人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

スコット・デリクソン監督「ブラック・フォン」を観る ~ 誘拐され地下室に幽閉された少年にかかってくる死者からの電話:早稲田松竹

2022年12月21日 07時06分02秒 | 日記

21日(水)。わが家に来てから今日で2900日目を迎え、トランプ前米大統領は19日、米議会下院の特別委員会が21年1月の米連邦議会襲撃事件に関して、同氏を刑事訴訟するよう司法省に勧告したことについて、「私と共和党を中傷する党派的な試みだ。私が勝つとわかっているから出馬させないようにしている」と主張した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     (自信過剰+被害妄想+支離滅裂)✕10-(謙虚+常識+慎重)✕0=トランプ

 

         

 

昨日、夕食に「ナスと鶏肉の炒め物」「生野菜とヒジキのサラダ」「白舞茸の味噌汁」を作りました 炒め物の材料は鶏もも肉、茄子、パプリカ、ミョウガ、オクラです。お酒は石川県・車多酒造の「天狗の舞」です

 

     

 

         

 

早稲田松竹でスコット・デリクソン監督による2022年製作アメリカ映画「ブラック・フォン」(104分)を観ました

コロラド州デンバー北部のとある町で、子供の連続失踪事件が起きていた 気の小さい少年フィニー(メイソン・テムズ)は、ある日の学校の帰り道、マジシャンだという男(イーサン・ホーク)に「手品を見せてあげる」と声をかけられ、そのまま誘拐されてしまう フィニーが気が付くと地下室に閉じ込められており、そこには鍵のかかった扉と鉄格子の窓、そして断線した黒電話があった すると突然、フィニーの前で断線しているはずの電話が鳴り響く それはフィニーの前に誘拐されて殺害された子供たちからのアドヴァイスだった 一方、行方不明になった兄を捜す妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)は、兄の失踪に関する不思議な夢を見る

 

     

 

この映画は、ジョー・ヒルが2005年に発表した短編小説「黒電話」を元にスコット・デリクソン監督が映画化した作品です ストーリーが「IT」や「シャイニング」など多くの名作を残したスティーヴン・キングのようなテイストだな、と思ったら、彼はスティーヴン・キングの息子とのことです

「ブラック」というと、「ブラック企業」みたいな悪いイメージを浮かべますが、この映画の「ブラック・フォン」は過去に殺された少年たちからのメッセージ”で、どうしたら地下室から抜け出せるかのヒントを与えてくれる「脱出のツール」の意味を持っています それは「ブラック・フライデー」のブラックが「感謝蔡の翌日の金曜日の売り上げが『黒字』になること」を意味するのに似ています

いじめられっ子のフィニーが、殺された親友からの電話で勇気づけられ、彼のアドヴァイスにより土を詰め込んだ電話機で犯人を殴りつけ、生きて帰ってくるというストーリーは、少年の成長物語とも言えるかもしれません

いま一つ良く分からなかったのは、犯人はどうして少年ばかりを誘拐しようとしていたのか、という「動機」です ただの少年偏愛趣向的な”精神的な病気”で済ませるのなら、イージー過ぎるように思います

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新交響楽団第260回演奏会のチケットを取る / ジョーダン・ピール監督「NOPE/ノープ」を観る ~ 早稲田松竹

2022年12月20日 07時01分39秒 | 日記

20日(火)。新交響楽団から「第260回演奏会 別宮貞雄生誕100年」の案内が届きました 来年1月14日(土)18時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれます 夜の公演は珍しいのではないかと思います。プログラムは①別宮貞雄「管弦楽のための2つの祈り」、②同「交響曲第3番”春”」、③ウォルトン「交響曲第1番」で、指揮は湯浅卓雄です アマチュア・オケのパイオニア的存在・新響のコンサートは日程が空いている限り聴いています さっそく「通路側席希望」で申し込みはがきを出しておきました

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2899日目を迎え、米ツイッターの経営権を握った米起業家のイーロン・マスク氏は18日、同社の経営トップを続けるべきかを利用者に問うアンケートをはじめたが、マスク氏は結果に従うとしている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     マスク氏は会社経営をゲームのように考えてんじゃね?  社員は生きた心地しない

 

         

 

昨日、夕食に「ビーフカレー」と「生野菜サラダ」を作りました ビーフカレーはいつものように牛バラ肉を使っていますが、とても美味しいです

 

     

 

         

 

早稲田松竹でジョーダン・ピール監督による2022年製作アメリカ映画「NOPE/ノープ」(131分)を観ました

ヘイウッド家は田舎町で広大な敷地の牧場を経営し生計を立てている ある日、調教師の長男O J(ダニエル・カルーヤ)が家業をサボって町に繰り出す妹エメラルド(キキ・パーマー)にうんざりしていたところ、突然空から異物が降り注いでくる    その謎の現象が止んだかと思うと、直前まで会話していた父親が息絶えていた OJは父親の不可解な死の直前に、雲に覆われた巨大な飛行物体のようなものを目撃したことをエメラルドに明かす 兄妹はその飛行物体の存在を収めた動画を撮影すればネットでバズるはずだと、飛行物体の撮影に挑むが、そんな彼らに想像を絶する事態が待ち構えていた

