人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

リアルタイムの演奏を送れ~指揮者・松尾葉子

2011年04月23日 16時53分36秒 | 日記
23日(土)。今日の朝日朝刊に指揮者・松尾葉子さんの投稿が載っていました。松尾さんは1982年にブザンソン国際指揮者コンクールで小澤征爾に続き日本人で2人目の優勝者になった人です。

彼女はいま小学生を相手にオーケストラの指導をしていますが、「3月末の演奏会が会場側の意向で中止になったのが本当に悔しかった」と書いています。「一生懸命練習してきた子供たちのことを思うとやりきれない。被災者の子供と同じように、東京の子供たちだって傷ついている。子供たちに、真の音楽の力を知ってもらう最高のきっかけになったはずなのに」と。そして「クラシック音楽は伝統なんです。数え切れない戦争や厄災を超えて、演奏家たちが受け継いできた。その流れを断ち切っちゃいけない。動ける演奏家はできるだけたくさん演奏し、何らかの形でエネルギーを被災地に回していかなくてはいけない」と。

さらに「CDもいいけど、リアルタイムの演奏を送らないと、本当のメッセージにはならないと思う。そばに行ってあげられないけど、あなたたちのことを思い、演奏しているんだよ、と」。「演奏家がどこかのスタジオに集まって一日中演奏し、それを被災地に流してもらうことはできないだろうか」と提言しています。

いいアイディアだと思います。NHKあたりが音頭をとって演奏家に声をかけてマラソン・コンサートをやれば被災地の人たちをはじめ全国のリスナーが同じ時間帯に同じ音楽を共有できます。

けさの「天声人語」は島田陽子さんの詩を紹介しています。島田さんは大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」を作詞した人です。6年前にがんの手術をしたときに書いた詩とのことです。それはこういう詩です。

   滝は滝になりたくてなったのではない
   落ちなければならないことなど 
   崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
   まっさかさまに 落ちて落ちて落ちて 
   たたきつけられた奈落に
   思いがけない平安が待っていた
   新しい旅も用意されていた
   岩を縫って川は再び走りはじめる

この詩が被災地の皆さんに届けばいいと思います。また、松尾さんのアイディアが実現し、リアルタイムの演奏が被災地にも流れるようになれば素晴らしいと思います。
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国民性?~オーストラリア首相記者会見

2011年04月22日 21時41分09秒 | 日記
22日(金)。午前11時から当ビル10階ホールでオーストラリア首相ジュリア・ギラードさん(女性)の記者会見があるので、大使館や警察関係車両の駐車手配の関係で、10分前に1階玄関に行きました。予定ではこの時間にはビルに到着していなければなりません。ところが姿・形がないのです。主催者の記者クラブの担当者に聞くと、宿泊先の帝国ホテルから当ビルまで歩いてくるというのです。確かに帝国ホテルから当ビルまでは歩いて5分もかからない距離なので車で来るより歩いてくる方が早いと言えるかも知れません。しかし、警備からすればこれほど危険なことはないのです。

会見は11時スタートなのに、まだ到着しません。警察の無線によると「ただいま内幸町の交差点を渡るところ」ということです。ビルに到着したのは11時10分でした。SPを10人ほど引き連れて堂々と歩いてやってきました。鼻が高い女性です。専用エレベーターで9階記者クラブの貴賓室に直行しました。そこで一息してから10階の記者会見場に移動したので、会見が始まったのは11時20分でした。20分遅れの記者会見です。大使館やパトカーなどの警護車両は、後からやってきて駐車しました。

歩くこと自体はいいことだと思います。しかし、記者会見の開始時間は決まっているのです。間に合わせるように努力するのが当たり前でしょう。会場いっぱいの新聞記者たちを待たせておいて、平気で歩いてくる神経が分かりません。周りの人が気を使うべきことでしょう。これが日本人VIPの会見だったら、とても考えられないことです。遅刻などあり得ません。そのことをエレベーターでいっしょになった警視庁のSPに話すと苦笑していました。国民性でしょうか。これをわれわれは”オーストラリア時間”と呼んでいます。逆に言えばわれわれ日本人ほどパンクチュアルな国民はいないのかもしれません。

