27日(月)。わが家に来てから638日目を迎え、メデュースの輪に取り囲まれ身動きできなくなったモコタロです
どこがメデュースの輪だい? ただの電源コードにカバーしただけじゃん
閑話休題
昨日、サントリーホールで東京交響楽団の第641回定期演奏会を聴きました プログラムは①グリンカ「歌劇”ルスランとリュドミラ”序曲」、②ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、③チャイコフスキー「交響曲第6番ロ短調”悲愴”」というオール・ロシア・プログラムです
②のヴァイオリン独奏はフランチェスカ・デゴ、指揮はダニエーレ・ルスティオー二です
今回指揮をとるダニエル・ルスティオー二は1983年イタリア・ミラノ出身の俊英(33歳)です 2014年からトスカーナ管弦楽団の指揮者を務めていますが、2017-18シーズンからリヨン国立歌劇場首席指揮者に就任するとのことです
これで疑問の一つが解消しました。先日のブログで「2018年9月から大野和士氏が新国立劇場の芸術監督に就任することが決まったが、リヨン国立歌劇場首席指揮者を兼任するのかどうか不明である」と書きましたが、ルスティオー二が後を継ぐことになったわけです
大野氏の新国立劇場の芸術監督の受諾はこれが一番大きな動機でしょう
プログラムの中にルスティオー二へのインタビュー記事が載っていますが、その中で、彼はイタリアの若手”三羽烏”の一人として紹介されています 他の2人はボローニャ市立劇場の首席指揮者ミケーレ・マリオッティ(36歳)と、東京フィルでもタクトをとるアンドレア・バッティストーニ(28歳)です
コンマスの水谷晃以下東響のメンバーが配置に着きます。オーボエの合図でチューニングが行われますが、久しぶりに首席・荒絵理子さんの姿を見ました
1曲目のグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲は、プーシキンの詩に基づく古代ロシアを舞台にしたオペラの序曲ですが、今では序曲だけが有名です この曲の一番の魅力はスピード感です
いかに速く演奏するかが指揮者とオケに課せられています。ロシアの巨匠ムラヴィンスキーの演奏スピードを超えることが出来るかどうかが関心の的です
曲自体には大きな魅力はありません
ルスティオー二は期待通りのスピードで東響を煽り立て、全曲を走り抜けました ルスティオー二は演奏後、ティンパ二奏者を立たせていましたが、大活躍でしたね
2曲目はショスタコービチ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調」です。ソリストのフランチェスカ・デゴは1989年イタリア・レッコ出身の27歳です。相当の長身で、ご主人のルスティオー二よりも背が高く、美人です。黒と白の横ストライプのエレガントなロングドレスで登場します
ショスタコーヴィチはこの曲を1947年6月~48年3月に作曲しましたが、ちょうどこの頃は、スターリン体制の中心人物ジダーノフの検閲が厳しかった時期で、ショスタコーヴィチはこの曲を公表することが出来ませんでした 1953年にスターリンが死去した2年後の1955年10月、友人のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの独奏で初演に漕ぎ着けました
協奏曲としては珍しい4楽章から成ります
第1楽章は「ノクターン」と名付けられています。その名の通り、静寂に満ちた音楽で、独奏ヴァイオリンが何かを独白しているような曲想です 『静寂』を音で表したらこのような音楽になるのではないか、と思うほどです
プログラムのプロフィールによると、デゴの操るヴァイオリンは1734年製のグァルネリ・デル・ジェスと1697年製のフランチェスコ・ルジェーリの2挺ですが、どちらで弾いているにせよ、弱音にも関わらず、明確な音が会場の隅々まで飛んでいきます
第2楽章はスケルツォです。この楽章ではヴァイオリンとオケとの丁々発止のやり取りが聴きものです この曲の一番の聴きどころは第3楽章のパッサカリアでしょう。とくに最後に置かれたカデンツァは、デゴの独奏ヴァイオリンが、咳払い一つない静寂の会場に美しく響き渡ります
