24日(金).昨日,新宿ピカデリーに行ってMETライブビューイング,グノー「ロメオとジュリエット」の座席指定を取ってきました 来週火曜日午前10時上映の部です.ロメオをヴィット―リオ・グリゴーロが,ジュリエットをディアナ・ダムラウが歌います 指揮はジャナンドレア・ノセダ,演出はバートレット・シャーです
ということで,わが家に来てから今日で878日目を迎え,今年の米アカデミー賞の行方が気になるモコタロです
今年は「ラ・ラ・ランド」が最多ノミネートみたい 賞を取ったら 飲みねえと 言われそう
閑話休題
昨日,夕食に「豚としめじの味噌チーズ炒め」,「生野菜とワカメとサーモンのサラダ」,「ホウレン草のお浸し」,「湯豆腐」を作りました 「豚~」は初挑戦ですが,味にうるさい娘からもお褒めのお言葉を賜りました 残念ながら,息子はせっかく3日ぶりに帰ってきたと思ったら,昨日夕方,夕食を取らずに大学へ向かったので食べることが出来ませんでした 今度はいつ帰ってくるのやら
も一度,閑話休題
22日(水)に芸劇ブランチコンサートと大阪フィルのコンサートのハシゴをしましたが,昨日ブランチコンサートについて書いたので,今日は東京芸術劇場で午後7時から開かれた「大阪フィルハーモニー交響楽団 第50回東京定期演奏会」について書きます この日の公演は大阪フィル創立70周年記念として開かれたコンサートです プログラムは①ショスタコーヴィチ「交響曲第11番ト短調『1905年』」,②同「同第12番ニ短調『1917年』」です 指揮は首席指揮者の井上道義です
プログラム冊子の指揮者・井上道義氏のプロフィールをあらためて眺めていたら,最後に「自宅にアヒルを飼っていた」と書かれていました 以前は「自宅にアヒルを飼っている」になっていました.どうでもいいことですが,これはどういう趣向でしょう? 井上氏は道義の名前から”ミッキー”というニックネームがありますが,ミッキー・マウスはディズニーの仲間,ドナルド・ダックといつも一緒だったからというシャレでしょうか? アメリカのトランプ大統領だったらチップをあげてディールを成立させるのでしょうけれど・・・分かったかな
自席は1階N列3番,左ブロック左通路側です.会場はほぼ満席です 楽員が配置に着きます.弦は左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスという態勢です コンマスは新日本フィルのコンマスでもあるチェ・ムンス氏です.相変わらず,椅子の座面を高く調整しています.ほとんど中腰で演奏するような感じです オケを見渡すと,全体的に若い人が多く見受けられ,ヴァイオリン・セクションは女性が多く,ヴィオラ,チェロ,コントラバスは男性が多い.管楽器・打楽器は圧倒的に男性が多いようです
1曲目はショスタコーヴィチ「交響曲第11番ト短調『1905年』」です ショスタコーヴィチは革命をテーマとした交響曲を4曲書いています.第2番「十月に捧げる」,第3番「メーデー」,第11番「1905年」,第12番「1917年」です.このうち第11番の「1905年」というのは,1905年1月9日に帝政ロシア時代のペトログラードで起こった,いわゆる「血の日曜日」事件です ショスタコーヴィチはこの事件を交響曲として作曲,1957年10月に初演されましたが,レーニン賞を受賞しています
第1楽章「宮殿前広場」,第2楽章「1月9日」,第3楽章「永遠の記憶」,第4楽章「警鐘」と すべての楽章に標題が付けられています これぞ,分かり易い「社会主義リアリズム」と言えるかも知れません 約1時間ノンストップで切れ目なく演奏されます
井上道義が登場し指揮台に上がります.彼はいつものようにタクトを持ちません.長い両手を使ってダイナミックに指揮します
第1楽章が低弦の重い音楽で開始されます.延々と続くようなアダージョですが,トランペットのメロディーは,聴きようによってはマーラーの交響曲を聴いているような感覚になります とにかく長い楽章です.第2楽章は,中盤まで比較的穏やかな音楽が流れているのですが,突然,民衆に向けた凄まじい一掃射撃の音楽に変わります ここでの井上の指揮は,まるでボクサーがグローブで相手を殴っているようです 第3楽章ではヴィオラが葬送のメロディーを奏でますが,このヴィオラが素晴らしい 第4楽章は冒頭,まさに革命的な激しい音楽が展開します そして,中盤にコーラングレが過去を懐かしむような美しいメロディを奏でますが,これで終わらず,長く激しいフィナーレが続きます 聴いていると,身体が熱くなってくるのが分かります.まるで演奏者の熱演が身体に取り込まれていくようです
ショスタコーヴィチが本当はどんな気持ちでこの曲を書いたのか,本人でなければ分かりませんが,純粋に音楽として聴く限り,最後のフィナーレは革命の勝利のように聴こえます 井上道義+大阪フィルの演奏はそういう解釈だったと思います
休憩後は交響曲第12番ニ短調「1917年」です 「1917年」というのは,その年の2月にペテオグラードの民衆の蜂起により皇帝ニコライ2世が退位し帝政が崩壊した「二月革命」と,その後,レーニンが10月にソヴィエト政権を打ち立てた10月革命の年であることを指します ショスタコーヴィチはこの10月革命をテーマに約40分間ノンストップで切れ目なく演奏される交響曲を書いたのです この曲は1961年に書かれましたが,同年10月1日,第22回共産党大会の時に初演されました ショスタコーヴィチはこの年に共産党員になっていますが,彼は不本意だったようです 共産党をはじめ政治に関わりなく作曲をしたかったのだと思います
第1楽章「革命のペトログラード」,第2楽章「ラズリーフ」,第3楽章「アヴローラ(黎明剛)」,第4楽章「人類の夜明け」の4つの楽章から成ります この曲も第11番と同様,全楽章に標題が付いており,その意味では第11番と同様 分かり易い「社会主義リアリズム」の典型と言える曲かも知れません なお「ラズリーフ」とは,レーニンが革命の策を練った場所を示しており,「アヴローラ」は軍艦の名前です
曲想としては,第11番よりも第12番の方が,演奏時間も短く,内容も「一般大衆向け」の分かり易い曲だと思います 第4楽章などは,打楽器の音が自席の床と椅子を震わせるほどの迫力でした
この曲も,ショスタコーヴィチがどんな気持ちで書いたのか本人以外には分かりませんが,純粋な音楽として聴くと,しつこいくらい繰り返されるテーマによるフィナーレは革命の勝利です また身体が熱くなってきました
大阪フィルは総力を挙げて終始 熱い演奏を展開しましたが,ショスタコーヴィチの交響曲は暴力的なまでの破壊力と,アダージョ楽章における癒しの音楽との対比が魅力かも知れません ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」に書かれていることが真実か作り話かによって,曲の解釈が180度違ってくるのは,聴く側としては本当に困りますが,結局のところ 現代の聴衆は純粋な音楽として聴く以外にないのではないか,と思います