記者会見の内容は夕刊には間に合わなかったようなので、明日の朝刊に出るのでしょう。オーストラリアは友好国なので、今回の大震災への対応を含めて期待するところが大きいと思います。
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大学も被災学生支援へ

2011年04月21日 08時07分26秒 | 日記
21日(木)。息子の通う東京理科大学から1通の封書が届きました。同封のパンフレットに「東北関東大震災 被災学生支援募金のお願い」とあります。趣旨は「本学においては、震災で大きな被害があった東北各県と周辺地域の沿岸部出身の在学生・入学予定者が300名以上いる。当該地域の学生が学業を断念することのないように学費免除等の経済的支援を行う。ついては募金につき協力願いたい」というものです。

すでに朝日新聞の厚生文化事業団に子供たちと連名で義援金を送り、コンサート会場などでも募金に協力してきましたが、いわゆる”街頭募金”には協力してきませんでした。あちこちでやっていますが、どこまで信用していいのか、また、その都度募金していたらキリがないからです。

今回は募金の主体と使途目的が明確なので、是非協力したいと思います。自分の息子が同じ立場に立たされたらと思うと、やはり何とか協力したいと思います。

ところで、今日4月21日はモーツアルトが「バイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K454」を完成させた日です。1784年ですから227年前のことです。この曲にはエピソードがあります。モーツアルトはこの曲を4月、ヨーゼフ二世臨席のもとレジーナというイタリア人女性(バイオリン)と共演することになったのですが、クラビーア(今のピアノ)パートの楽譜化が間に合わなかったため、彼はメモを見ながら全曲を演奏したということです。つまり楽譜がないのに演奏したというのです。いくら自分が作曲した曲とはいえ普通はあり得ないです

それまでのバイオリン・ソナタと言えば「バイオリンの伴奏を伴ったピアノ・ソナタ」という性格が強く、あくまでもピアノが主体でバイオリンは引き立て役に過ぎなかったのですが、この曲はバイオリンとピアノが対等に競演する形をとっています。このスタイルがベートーベンに引き継がれていくのですね。

いまヒロ・クロサキのバイオリン(1773年製)とリンダ・ニコルソンのフォルテ・ピアノ(1794年製)の演奏によるCDを聴いていますが、古楽器特有の響きでよく音楽が流れています



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ノルマ・ファンティーニのトスカ、10月に実現!

2011年04月20日 20時09分55秒 | 日記
20日(水)。会社帰りに神保町の三省堂内のチケットぴあに寄ってきました。公演中止になったカルメラ・レミージョ:ソプラノ・リサイタルの払い戻しをして、新たにオペラのチケットを購入しました。昨日、初台のオペラパレスの入り口で配っていた約50枚のチラシの束から、これだというオペラを2つ選び、それを買いました。

1枚は9月の藤原歌劇団のロッシーニ「セビリヤの理髪師」。なぜこれを選んだかと言うと、プログラムがロッシーニで、指揮者がアルベルト・ゼッダだからです。この人のロッシーニは本当に素晴らしい。もうとっくに70歳は過ぎていると思いますが、よたよた歩いてきたかと思いきや、一旦指揮棒を握るとシャキっとしてロッシーニらしい軽快な音楽を奏でるのです。青年のような指揮振りです。

もう1枚は10月のプラハ国立歌劇場のプッチーニ「トスカ」。なぜこれを選んだかと言えば、ノルマ・ファンティーニが「トスカ」を歌うからです。何年か前に新国立劇場で初めて彼女の「トスカ」を聴いたのですが、歌の素晴らしさはもちろんのこと、その演技力がずば抜けて素晴らしかったからです。劇の最後にトスカが城の屋上から飛び降りるシーンは、普通の演出だと「よっこらしょ」という感じで、足から下に飛び降りるのですが、彼女の演じるトスカは直立したまま頭から倒れ込んでいくのです。これは演出の力と言えるかもしれませんが、彼女の演技力なくして実現しないのではないかと思います。それ以来、ベルディの「アイーダ」等を聴き、昨年は日本で初めてのリサイタルを聴きに行くなど、すっかり彼女の虜になってしまったのです。