 

     

 

タイトルの「NOPE」というのは、「NO」を強調したような言葉で「無理無理無理」といったような意味を持っています この映画では、まったく動かない雲の中に隠れたUFO(未確認飛行物体)が、竜巻のような嵐を引き起こしながら地上に降りてきて、人間や動物を巻き上げて食ってしまうという無理無理無理な世界を描いています

冒頭から「落ち着かない映画だな」と思って観ていました ストーリーの組み立てに甘さがあるというか、冗長というか、まったく危機を感じないのです CGに頼りすぎている作品に共通する特徴かもしれません だいたい未確認飛行物体が人を食うって無理無理無理です 第一、この映画のテーマは危機に陥った妹を救うため自己犠牲的な行動に出た兄の兄妹愛なのか、そうでなければ何なのか、よく分かりません 残念ながら私にはヒットしませんでした

 

     

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須賀川拓 監督「戦場記者」を観る ~ 日本人特派員が見たガザ、ウクライナ、アフガニスタンでの戦争の真実 / モーツアルトの演奏の難しさ~「私の履歴書 リッカルド・ムーティ」より

2022年12月19日 07時01分14秒 | 日記

19日(月)。しまった!と思った時はもう間に合いません パスケース(定期券入れ)を選択してしまいました シャツを干すとき、胸ポケットが膨らんでいるので、あれ?と思って確かめたらパスケースが入っていました ケースに入っていたのはパスモ、健康保険証、病院の診察券ですが、薄い健康保険証は反り返ってしまい、皮のケースはびしょぬれです ほかに洗濯の余地がなかったのかと反省しています こういうミスをやらかした時は、二度と繰り返さないことを自覚する「洗剤一遇のチャンス」だと思うようにしています 誤字が3か所ありましたね

昨日、大学時代の友人で勝浦市在住のS君が海の幸セットを送ってくれました 赤尾鯛、イカ、サバ、アジが箱いっぱい詰まっています これで当分、魚を買う必要がなくなりました 持つべきものは友だちです

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2898日目を迎え、ゼロコロナ政策の緩和に踏み切った中国では、新型コロナウイルスの感染による死者が報道される一方で、衛生当局は死者数を連日「ゼロ」と発表しており、国民から疑問の声が上がっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     死者が増えると 衛生当局は 共産党から責任を追及されるから 怖くて発表できない

 

         

 

日経朝刊に連載の「私の履歴書  リッカルド・ムーティ」が昨日第17回を迎えました テーマは「モーツァルト」です 超略すると次の通りです

「モーツアルトの音楽の穢れのない美しさに出合うと、演奏という行為によってその完璧さを汚してしまうのではないか、その神々しさを傷つけてしまうのではないかと恐れてしまう だからモーツアルトを演奏するということは実に困難で危険を伴う モーツアルトでは音符と音符の間に隠された、彼の音楽に潜む奥深い意味をつかみとらなければならない モーツアルトの研究が進み、18世紀の楽器のコピーを用いるオケも増えた。私はウィーン・フィルと多くのモーツアルトの作品に取り組んできたが、このオケは古楽器を用いない 昔の音をその通りで再現するのはそもそも不可能だ。モーツアルトの時代には今とは違うものを食べていたし、歩き方だって異なっていた。音楽も我々の日常の要求に適合し、生き続けている。我々は博物館で展示されるものではなく、生きた音楽を演奏するということを第一に考えるべきではないか 彼の天才的な力とはおそらく交響曲、協奏曲、ソナタをオペラのように作曲し、反対にオペラを演奏するオーケストラに交響曲のように感じさせることだろう

音符の少ないモーツアルトだからこそ、演奏するのが怖いという率直な思いが語られています 超一流の指揮者ムーティにしてもそうなのか、と驚きます 「昔の音をその通りで再現するのはそもそも不可能だ」というのは、会場の大きさも関係すると思います モーツアルトの時代には比較的狭い会場で限られた人々の前で演奏されたのに対し、現代では2000人規模の大ホールで演奏するのが普通になっています。したがって、遠くまで音の届く楽器と演奏方法が求められます ムーティがモーツアルトの天才性について、オペラを他の作品と対峙させることによって説明したのは、「流石はオペラ指揮者ムーティだ」と思います

 

         

 

