラシック音楽界におけるベートーヴェンの作品、その中でも交響曲の占める位置の高さです その点、先日このブログでご紹介した宮本直美著「コンサートという文化装置」でも同様の指摘がなされています。1960年代に すでに五味氏は本質を突いています

これはクラシック音楽好き、あるいはオーディオ・マニアにはたまらなく面白い本です。お薦めします

コメント (2)
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