「トスカ」と言えばあのマリア・カラスの伝説の映像が残っていますが、あのカラスに迫る実力の持ち主ではないかと思います。今後、ノルマ・ファンティーニに望むのは、是非べッリーニの「ノルマ」のタイトル・ロールを歌ってほしいということです。ノルマだからノルマを、というわけではないのですが、このオペラが大好きなのです。でもメジャーな曲ではないので滅多に上演される機会がないのです。私の小さな夢です。ファンティーニ様、お願いします 夢を叶えてください





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ばらの騎士~新国立劇場・振替公演から

2011年04月19日 23時16分43秒 | 日記
19日(火)。新国立劇場にR・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」を観に行ってきました。東日本大震災の影響で中止になった公演の振り替えです。いつもは1階センター通路寄りの席なのですが、振り替えのため別の席が用意され、1階センターど真ん中の特等席といってもよい席でした。でも、個人的には多少左に寄っていても通路寄りにこだわっているので、両脇に人が座っていると落ち着きません。まあ、贅沢はいえませんが

「ばらの騎士」とは、古き良きウィーンの時代に婚約の儀に際して使者を送り花嫁となる女性に純銀製のばらを手渡す風習があり、その役割を果たしたのが”ばらの騎士”と呼ばれる若者でした。というのは全くのウソで、19世紀末のウィーンの文豪ホフマンスタールが作り出した創作です。リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールが「モーツアルトのオペラ」を理想に「女帝マリア・テレジアによる治世の初期」という時代設定で共同制作したのが「ばらの騎士」なのですね。

今回の大震災の影響で主役級の元帥婦人役、オクタビアン役、ゾフィー役、ファーニナル役、それに指揮者までもが来日中止となり、出演者変更となっての挙行ということで、どうなることかと思って聴きに行ったのでした。オーケストラは予定通り新日本フィルですが、このオケがオペラ・ハウスのオーケストラ・ピットに入るのは初めてだと思います。

指揮は来日しなかったアルミンクに代わって同じオーストリアから来日したマイヤーホーファーです。最初からアグレッシブな指揮振りでオケをグイグイ引っ張っていきます。元帥婦人役のベーンケは”おとなの女の悲哀”をよく表現していました。光っていたのはオックス男爵役のハブラタ。粗野ではあるが気品のあるすばらしいバスでした。拾い物はゾフィー役の安井陽子。モーツアルトの”魔笛”の”夜の女王”で名を馳せたソプラノですが、今回は可憐なお嬢様といった感じが良くでていました。オクタビアン役の井坂恵は声も良く歌も上手なのですが、代役としてはいま一歩かな、という感じがしました。イメージがちょっと違うのです。私の頭の中にある理想はカラヤンの指揮のもとセーナ・ユリナッチが演じたオクタビアンです。彼女を超えるオクタビアンは2度と出でこないと思います。比べるのはよくないですね。反省しています

第2幕でばらの騎士が登場するシーン、第3幕で元帥婦人が登場するシーン、シュトラウスは何と感動的な音楽を用意するのでしょうかまた、3幕フィナーレのソプラノ3重唱はいつ聴いても感動して背筋が寒くなります。

このオペラのテーマはマルシャリン(元帥婦人)の加齢と諦念に形を借りた「時のうつろい」であると言われていますが、第3幕で3重唱が終わって、元帥婦人が若い二人を残して身を引いていくシーンなどは、おとなの女にとっては涙なくして観られないでしょうね

ラストのシーンは、ゾフィーが舞台にハンカチを落として、それを元帥婦人のお小姓が拾っていって、慌しく幕が降りるというのが一般的な演出なのですが、ジョナサン・ミラーの演出では、ハンカチ落としはなく、お小姓が現れてテーブルの上に乗っているお菓子をつまみ食いして去っていく、という演出になっています。これって許される範囲なのでしょうか