昨日、角川シネマ有楽町で須賀川拓監督による2022年製作映画「戦場記者」(102分)を観ました

須賀川拓はTBSテレビ特派員(JNN中東支局長)という立場で、中東、ヨーロッパ、西アジアと地球の約3分の1をカバーし、世界各地を飛び回ってニュースを発信しています また、YouTubeやSNSを駆使して戦地のリアルな情報を発信し続けています こうした精力的な活動に対し、日本では権威のある「ボーン・上田記念国際記者賞」(2021年度)を受賞しています

 

     

 

須賀川は、パレスチナにおいては、イスラエルによって閉ざされた街ガザに入り、妻と4人の子供を空爆で亡くした男性の慟哭を聞く その一方で、イスラエルではガザから無差別に撃たれるロケット弾と迎撃ミサイルが空を飛び交う状況を映像で伝えるとともに、それぞれの当局者に攻撃の正当性を問い質します ウクライナではクラスター爆弾が降り注ぐ街の住民の怒りや、ロシア軍の占拠で放射能汚染のリスクが激増したチョルノービリ(チェルノブイリ)原発の職員に取材、プーチンの「特別軍事作戦」が一方的な侵略・破壊行為であることを看破します また、アフガニスタンでは、タリバンの支配により女性の人権が抑圧されている実態を当局に問い質し、深刻化する貧困と蔓延するドラッグが作り出した「橋の下で生活する地獄のような生活」の現場に足を踏み入れ、世界の中で最も悲惨な国の一つであるアフガニスタンの中で、さらにどん底の「世界から見放された人々」の実態を明らかにし、世界はこの実態を放っておいていいのか、と問題提起します テレビでは観ることのできない こうしたリアルな映像は、須賀川のような戦場記者がいなければ決して観ることができません

須賀川が素晴らしいのは、「意見・見解の異なる人々を取材する場合は、双方から対等に主張を聞く」というジャーナリズムの本質を貫いていることです ただ、彼も家庭を持つ一人の会社員です 「家族が一番大事だし、戦場に行くのは好きか?と問われれば、そういうことではなく、そこにいる人々と合って話を聞きたい、というのが本心だ」と正直に語っています また、「われわれが取材することによって、相手を救うことができるかといえば、決してそういうことはない 限界がある。正直な話、取材をすることを生業として生活していることには違いないし、『偽善』じゃないか、と言われればその通りかもしれない しかし、取材することによって、相手の主張が世界に知られる手助けになるということでは意味があると思う」と語っています

偶然にもこの日の朝日朝刊に、TBSの全面広告(今日 報道の日2022)が載りました

 

     

 

記事の左下の方に須賀川の名前が掲載されています

 

     

 

昨日は午前11時30分上映開始の部を観ましたが、客席は10数人とまばらでした 内容が固いだけに取っつきにくい印象が強いのかもしれませんが、テレビでは報道されない世界の情勢を知るためにも、一人でも多くの人に観てほしい映画です

 

         

 

【忘備録】ランキング( 3,139,511 ブログ中 130位 )は多分、自己新記録。

     

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佐渡裕 ✕ 宮里直樹 ✕ 平野和 ✕ 高野百合絵 ✕ 清水華澄 ✕ 二期会合唱団・栗友会合唱団 ✕ 新日本フィルでベートーヴェン「交響曲第9番 ”合唱付き”」ほかを聴く

2022年12月18日 07時01分01秒 | 日記

18日(日)。昨日の朝日朝刊「オピニオン&フォーラム 耕論」で「2022年の第九」を取り上げていました ウクライナ国立歌劇場の音楽監督・指揮者のミコラ・ジャジューラ氏(1961年・生)、音楽学者の岡田暁生氏(1960年・生)、指揮者の佐渡裕氏(1961年・生)が「第九」についてそれぞれの想いを語っています 記事のリードには「ベートーべンの交響曲第9番『歓喜に寄す』の季節が来た。だがウクライナで無残な戦争が続く今年、『抱き合おう、幾百万の人々よ』と歌い上げる第九を、私たちはどう聴けばいいのか」とあります

ウクライナ国立歌劇場の音楽監督・指揮者のミコラ・ジャジューラ氏は、概要次のように語っています

「ウクライナ国立歌劇場は今年の年末、日本で第九を演奏する バレエを含め総勢200人で来日した。この困難な時期に招いてくれたことを感謝している 戦争が始まり、キーウにある歌劇場のメンバーの半分以上が一時は国外に逃れた しかし現在は、ウクライナでの芸術活動を続けるために多くが戻ってきている 電力施設が攻撃され、キーウでは停電が起き、歌劇場でも電気が消えるのはしばしば、通信も途絶えがちで、ろうそくの火で演奏を続けている われわれは十数年前から何度も年末に来日し第九を演奏してきた しかし、今年はこれまでと違う第九になるだろう。それはこの曲が平和と人類の友情を歌い上げる内容だからだ メンバーは2月以降、戦争の日々を暮らすなかで思いを新たにしている。日本の皆さんにはそれを感じ取ってほしい 私はキーウに生まれ、旧ソ連で育ち、音楽を学んだ。しかしウクライナに再び平和が訪れるまで、自国ではロシアの作曲家の作品を指揮しないと決めている 1日も早くウクライナに平和が訪れ、今年とは違う歓喜に満ちた第九を演奏できることを願っている

