人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ファビオ・ルイージ ✕ 藤村実穂子 ✕ NHK交響楽団 でワーグナー「ヴェーゼンドンクの5つの詩」、ブルックナー「交響曲第2番」を聴く ~ N響12月度Aプロ2日目公演

2022年12月05日 07時00分16秒 | 日記

5日(月)。わが家に来てから今日で2884日目を迎え、中国の習近平主席が、EU(ヨーロッパ連合)のミシェル大統領との会談の中で、ゼロコロナ政策に反発する抗議活動について、「人々がコロナ流行に不満を抱いていたから起きた」との見解を示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     若者中心に不満を抱いたのは ロックアウトなどの行動制限と 自由な言論の封殺だ

 

         

 

昨日、NHKホールでN響12月Aプロ2日目定期公演を聴きました プログラムは①ワーグナー「ヴェーゼンドンクの5つの詩」、ブルックナー「交響曲第2番 ハ短調」です 演奏は①のメゾ・ソプラノ独唱=藤村実穂子、指揮=ファビオ・ルイージです

 

     

 

オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつものN響の並び。コンマスは伊藤亮太郎です

1曲目はワーグナー「ヴェーゼンドンクの5つの詩」です この曲はリヒャルト・ワーグナー(1813ー1883)が1857年(第1、4,5曲)、1858年(第2、3曲)に、絹織物商の妻マチルダ・ヴェーゼンドンクの詩により作曲した作品です 第1曲「天使」、第2曲「止まれ」、第3曲「温室にて」、第4曲「悩み」、第5曲「夢」の5曲です

2002年に、主役級としては日本人で初めてバイロイト音楽祭にデビューし、以来9年連続出場した実績の持ち主・藤村実穂子が登場、ルイージの指揮で演奏に入ります

藤村は陰影のあるメゾ・ソプラノでワーグナーとマチルダの秘めた愛を静かに歌い上げました 第2曲「止まれ」では辻本玲のチェロが、吉村結実のオーボエが華を添えました 個人的には最後の「夢」における藤村の落ち着いた歌唱が心に沁みました

 

     

 

プログラム後半はブルックナー「交響曲第2番 ハ短調」(初稿:1872年)です この曲はアントン・ブルックナー(1824ー1896)が1871年から翌72年にかけて作曲(第1稿)、1873年10月26日にウィーンでブルックナー自身の指揮で初演されました また、1876年から翌77年にかけて改訂された第2稿は、1894年11月25日にウィーンでハンス・リヒターの指揮で初演されました この日演奏の第1稿は第1楽章「アレグロ:かなり速く」、第2楽章「スケルツォ:速く~トリオ:同じテンポで」、第3楽章「アダージョ:厳かに、いくぶん動きを持って」、第4楽章「フィナーレ:より速く」の4楽章から成ります

本来、私はこの曲を10月23日の東京交響楽団の定期演奏会で、ジョナサン・ノットの指揮で聴くはずでしたが、当日、風邪のため聴けませんでした また、ブルックナーの交響曲は第3番から第9番までならチェリビダッケ、クレンペラー、ヨッフム、ケーゲルなど何組かCD全集(?)を持っているものの、第2番以前は持っていません したがって、今回初めてこの曲を聴くことになります

オケが拡大し、ルイージの指揮で第1楽章が開始されます ヴァイオリンとヴィオラのトレモロに乗ってチェロが第一主題を提示する「ブルックナー開始」が聴かれ、すでにこの曲でブルックナーのIDが示されていることを知りました また、この曲では演奏中に突然音楽が止まる「ゲネラルパウゼ(全休止)」の多用が目立ちます 演奏では吉村結実のオーボエ、神田寛明のフルートが冴えています 第2楽章は独特のリズムが息づくスケルツォです 金管が咆哮し、弦が激しく刻みます。この楽章でもブルックナーのIDが明確に表れています 伊藤圭のクラリネットが素晴らしい トリオでのヴィオラセクションのアンサンブルが美しく響きました 第3楽章は弦楽セクションの渾身の演奏が光りました また、ホルンのソロが素晴らしい 第4楽章はスケルツォ風の音楽で開始されますが、この楽章でもゲネラルパウゼが多用され、目先がクルクルと変わります その全休止を繰り返しながらオーケストラ総力を挙げての演奏により音の伽藍が築き上げられ、フィナーレに突入しました

この日演奏された第1稿(約70分)は1873年の試演の際、あまりにも長すぎることなどが問題視され、短縮された形で初演されました さらにその後改訂された第2稿(約60分)では第2楽章と第3楽章が入れ替えられたうえ、多くの部分が省略・短縮されました

ルイージはなぜ短縮された第2稿でなく演奏時間の長い第1稿を選んだのか 私は、原典第一主義とともに、N響であれば最後まで聴衆を飽きさせずに演奏を完遂することが出来るという判断があったのではないか、と思います N響の面々はルイージの期待にしっかりと応えました

 

     

     

 

 

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