集中力に満ちた素晴らしい演奏でした
続いて第4楽章に入りますが、この楽章はショスタコーヴィチ得意のアイロニカルな曲想で、軽妙洒脱な音楽です。デゴとオケとのフィナーレは圧倒的でした
満場の拍手とブラボーに、デゴはアンコールに応え、イザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番『バラード』(全1楽章)」を超絶技巧により演奏しました それでも鳴り止まない拍手に2曲目、パガニーニの「24のカプリース」から第16番ト短調を鮮やかに演奏しました
ロングドレスの裾をたくし上げて悠々と引き上げていくデゴの後を、ドレスの裾を踏まないようについていくルスティオー二が何ともユーモラスで、いいカップルだな、と思いました
休憩後はチャイコフスキー「交響曲第6番ロ短調”悲愴”」です この曲は1893年に作曲されました。1891年時点では「人生」というタイトルが付いていたといいます。その後「悲愴」になったわけですが、チャイコフスキーにとっては「人生=悲愴」で、どちらでも同じ意味だったのかも知れません
初演前には、同性愛の対象であることを認めているコンスタンチン大公に「魂のすべてをかけた」と伝えているので、この作品を「生涯の総決算」と位置付けていたと思われます
したがって、それまでの交響曲のように、大団円で終わるようなフィナーレは書けなかったのでしょう
プログラム前半ではタクトを振っていたルスティオー二ですが、チャイコフスキーのこの曲ではタクトを持ちません あたかも両手で音を紡ぎ出すように音楽作りを進めます
第1楽章の冒頭、ファゴットが 憂鬱を音にしたような暗いメロディーを奏でますが、福士マリ子の演奏は素晴らしかったです
第2楽章は、いかにもチャイコフスキーらしいダンスでも踊れるようなメロディーです そして、第3楽章は”行進曲”です。タイトルの”悲愴”はいったいどこにいったのか、と疑問を持つようなあっけらかんとした熱狂が続きます
オーケストラの定期演奏会でないコンサートでは、しばしば、この楽章が終わるや否や大きな拍手が起こりますが、そこは東響の定期公演です。シーンとしています
そして、第4楽章フィナーレに移ります。「アダージョ・ラメントーソ」です。この楽章におけるルスティオー二は、気迫の迫る指揮ぶりで、ラメントーソ(哀悼)を念じる彼の呼吸がそのままオケに反映して、オケから深い息づかいが聴こえてきます。東響は渾身の演奏を展開します
最後の音が鳴り終わっても、誰一人拍手をするも者はいません。ルスティオー二の両手が降ろされると、会場のそこかしこからブラボーがかかり、大きな拍手がステージに押し寄せました
ルスティオー二は指揮台から降りて、コンマスの水谷と握手、そしてハグを求めます 指揮者がコンマスにハグを求めるのは極めて珍しい光景です。よほど会心の出来だったのでしょう
オケの面々を立たせ、何度もガッツポーズを作っていました
ルスティオー二の東響デビューはかくして大成功裏に終わりました
ところで、さきの「三羽烏」の話に戻りますが、マリオッティはロッシーニやベッリーニなどオペラを、バッティストーニもやはりヴェルディやプッチーニなどオペラを中心に振っているようですが、このルスティオー二は、もちろんオペラも振るものの、チャイコフスキーをはじめとするロシアの音楽を積極的に取り上げているところが他の2人と違うようです
その点、彼はインタビューの中で、
「2008年から09年までの2年間、サンクト・ペテルブルクのミハイロフスキー劇場の首席指揮者を務めたが、近くにテミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルがあった。彼らの演奏を多く聴く中で、自分自身がロシアの交響曲を数多く指揮するようになった」
と語っています。3人の若きイタリア人指揮者の中で一番レパートリーが広い指揮者かもしれません まだ33歳と若いので、これからの活躍が楽しみです