京都大学教授で音楽学者の岡田暁生氏は、概要次のように語っています

「ロシアのウクライナ侵攻とコロナで、これまで通りに『第九』を演奏し、歌い、楽しむのは自明でないことが決定的になった 第九が歌う『抱き合おう、幾百万の人々よ』にイエローカードが突きつけられたのは明らかだ。コロナでは『抱き合う』ことが不可能になり、ウクライナ侵攻は、第九が象徴する市民社会や民主主義のもろさを示した そうした状況で、ただ熱い感動を第九に求めるのは、現実から目をそらすことにほかならない。第九は良くも悪くも政治的に利用されやすい作品だ しかし決して『御用音楽』の烙印を押されることはなかった。欧州連合は第九を『欧州の歌』にした。第九なら誰でも納得するのだ。第九はやはり、とてつもない名曲だ 2022年の終わりにこの曲を演奏するなら、ただ『お客さんが集まるから』でやってほしくない そして単に『歌って世界の平和を願う』だけでなく、どんなメッセージを送るのかを強く意識してほしい 演奏者には、芸術家としての社会意識が問われるだろう。第九の第4楽章は、一直線に盛り上がって終わるのではない。終盤で急にテンポが落ちて、視点をぐっと引いた印象を残し、それから慌ただしくコミカルとも思えるようなエンディングを迎える あえて、そこに焦点を当てるのもいいかもしれない。あるいは第4楽章をあえてカットして、美しい第3楽章の静けさで第九を終わるぐらいの実験をしてもいいと思う

指揮者の佐渡裕氏は、概要次のように語っています

「これまで200回ほど第九を指揮してきた 今年も6回コンサートをする。東日本大震災直後の2011年3月、突然、ドイツから電話が入り、『日本のために第九を指揮してほしい』と提案され、デュッセルドルフで当地の交響楽団とケルン放送交響楽団の合同楽団のタクトを振った 『この状況でFREUDE(歓喜)と歌えるか』と思ったのも事実だ しかし演奏後、約2千人の観客から受けたのは拍手ではなく黙祷だった。忘れがたい記憶だ ベートーべンがこの曲を作った当時、欧州は戦争が続き、疫病もはびこり、階級間の分断も激しかった その様相は今と似ている。ウクライナにロシアが攻め込み、米国のトランプ政権発足に始まった自国ファーストの風潮で分断が広がり、コロナ禍に世界はあえいでいる 現実はこんな世界だが、そうであってはならない。分断された人々も楽しく一緒に歌うことで、喜びを分かち合おうではないか、理想の実現に向け、手を一つに取り合おう、互いに抱き合おうーと求めている 抱き合うには、互いを尊敬し合わなければできない。ベートーベンは、人間の本能の中には他者を尊重する思いが根差しているに違いないと信じているからこそ、一つの音楽の中に、喜びとともに抱き合えというメッセージを共存させているのだと思う どれだけの力があるのか分からない。それでも、歌っている瞬間、地球のどこかで戦争が起きていることを意識しての第九になるだろう

以上のように三者三様の立場から「第九」について語っています ウクライナ国立歌劇場のミコラ・ジャジューラ氏の「ウクライナに再び平和が訪れるまで、自国ではロシアの作曲家の作品を指揮しないと決めている」という言葉は、不条理な戦争に巻き込まれた当事者としての発言として重みがあります また、音楽学者・岡田暁生氏の「第4楽章をあえてカットして、美しい第3楽章の静けさで第九を終わるぐらいの実験をしてもいい」という主張は、有料のコンサートでは非現実的です 気もちとしては理解できても、ほとんど詐欺行為と捉えられるでしょう そして、佐渡裕氏の「どれだけの力があるのか分からない。それでも、歌っている瞬間、地球のどこかで戦争が起きていることを意識しての第九になるだろう」という言葉は、演奏する側からの心構えとして受け止められると思います

3人に共通しているのは「ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、『第九』の聴き方がこれまでと違ってきた」ということです さらに、コロナ禍がベートーヴェンの『抱き合おう、幾百万の人々よ』というメッセージを否定する方向に働いているということです 以上 3人の見解を胸に、この日の「第九」を聴くことにします

ということで、わが家に来てから今日で2897日目を迎え、米ツイッター社が、米主要メディアの複数の記者アカウントを凍結して反発を招いている件で、国連は16日、言論の自由を損なうとして懸念を表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     そもそもマスク氏がツイッターを買収したのは 言論の自由の尊重じゃなかった?