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ベートーベンを聴く~新日本フィル室内楽シリーズ

2011年04月18日 23時02分55秒 | 日記
18日(月)その3.すみだトリフォニーホール(小)に新日本フィル室内楽シリーズ(第6回)を聴きに行った。プログラムは①ジョリベ「フルートと打楽器のための協奏的組曲」②ベートーベン「六重奏曲 変ホ長調」③「同「弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調」の3曲。

ジョリベの組曲は1965年に作曲されたが、プログラムの解説によると「ストラビンスキーの”春の祭典”を受け継いだともいえる原始的・民族的・呪術的な要素があるテーマ」ということらしい。分かりやすく言えば「村の祭りの笛太鼓」といったところか。たまにはこういう曲もいいんじゃないか、と思う。

ベートーベンの「六重奏曲」は彼が25歳ころの作品で明るく楽しい曲だ。クラリネットとホルンとファゴット各2本で演奏する。昨年のこのシリーズでベートーベンの「七重奏曲」を演奏し喝采を浴びた新日本フィルの主席クラリネット重松希巳江さんのリードでテンポ感よく曲が流れていた。実に楽しそうに演奏しているのが好ましかった。こういう演奏で聴くと「ベートーベンって本当にいいなぁ」と思う。

「弦楽四重奏曲第16番」は1826年10月に完成した。この年の7月には甥のカールがピストル自殺騒ぎを起こしたりして心労が重なった時期で、ベートーベンは翌年3月に息を引き取ってしまう。そういう意味では、弦楽四重奏曲の最後の曲であるとともに、実質的に最後の「白鳥の歌」といってもいいかもしれない。

第3楽章はまさにこの世との別れの曲といっても差し支えないのではないか。ある意味モーツアルトのクラリネット協奏曲の第2楽章「アダージョ」に通じるものがある。浄化された世界がそこにある。

第4楽章には「ようやくついた決心」という題名が記されている。さらに冒頭の2つのモチーフには「そうであるべきか?」「そうであるべき!」という言葉が付けられている。ベートーベンはこの曲で何らかの決着を付けようとして、それを実現したのか?ベートーベン研究家たちがいろいろと詮索しているようだが、真意のほどはベートーベンにしかわからない。


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フィラデルフィア管弦楽団が経営破綻!

2011年04月18日 22時20分41秒 | 日記
18日(月)その2.今朝の新聞各紙の社会・文化面には驚いた。「米名門楽団が経営破綻」の見出しで、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の評議会が16日、連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を裁判所に申請し再建を目指すことを決めたという。

AP通信の配信による各紙を総合すると、1900年に設立された名門オーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団は、2009年の収入が前年の5310万ドル(約44億円)から2940万ドル(約24億円)へ落ち込んだという。チケット収入、寄付金の減少によるものということだ。

フィラデルフィア管弦楽団といえば、ユージン・オーマンディが引き連れて来日した際に、東京文化会館に聴きにいったことがある。プログラムは確かムソルグスキーの「展覧会の絵」とブラームスの「交響曲第3番」だったように記憶している。当時は「フィラデルフィア・サウンド」と言われ、華麗な音作りが魅力のオケだった。展覧会の絵は色彩感豊かな曲なので、このオケにピッタリだったが、ブラームスはあまりにも輝き過ぎて、このオケには相応しくないと感じたものだ。

ニューヨーク・フィル、ボストン交響楽団と並ぶ名門オケだが、アメリカの主要オーケストラが事実上経営破綻するのはこれが初めてとのことだ。演奏会は予定通り続けるという。しばらくクリストフ・エッシェンバッハが常任指揮者を務めていたが、数年前にシャルル・デュトワに代わったのではなかったか。

リーマン・ショック以来、寄付金が大幅に減少したことは大いに考えられる。幸か不幸か、日本のオーケストラの場合は、収入に占める寄付金の割合が少ないのだが、手放しで喜んではいられない。
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ラ・フォール・ジュルネ中止、払い戻しへ!~レベル7の影響で

