5日(日).わが家に来てから今日で759日目を迎え,米ワシントン州の連邦地裁判事が「テロ懸念国家」からの入国制限措置を一時差し止める命令を出した という記事を見て感想を述べるモコタロです
「三権分立」から言えば 立法府が共和党優位だから 裁判所が動かないと 止めようがない訳だな
閑話休題
読売日本交響楽団から次シーズンのチケット(定期演奏会 10枚),会員証,会員特典CD引換券,チケットホルダーが届きました 特典CDは2種類から選択できますが,指揮者・収録曲目は4月下旬ごろにホームページで発表予定とのことです
も一度,閑話休題
昨日,文京シビックホールで「響きの森クラシック・シリーズ」を聴きました プログラムは①グリーグ「ピアノ協奏曲イ短調」,②ドヴォルザーク「交響曲第9番ホ短調”新世界より”」です ①のピアノ独奏は小山実稚恵,管弦楽は東京フィル,指揮はコバケンこと小林研一郎です
いつものように文字通り満席です この日のコンマスは若い依田真宣,向い側のヴィオラ首席には頼もしい須田祥子が控えています
1曲目はグリーグが25歳の時に作曲した唯一の協奏曲,ピアノ協奏曲イ短調です 第1楽章「アレグロ・モルト・モデラート」,第2楽章「アダージョ」,第3楽章「アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート」の3つの楽章から成ります
ソリストの小山実稚恵がブルー系の衣装で登場,ピアノに向かいます.コバケンの指揮で第1楽章がティンパ二のロールで開始されます ティンパ二で始まる曲は名曲が多いですね.ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」しかり,ブラームス「交響曲第1番」しかりです 中でもこのグリーグのコンチェルトの冒頭は衝撃的です
小山実稚恵は華奢ですが,すごい集中力をみせて迫力あるピアニズムを展開します 私がこの曲の聴きどころと捉えているのは第2楽章のアダージョです 小山のピアノは北欧のロマンティシズムとでもいうような抒情性に満ちています 強音は濁らず弱音はとても綺麗です 第3楽章は独特のリズムの刻みで開始され,大団円で曲を閉じます
小山実稚恵の集中力に満ちた演奏に 会場いっぱいの拍手とブラボーが押し寄せます コバケンにアンコールを促された小山は,得意のショパンのマズルカを演奏し,再び大きな拍手を受けました
休憩後はドヴォルザーク「交響曲第9番ホ短調”新世界より”」です よく知られているように,ドヴォルザークはニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者ジャネット・サーバー女史から請われて1892年9月から95年4月まで同音楽院の院長を務めましたが,その時に作曲した最初の曲がこの第9番だったのです 第1楽章「アダージョーアレグロ・モルト」,第2楽章「ラルゴ」,第3楽章「スケルツォ,モルト・ヴィヴァーチェ」,第4楽章「アレグロ・コン・フォーコ」の4つの楽章から成りますが,この曲が特に日本で有名になったのは,第2楽章「ラルゴ」の「家路」で知られる旋律のためでしょう 先日のブログで このメロディーは元々葬送のための曲だったと書きましたが,現在では本来の意味を離れて,郷愁を誘うメロディーが日本人の感性に合っていることから広く親しまれているようです
私がこの曲の聴きどころと考えているのは,やはり第2楽章「ラルゴ」です もちろんコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)による「家路」の演奏も良いのですが,もう一つの聴きどころは,後半で弦楽の首席クラスの8人が「弦楽八重奏曲」のように「家路」のメロディーを演奏する室内楽的なところです これを聴くと,ドヴォルザークは室内楽の作曲家としても優れていたのだということが理解できます.その最たる作品が同じアメリカで作曲した弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」でしょう
歯切れの良い第3楽章を経て,第4楽章の最後の一音が会場に溶け込んでいくと,会場から大きな拍手とブラボーがかかりました さあ,ここからが大変です 「コバケン・ワールド」の始まりです まずコンマスをはじめ弦楽器の最前列の奏者一人一人と握手,次いで管楽器,打楽器をセクションごとに立たせ,次に弦楽器をセクションごとに立たせ,そして全体を立たせ,会場に賞賛を求めます そして,拍手を制してアンコール曲の紹介に移ります ここでようやくアンコールの演奏に入ります 終演後 アンコールまでの所要時間を計ったら たぶんコバケンがダントツの長さでしょう
アンコールはブラームス「ハンガリー舞曲第1番ト短調」でした.第5番の次にアンコールの頻度の高いハンガリー舞曲ですが,「音のうねり」が魅力の曲です
全体を通して感じたのは,演奏に恣意的なところがなく,音楽が自然に流れていた,ということです これは前回コバケンの指揮で聴いた時に感じたことですが,今回はその傾向が維持されていました もう一つ感じたのは,コバケンはこの曲に絶対的な自信を持っているということです それは彼が2002年のプラハの春音楽祭オープニングコンサートを東洋人として初めて指揮したことと無縁ではないと思われます それらを含めて彼は年齢を重ねるごとに良くなっている,と感じます 最後にもう一つ感じたのは,管楽器も弦楽器も打楽器も良く鳴っていたということです これはホールの特性もあるかも知れませんが,東京フィルの底力が発揮されたという方が相応しいのではないかと思います もちろん,その実力を引き出したのはコバケンその人ですが
個人的には,演奏後の「コバケン・ワールド」を何とかしてほしいと思いますが,あれがあるからコバケンらしいと言えるのかも知れません 他の指揮者にない ご愛敬として目を瞑るしかありませんね