 

         

 

昨日、サントリーホールで新日本フィル「第九」特別演奏会を聴きました プログラムは①J.S.バッハ「トッカータとフーガ  ニ短調 BWV565」、②A.ギルマン「ヘンデルの『頭を上げよ』による行進曲」,③ベートーヴェン「交響曲第9番 ニ短調 ”合唱付き” 作品125」です 出演は①②のオルガン独奏=室住素子、③のテノール=宮里直樹、バリトン=平野和、ソプラノ=高野百合絵、メゾ・ソプラノ=清水華澄、合唱=二期会合唱団、栗友会合唱団。管弦楽=新日本フィル、指揮=佐渡裕です

開演前にパトロネージュ部の登原さんとお話ししましたが、ちょうど高校生の団体が2階席に移動するところでした 登原さんによると文化庁の助成事業の一環とのことでした オケのメンバーが手分けして学校を訪ねて演奏する「アウトリーチ」活動も素晴らしいと思いますが、こうしてフル・オーケストラをコンサート会場で直接聴くことが、何にも増して感動を与え、将来の定期会員を開拓する上での絶好の機会になると思います こうした事業をどんどん取り込んでほしいと思います 登原さんをはじめオケを支える事務局で働く皆さんはご苦労が絶えないと思いますが、クラシック音楽の灯を消さないためにも頑張ってほしいと思います また オケとともに現場の第一線で頑張っている彼女たちを応援したいと思います

 

     

 

プログラム前半は室住素子によるパイプオルガンの演奏です

1曲目はJ.S.バッハ「トッカータとフーガ  ニ短調 BWV565」です この曲はヨハン・セバスティアン・バッハ(1685ー1750)が1708年以前に作曲した作品で、バッハのオルガン曲の中で最も人口に膾炙した作品です

室住素子が2階正面のパイプオルガン席に着き、さっそく演奏に入ります 重低音がホールを振動させる体感は他に代えがたい体験です バッハのオルガン曲を聴くたびに俄かクリスチャンになります

2曲目はアレクサンダー・ギルマン(1837ー1911)の「ヘンデルの『頭を上げよ』による行進曲」です まるでクリスマス・ソングのような曲想で、楽しく聴けました

ところで10ページから成るプログラム冊子には、上記の2曲の解説がありませんでした 新日本フィルはこの日を含め5回「第九」コンサートを開きますが、オルガン曲が演奏されるのはこの日だけのようです そういうこともあって、共通プログラムとして省略したのかもしれません しかし、1年に1度「第九」しかコンサートを聴かない人もいるでしょうから、「第九」とともに曲目解説があった方が親切だと思います クラシック人口を少しでも増やすため、こうした小さな努力をした方が良いと思います

 

     

     

プログラム後半は、ベートーヴェン「交響曲第9番 ニ短調 ”合唱付き” 作品125」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770ー1827)が1818年に着手し、1822年から24年にかけて本格的に作曲、1824年5月7日にウィーンのケルントナートーア劇場で初演されました 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポコ・マエストーソ」、第2楽章「モルト・ヴィヴァーチェ」、第3楽章「アダージョ・モルト・エ・カンタービレ」、第4楽章「プレスト ~ アレグロ・アッサイ」 の4楽章から成ります

最初にP席に二期会と栗友会の合同合唱団のメンバーが入場し、女声陣(55人)が左右のサイドに分かれ、中央に男声陣(41人)が市松模様配置でスタンバイします そして、オケのメンバーが配置に着きます。弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの新日本フィルの並び   コンマスは特任コンマス・伝田正秀、アシスタント・コンマスは立上舞です    第2ヴァイオリンのトップには元N響第2ヴァイオリン首席・大林修子がスタンバイ、さらにチェロのトップには東京フィルの首席が客演しています。「第九」公演ならではの変則布陣と言えるかもしれません

佐渡裕の指揮で第1楽章に入ります 中盤でチェロが凄まじい渾身の演奏を展開していたのが印象的でした ティンパニの打ち込みが心地よく響きます 佐渡の指揮は時に何かに対する怒りを表しているように思いました 第2楽章ではマルコス・ペレス・ミランダのクラリネット、野津雄太のフルートをはじめ木管楽器が冴えていました 第3楽章に入る前にオケがチューニングを行い、その間に4人のソリストが入場しオケの後方にスタンバイします