2011年04月18日 07時34分27秒 | 日記
18日(月)。昨日の日経社会面を見て唖然としました。東京国際フォーラムで5月の連休に開催予定のラ・フォーレ・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日音楽祭)が、急きょ中止になったというのです。出演予定のアーティストの来日キャンセルが相次いだことから全公演のチケット代を払い戻すということです。来日キャンセルは福島第1原発事故の国際原子力事象評価尺度がレベル7に引き上げられた12日以降、急増したようです。さらに、東日本大震災の余震を受けて施設を点検したところ、一部のホールで電気系統の不具合が見つかったということです。

5月3日~5日の全プラグラムは一旦白紙に戻した上で、同期間中に復興支援コンサートを開くことになったとのこと。すでに16公演のチケットを買っているのですべて払い戻さなければなりません。これまで代替公演となったコンサートを除いて合計25公演の払い戻しです。ほとんどがチケットぴあでの購入ですが、窓口で買ったので1枚あたり105円の手数料がかかっています。この手数料は戻ってきません。2,625円の損失です。それよりも何よりも、せっかく苦労して5月の3日間のコンサート・プログラムを組んだのに、すべてがオジャンになってしまったことが残念でなりません

ラ・フォール・ジュルネのメルマガによると、この期間の復興支援コンサートの詳細は22日(金)に公表するということです。これを待って連休中のプログラムを組み直さなければなりません。払い戻しも面倒ですが、また苦労してチケットを取らなければならないのも面倒です。レベル7に対する評価は複雑です



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モーツアルトの姉ナンネルの物語

2011年04月17日 18時26分46秒 | 日記
17日(日)。渋谷東急文化村のル・シネマでルネ・フェレ監督「ナンネル・モーツアルト 哀しみの旅路」を観てきました。ナンネルとは作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトの5歳年上の姉のことです。映画のチラシのうたい文句によれば「偉大なる天才作曲家モーツアルト。その陰には、運命に翻弄された姉ナンネルがいた。等しく才能に恵まれながらも、時代の波に押し流された女性ナンネル。その秘められた音楽への情熱と儚い恋の物語」ということになります。

モーツアルト姉弟の父レオポルトはザルツブルクの宮廷に仕える副楽長で、優れた教育者でもありました。彼はナンネルにもクラビーア(ピアノの前身)を教えました。「ナンネルの楽譜帳」という愛称で知られるチェンパロ曲集はナンネルのためにレオポルトが編んだ練習曲集です。彼が娘に音楽家としての期待を賭けていた証拠ともいえるでしょう。映画でもありましたが、姉弟コンビの連弾は貴族たちの喝采を浴びる実力をもっていたようです。彼女は作曲もしたのでしょう。しかし、弟ウォルフガングが生まれ、レオポルトがその音楽上の天才を見抜くや否や、関心の先は弟に移ってしまうのでした。

モーツアルト姉弟の生きた18世紀後半は、まだ女性が作曲家として世間に認めれられる土壌はありませんでした。ナンネルの作曲した曲が残っていないため、映画ではマリー・ジャンヌ・セレロという現代の女性作曲家が、”ナンネルに成り代わって”それらしいメロディーの曲を作って流しています。バロック的であり、また、モーツアルト的でもあり、不思議な感覚に陥ります。ナンネルが1曲でも曲を残していてくれたらなぁと、叶うはずのない希望を抱いてしまいます。

王太子がナンネルに「あなたの作曲した曲を演奏してほしい。バイオリン?クラブサン?」と尋ね、ナンネルが「クラブサン」と答えて演奏するシーンがあります。これはフランス人の監督による映画だからこういう台詞になったのです。ピアノの前身であるこの楽器をフランス語で「クラブサン」、英語で「ハープシコード」、ドイツ語で「チェンバロ」といいます。言語が違うだけで同じ楽器を表しています。

ウォルフガングは1791年に35歳11ヶ月の短い生涯を終えましたが、姉のナンネルは33歳で結婚して1829年に78歳の長寿を全うしました。彼女の死後、やがてロマン派の時代がやってきてシューマンの妻クララに代表されるような女性作曲家=ピアニストが活躍するようになります。ナンネルは生まれて来るのが早すぎたのでしょうか。そうと言えるかもしれません。でも、後の時代に生まれてきたとしても、弟が同じように5歳年下で生まれてきたとしたら、同じ結果になっていたかもしれません。弟の存在があまりにも大きすぎたのです。音楽史上で唯一の天才を挙げなさいと言われれば、何の躊躇もなく”ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト”の名前を挙げます。


