5日(日)。わが家に来てから616日目を迎え、風船を相手に何かを語るモコタロです
君がパーンと割れると 風船の灯だな なんちゃって
閑話休題
昨日、新宿ピカデリーに行ってMETライブビューイング、リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」の座席指定を取ってきました 6月8日(水)午前10時からの部です
これで今シーズンのMETライブビューイングも終わりです。今シーズンは全10作品を観ることになりますが、これで終わりかと思うと一抹の寂しさを感じます
10作品の座席指定券の半券を揃えて松竹に送ると「オリジナル オペラ鑑賞ノート」がもらえるというので、応募することにしました さらに抽選で2組4名にMETライブビューイング撮影公演に招待するとのことですが、これは期待していません。ダメ元だと思っています
も一度、閑話休題
今年も「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン」が始まりました これは毎年6月にサントリーホール「ブルーローズ」(小ホール)で開かれている室内楽の祭典です
昨夕はオープニング・コンサート「堤剛プロデュース2016」が開かれました
プログラムは①マルティヌー「チェロ・ソナタ第2番」、②シュ二トケ「チェロ・ソナタ第1番」、③野平一郎「触知できない領域~チェロとピアノのための~」、④ブリテン「チェロ・ソナタ ハ長調」です
演奏はチェロ=堤剛、ピアノ=野平一郎です
自席はC4列1番、センターブロック左通路側です。会場は9割方埋まっている感じでしょうか
さて、私にとって この日のプログラムには問題があります というのは全4曲とも生まれて初めて聴く曲なのです
勝手に想像するに、東京藝大作曲家教授でピアニストの野平一郎氏の意向がかなり反映されたプログラミングではないかと思います
彼の提案に元桐朋音楽大学学長でサントリーホール館長の堤剛氏が”いいね
”と乗ったのではないかと
1曲目はチェコの作曲家マルティヌー(1890-1959)の「チェロ・ソナタ第2番」です 彼はナチから逃れてアメリカに亡命していますが、このソナタは亡命後間もない1941年に作曲した作品です。そのためか、聴いていて全体的に暗い雰囲気に包まれています
重苦しい音楽の中の唯一の救いは第3楽章「アレグロ・コモド」の躍動感に満ちた曲想です
2曲目は旧ソ連の作曲家アルフレート・シュ二トケ(1934-98)の「チェロ・ソナタ第1番」です。ソ連という特殊な政治体制のもとで創作活動を続けなければならなかったため、全体的には抑圧的な重い音楽です 第1楽章「ラルゴ」の冒頭、堤のチェロは悲痛を絵に描いたような演奏でした
休憩後の最初はサントリーホール委嘱作品、野平一郎の「蝕知できない領域~チェロとピアノのための~」の世界初演です 2楽章から成ります。プログラム・ノートに野平氏が「すぐに理解できる音楽、一回聴いてすべてが把握できてしまうような音楽は、私にとっては『底の浅い』『つまらない』音楽だ
音も、これがハ音、それが二音と、すぐに聴音できてしまうものは わたしにとっては価値がない」と書いています
曲を聴く限り、作曲者の言っている通り、すぐに理解できる音楽ではなく、私にとっては典型的な”現代音楽”でした 堤剛というチェリストはバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの演奏家として認識していただけに、このような”現代音楽”を目の前で演奏するのを見て、「そうなのか、堤氏は古典的な音楽だけじゃないんだ
」と感心したりしました
最後はイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913-76)の「チェロ・ソナタ ハ長調」です この曲はロシアの大チェリスト、ロストロポーヴィチのために作曲した最初の曲です。曲は「対話」「スケルツォ・ピッツィカート」「哀歌」「行進曲」「無窮動」の5つの楽章から成ります
この中ではチェロのピッツィカートとピアノの細かい動きによる「スケルツォ・ピッツィカート」が面白く聴けました
また、「行進曲」は、曲想が行進曲らしくなく、ブリテンのアイロニーを感じました
最後の「無窮動」は、曲想はまったく異なるものの、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「常動曲」を思い浮かべました。フィナーレの熱演は圧倒的でした
会場一杯の拍手に、堤氏が「野平さんとも話したのですが、ここでアンコールに”白鳥”という訳にもいかないので(会場)、ウェーベルンの”3つの小品”を演奏します
」と言って、演奏に入りました。これでアンコールを含めて5曲とも生まれて初めて聴く曲ばかりになりました
最初にも書きましたが、全く知らない曲を一度に何曲も聴くのは疲れるものです おまけに今週は、映画にコンサートに明け暮れた上での週末のコンサートだったので なおさら疲れました
とは言うものの、今月は24回のコンサートを聴き 映画も数本観る予定なので、疲れたなどと言っている暇はありません。今日もブルーローズに行くし