私は「第九」の中では第3楽章が一番好きです 「平和」とか「安心」とかいう言葉を音楽で表現したらこういう曲になるのではないか、とさえ思っています この楽章を聴くたびに思い出すのは、ファスビンダー監督による1979年製作西ドイツ映画「マリア・ブラウンの結婚」です この映画は、「1943年、マリア(ハンナ・シグラ)はヘルマン・ブラウンと結婚式を挙げたが、半日と1夜の新婚生活のあとヘルマンは東部戦線に出発する 戦争が終わってもヘルマンは帰ってこなかったが、マリアは夫の生存を信じて、尋ね人のプラカードをさげて駅に通った・・・」というストーリーです 冒頭のこのシーンでバックに流れていたのが「第九」の第3楽章でした それは、マリアが来るべき第4楽章の歓喜の世界を信じて夫を待っていることの象徴のように流れていました また、この楽章を聴きながら、ウクライナの人たちのことを想いました。いまこの瞬間にも理不尽な生活を強いられている彼らのことを 彼らはまだ「第3楽章」に達していない。まだ混沌とした「第1楽章」か、激しい「第2楽章」に留まっている。いつになったら「第3楽章」を経て「第4楽章」の歓喜の世界を迎えることが出来るのか、と

佐渡の指揮で第4楽章が嵐のような激しい音楽で開始されます それまでのテーマが否定され、低弦により「歓喜の歌」のテーマが奏でられます 再び嵐の音楽に戻り、バリトンが「おお友よ、こんな音楽はよそう!・・・」と歌います。そして、テノール、メゾ・ソプラノ、ソプラノが加わり、さらに合唱が加わり「歓喜の歌」を歌い上げます 佐渡はスケールの大きな演奏を展開します 曲の終盤、管弦楽によって「アレグロ・アッサイ」がアグレッシヴに繰り広げられ、曲が終結するや否や、満場の拍手とブラボーがステージに押し寄せました この曲には「指揮者のタクトが降ろされるまで拍手やブラボーはお控えください」というアナウンスは無意味です こうした注意は演奏される作品によってアナウンスしたりしなかったり区別すべきです。たとえばチャイコフスキー「交響曲第6番”悲愴”」などは終結部が静かに終わるので、すぐの拍手は控えるようアナウンスしても良いかもしれません

新日本フィルは、このコンサートからスマホ等によるカーテンコールの撮影が可能になりました    記念に写メしておきました

 

     

     

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「ウィーン・プレミアム・コンサート」のチケットを取る / タル・ベーラ監督「アウトサイダー」を観る ~ ベートーヴェン「交響曲第7番」、リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」が流れる:早稲田松竹

2022年12月17日 07時01分03秒 | 日記

17日(土)。来年4月6日(木)19時から東京オペラシティコンサートホールで開かれる「ウィーン・プレミアム・コンサート」Aプログラムのチケットを取りました    これはウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場のメンバーを中心に構成される「トヨタ・マスタープレイヤーズ、ウィーン」によるコンサートで、指揮者兼コンマスはウィーン・フィルのコンマス、フォルクハルト・シュトイデです Aプログラムはウィンナワルツ集です 参考までにBプログラムは①ベートーヴェン「交響曲第5番」、②同「ピアノ協奏曲第3番」(P:小菅優)、③バッハ「管弦楽組曲第2番」、同「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調」です(4月16日=サントリーホールほか) チラシには12月17日(土)全国一斉発売と書かれていましたが、イープラスのWEBサイトにアクセスしたら、すでに申し込みを受け付けていました さっそく1階21列左ブロックの席を押さえましたが、残念ながら通路側席は取れませんでした このコンサートは最初の頃はサントリーホールで開かれていましたが、その後オペラシティに移りました 本当はサントリーホールで聴きたかったのですが、仕方ありません

 

     

     

     

ということで、わが家に来てから今日で2896日目を迎え、トランプ前米大統領は「15日に重大発表がある」と事前に発表していたが、発表された内容は「自分が宇宙飛行士などに扮したトレーディングカード(トレカ)を発売する」というものだった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     これが重大発表?  米国大統領の権威も地に落ちた 金儲けファースト主義 健在だな

 

         

 

昨日の夕食は、2週間に一度のローテにより「鶏の唐揚げ」を作りました 栗原はるみ先生のレシピによる「うまみ醤油」に鶏もも肉を4時間以上漬けておいたので、味がよく浸み込んで美味しかったです 唐揚げには サッポロCLASSIC です

 

     

 

         

 

早稲田松竹でタル・ベーラ監督による1981年製作ハンガリー映画「アウトサイダー」(カラー:128分)を観ました

精神科病院で働くアンドラーシュ(サボー・アンドラーシュ)は、見事なヴァイオリン演奏を患者に聴かせる 彼は自分の子を産んだばかりのアンナのもとを訪れ彼女に別れを告げる やがて彼は依存症患者と飲酒したことが原因で仕事を解雇され、ケーブル工場で働き始める ある日、アンドラーシュは酒場で出会った女性カタ(フォドル・ヨラーン)と恋に落ち、結婚する 自分の子かどうかも判然としない子供への養育費をアンナに払いながら、根拠もなく「何とかなる」というのが口癖のアンドラーシュと、現実主義者のカタとは生活信条が合わない

 

     

     