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メイエによるモーツアルト「クラリネット協奏曲」~東響第588回定期演奏会

2011年04月16日 22時16分29秒 | 日記
16(土)。午前中、薬が切れたのでクリニックにもらいに行って、午後渋谷に出かけた。文化村「ル・シネマ」で「ナンネル・モーツアルト」を観るつもりが時間を1時間間違えて観られなかった。急きょ方針転換して、近くのシネマライズに行って「ブンミおじさんの森」を観た。去年のカンヌ国際映画祭の最高賞(パルムドール)を受賞したという作品だが、同映画祭の審査委員長=ティム・バートンの言うように「世界の映画が、より西洋的、ハリウッド的になっていく中で、今まで見たこともないファンタジー」なのかもしれない。個人的には、そんな大きな賞を取る作品かいな?と疑問を感じる。

夕方は、サントリーホールで東京交響楽団の第588回定期演奏会を聴いた。プログラムは①シェーンベルク「室内交響曲第1番(オーケストラ版)」②モーツアルト「クラリネット協奏曲イ長調K622」③ラベル「ボレロ」の3曲。指揮は大友直人。最初のシェーンベルクは、夕食後に飲んだ薬のせいか眠気がさし、まったく頭に入ってこなかった。ほとんど脳が寝ていたと言っていい。感想を書きようがない。

休憩後はお待ちかねのモーツアルト「クラリネット協奏曲イ長調K622」である。ソリストは1965年アルザス生まれのポール・メイエ。第1楽章「アレグロ」から安定した演奏で、高音から低音までムリなくさらっと吹いている。よくありがちなオーバー・アクションはない。第2楽章「アダージョ」は白眉だ。この世の音楽とは思えない。浄化され天国にいるような音楽だ。K622といえばモーツアルト最晩年の作品である。K626の「レクイエム」が最後の曲だから。メイエは静かに切々とメロディーを奏でていく。いつかこの楽章を聴いていて、ソプラノが歌っているのではないかと錯覚に陥ったことがある。クラリネットによるこの楽章のメロディーは人間の肉声に近いのではないか。長調の楽章であるが、なんと哀しみを湛えていることか。小林秀雄が書いていたような「人間存在の根底の哀しみ」とでも言ったらいいのだろうか。第3楽章は一転して軽やかなメロディーが奏でられる。モーツアルトは皆が泣いている時にはもう笑っている。

アンコールにあたってメイエが「今回の被災者を悼んで第2楽章を演奏する」と挨拶し、もう1度演奏した。2回目の方が心に沁みた。素晴らしい演奏でモーツアルトの音楽が生で聴ける。これ以上の喜びがあるだろうか?

最後はラベルの「ボレロ」。ご存知のとおり「タン タタタ タン タタタ タンタン~」と小太鼓が刻むリズムで始まる。ボレロのリズムに乗りながら最初にフルートが「スペイン=アラブ風」のメロディーを奏で、このメロディーはクラリネットに引き継がれ~と次々と楽器を変えて受け継がれていく。メインのメロディーを吹いた楽器は伴奏に回る。楽器が次々と重なって増えていくので音量が次第に厚みを増し、テンポも段々速くなっていく。そして最後にクライマックスのどんでん返しが待っている。

今回の「ボレロ」の演奏の特徴は、基調音を刻む小太鼓をあまり前面に出さず、メインの演奏後伴奏に回った楽器のリズムを前面に出すスタイルを取っていたことだ。つまり小太鼓はあまり聞こえない。意図したものかどうかはわからない。

心が沈んでいるときには、最初小さくゆっくりで、徐々に大きく、早くなっていく「ボレロ」のような曲がいいかも知れない。チャイコフスキーの交響曲第5番も同じような性格を持った曲だ。








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