21日(金)。昨日は午前10時半から新日本フィルの「公開リハーサル」があったのですが、腰痛のため長く座っているのは身体に良くないのと、演奏曲目はリムスキー・コルサコフ「シェエラザード」で、反田恭平氏のベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番」は公開されないようなので、「明日の本番を聴けばいいや」ということで諦めることにしました それだけに、今日の本番が楽しみです
ところで、昨日の朝日新聞夕刊に、昨年「2024年末に指揮者を引退する」と宣言した井上道義氏のインタビュー記事が載っていました 吉田純子編集委員によるリードには「自分の心が求めるものしか演奏しない。井上道義はそう断言し、コロナ禍の楽団を代役で奔走しつつ、妥協のないプログラムを編み、円熟の境地を切り開き続ける
現在75歳。やりたいことをやり尽くし、2024年末で引退する。そんな明快なビジョンが充実した高濃度の演奏の礎となっている
」とあります
記事を超略すると次の通りです
「今月28日、東京芸術劇場で読売日響とマーラー『大地の歌』とシベリウス『交響曲第7番』を演奏する 来月には東京フィルとクセナキス『ピアノ協奏曲第3番”ケクロプス”』他を演奏する
咽頭がんを克服したが、合唱などの指導のために大きな声を出すのはいまだにつらい
年を重ね、本当にやりたい演奏を実現できなくなる前に指揮台を降りたい、との思いも強い
『ヨボヨボと指揮台に立ち、それでもみんなに気遣われ、立派だなんて褒められる。そんな自分は僕自身が見たくない
』。やりたいことはもうやりきった。3年先を見据える引退の時にそう思えるよう、一日一日、やりたい音楽に全身全霊を傾ける日々を積み重ねている
」
幸い、井上氏が引退宣言をする前に1月28日のチケットを取ってあります また東京フィルとの2月のコンサートは定期会員として聴きます
双方とも貴重な機会になるでしょう
ということで、わが家に来てから今日で2568日目を迎え、トランプ前米大統領が昨年1月の議会襲撃事件に関する自身の情報不開示を求めた裁判で、連邦最高裁は19日、トランプ氏側の訴えを退けたが、米メディアによると、9人の裁判官のうち開示に反対意見を公表したのは1人だった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
なんだかんだ言っても アメリカでは三権分立が機能していることに安心するよね
昨日の夕食は「炒めニンニク醤油鍋」にしました 材料は豚バラ肉、キャベツ、芽キャベツ、ニラ、水菜、豆腐、シメジです
寒い夜は鍋です
鍋つゆはこれを使いましたが、とても美味しかったです
新国立劇場から「2021/2022シーズン オペラ『愛の妙薬』指揮者、出演者変更のお知らせ」が届きました それによると、「入国制限措置等の諸般の事情により下記の通り出演者が変更となった」としています
指揮:フランチェスコ・ランツィロッタ ⇒ ガエタノ・デスピノーサ
アディーナ:ジェシカ・アゾーディ ⇒ 砂川 涼子
ネモリーノ:フアン・フランシスコ・ガテル ⇒ 中井 亮一
ベルコーレ:ブルーノ・タッディア ⇒ 大西 宇宙
ドゥルカマーラ:ロベルト・デ・カンディア ⇒ 久保田 真澄
はっきり言ってガッカリです オペラは出演者が多いだけにダメージが大きい
指揮のデスピノーサは昨年12月にN響公演で「展覧会の絵」を聴きましたが、ヨーロッパ諸国でコンサートとオペラの両面で活躍していることから、今回の代役となったようです
新国立オペラでは、1月の「さまよえるオランダ人」でジェームズ・コンロンの代役を務めるので、2か月(2公演)連続の代役ということになります
アメリカ出身のジョン・アクセルロッドといい、イタリア出身のデスピノーサといい、「鳥なき島の蝙蝠」のごとく日本国内で引っ張りだこですが、果たしてこうした状況はいつまで続くのか? 少なくとも良いことではないでしょう
Netflixでシンディ・チュパック監督による2019年製作アメリカ映画「アザーフッド 私の人生」(100分)を観ました
キャロル・ウォーカー(アンジェラ・バセット)、ジリアン・リーバーマン(パトリシア・アークエット)、ヘレン・ハルストン(フェリシティ・ハフマン)は、母の日なのに電話もメールも寄こさない息子たちに不満を抱く 3人は酔った勢いでアポイントなしに、ニューヨークで暮らす彼らの元へ押しかけることにする
しかし、子どもたちと向き合う中で、3人は子どもと疎遠になることと 子どもが成長することとの違いについて考えるようになり、最後には自分の生き方を見直すことになる
タイトルの「OTHERHOOD」は「MOTHERHOOD」からMを取り除いたものです 自分たちは「母親」なのに、いつの間にか息子たちからは忘れられて「他人」に成り下がっている、という皮肉が込められています
息子を持つ母親から観たら共感度100%間違いなしでしょう しかし、都会で一人暮らしている息子の立場から観たら、過干渉でウザいと思うことでしょう
親から見れば子どもはいつまで経っても気になる存在です。ただ、子どもが親離れするためには親が子供離れをしなければなりません
この映画からはそうしたメッセージが伝わってきます