この映画は、ハンガリーの巨匠タル・ベーラがブタペスト映画芸術アカデミー在籍中の1981年に製作した長編第2作です 彼の作品の中では珍しくカラー作品となっています

アンドラーシュは音楽学校に通っていましたが、中退しています。多分酒癖の悪さが原因です そんな彼はベートーヴェンに心酔しており、壁を背景にLPレコードから流れるベートーヴェン「交響曲第7番」の第4楽章「アレグロ・コン・ブリオ」の音楽に合わせて指揮をするシーンがあります わざと素人っぽくぎこちない演技で振っているのか、本当に指揮の演技が下手なのかよく分かりませんが、あの指揮ぶりではベートーヴェンらしい溌溂とした「アレグロ・コン・ブリオ」は出てこないと思います

ラストシーンが印象的です レストランの主人(アンドラーシュにベートーヴェンの偉大さを教えた人)が、店で演奏する「弦楽4部とチェンバロンによるバンド」のリーダーにリストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」を演奏してくれとリスエストします その音楽とともにエンドロールが流れ、物語を閉じる形をとっています 言うまでもなく、フランツ・リスト(1811ー1886)はハンガリー生まれの作曲家です。「ハンガリー万歳」とでも言うべきこのラストシーンは意外でした 若きタル・ベーラにとってその当時のハンガリーは礼賛すべき存在だったということだろうか

 

     

 

本日、toraブログのトータル訪問者数が230万 I P を超えました( 2,300,573 IP。トータル閲覧数は 7,452,565 PV )。なお、本日付の gooブログ全体におけるランキングは 3,139,285 ブログ中 292位となっています。これもひとえに普段からtoraブログをご覧いただいている読者の皆さまのお陰と感謝しております    これからも毎日休むことなく根性で書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

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ファビオ・ルイージ ✕ 河村尚子 ✕ N響でラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第2番」、ドヴォルザーク「交響曲 第9番」他を聴く

2022年12月16日 07時01分02秒 | 日記

16日(金)。わが家に来てから今日で2895日目を迎え、トランプ前米大統領は「アメリカにはスーパーヒーローが必要だ。12月15日に重大発表を行う」と発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     いよっ 待ってました元大統領! 世界平和のためにやっと政界引退を決断するのか

 

         

 

昨日、夕食に「青椒肉絲」「生野菜サラダ」「豚汁」を作りました 美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで「NHK交響楽団12月度Bプログラム定期公演(2日目)」を聴きました プログラムは①グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲、②ラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調」、③ドヴォルザーク「交響曲 第9番 ホ短調」です 演奏は②のピアノ独奏=河村尚子、指揮=ファビオ・ルイージです

 

     

 

オケは16型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつものN響の並び。コンマスは伊藤亮太郎です

ところで、コンマスが他の楽員と一緒に登場するのはN響くらいなものでしょう あのマロさんでさえそうです。ほとんどのオケは、他の楽員が着席してからおもむろに登場し大きな拍手を浴びます。指揮者でもないのに 元ウィーン・フィルのコンマスでN響のゲスト・コンマスも務めたことのあるライナー・キュッヒル氏が、「後からコンマスが登場して単独で拍手を受けるのはどんなもんかね? 知らんけど」と語っていたのをどこかで読んだ記憶があります 彼の登場スタイルが現在のN響のコンマスに受け継がれているのだろうか

1曲目はグリンカ:歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲です このオペラはミハイル・グリンカ(1804ー1857)が1837年から1842年にかけて作曲、1842年12月9日にサンクトペテルブルクで初演されました オペラの本作はプーシキンによる物語に基づき、魔法使いの罠を乗り越えて結ばれる2人の男女を巡るメルヘン物語です 現在では、5幕からなる長大なこのオペラが上演される機会はなく、勇ましい序曲だけが単独で演奏されています

スタイリッシュなルイージが登場、さっそく演奏に入ります スピード感あふれる超高速演奏ですっ飛ばします 弦楽器群の渾身の演奏が素晴らしい 植松透のティンパニが心地よいリズムを与え、曲にメリハリを付けます あっという間の5分でした

2曲目はラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調」です この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873ー1943)が1900年から翌01年にかけて作曲、1901年11月9日にモスクワでラフマニノフのピアノ独奏により初演されました 「交響曲第1番」が失敗に終わり、落ち込んでいたラフマニノフは精神科医ニコライ・ダーリ博士の治療を受けて自信を取り戻し、このコンチェルトを作曲、初演は大成功裡に終わったという経緯があります 第1楽章「モデラート」、第2楽章「アダージョ・ソステヌート」、第3楽章「アレグロ・スケルツァンド」の3楽章から成ります 蛇足ですが、ラフマニノフの作品はすべて短調で書かれていますが、単調ではありません

ソリストの河村尚子は2006年ミュンヘン国際音楽コンクール第2位、2007年クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝を果たしています 現在、ドイツを拠点に活躍しており、フォルクヴァング芸術大学教授、東京音楽大学特任講師を務めています

オケは14型に縮小、ルイージと共に 河村尚子が水色系の衣装で登場、ピアノに向かいます

河村の独奏で第1楽章が開始されます 河村のピアノは1音1音がとても美しく響きます 甲斐雅之のフルート、伊藤圭のクラリネットがロマンティシズム溢れる河村の演奏に華を添えます ルイージはメリハリをつけた指揮を見せますが、歌わせるところは存分に歌わせます 第2楽章では河村の磨き抜かれた美音が会場を支配します 第3楽章は一転、溌溂とした音楽が展開、河村の独奏ピアノとオケとの丁々発止のやり取りで軽快に演奏が進み、雄大なスケールでフィナーレを飾りました

満場の拍手に、河村はリムスキー・コルサコフ(ラフマニノフ編)「熊蜂の飛行」を超高速で演奏、聴衆を唖然とさせました

 

     

 

プログラム後半はドヴォルザーク「交響曲 第9番 ホ短調」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841ー1904)がニューヨークの私立ナショナル音楽院の院長をしていた1893年に作曲、同年ニューヨークで初演されました 第1楽章「アダージョ~アレグロ・モルト」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「アレグロ・コン・フォーコ」の4楽章から成ります

オケは16型に戻ります 第1楽章を聴いていて あらためて思ったのは、ルイージの指揮はキビキビしてメリハリの効いたものであるが、歌わせるところは十分歌わせるところに特徴があるということです 第2楽章は「家路」で有名なテーマがコーラングレ(イングリッシュホルン)によって奏でられますが、この楽章では他のどんな楽器が頑張っても、全ての称賛はコーラングレに持っていかれます   ドヴォルザークの作曲したメロディーも美しいけれど、楽器自体の音色の美しさ・懐かしさに惹かれるのだと思います 私は小学校高学年の時にボーイスカウトの野営キャンプで「家路」を歌ったことを覚えています その頃はドヴォルザークのドの字も知りませんでしたが 第3楽章ではオーボエ、フルート、クラリネットといった木管楽器が冴えていました 第4楽章冒頭は、”鉄道オタク” ドヴォルザークの面目躍如です 蒸気機関車が発進する時の様子がフル・オーケストラによって力強く演奏されます 金管楽器と弦楽器群の渾身の演奏が素晴らしい ルイージ ✕ N響は最後までメリハリの効いた演奏をアグレッシブに展開しました

なお、ルイージは第1楽章と第2楽章を 間を置かずに演奏、また 第3楽章と第4楽章を間を置かずに演奏し、曲全体を前半と後半に区切りをつけて演奏したのが印象的でした

カーテンコールが繰り返され、第2ヴァイオリン奏者からルイージに花束が贈呈されました

 

     

     

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タル・ベーラ監督「ファミリー・ネスト」を観る ~ 唐突に流れるシューマン「交響曲第2番」の第2楽章:タル・ベーラの長編デビュー作品 / 東京シティ・フィル ⇒ 新シーズン座席変更完了

2022年12月15日 07時01分02秒 | 日記

15日(木)。昨日、東京シティ・フィルからメールがあり、新シーズンの座席変更について当方の希望通りの席が確保できたとのことでした 現在は1階センターブロック左側の通路から2つ目ですが、右側の通路側席が取れました ありがたい変更ですが、こんなにすんなり変更できてしまうと、逆に大丈夫かなと心配になってしまいます 平均年齢が若く、これから伸びるオケとして応援したいと思っているので、定期会員が増えるといいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2894日目を迎え、ロシア大統領府のドミトリー・ぺスコフ報道官は13日、ウクライナ侵攻で占領した地域を同国政府がロシア領と認めない限り、紛争解決に向けた進展はないとの見解を示した一方、英国防省は13日までに、ロシアが侵攻後に制圧した地域の54%をウクライナが奪還したとの分析を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     占領した地域は どんどん狭まっていき  ロシアへの批判は どんどん広まっていく

 

         

 

昨日はとても寒かったので、夕食は「おでん」にしました 昔「おでんは待ってます」という某コンビニのTV-CMがありましたね 「お電話 待ってます」と「おでん 🍢 は待ってます」の掛詞による名作でした おでんを食べるたびに思い出します

 

     

 

         

 

早稲田松竹でタル・ベーラ監督による1977年製作ハンガリー映画「ファミリー・ネスト」(モノクロ:105分)を観ました

ハンガリーの首都ブタペストは住宅難により空き部屋がないため、イレン(ラーツ・イレン)は仕方なく夫ラツィ(ホルバート・ラースロー)の家族と暮らしている イレンのことが気に入らない義父(クン・ガーボル)は彼女につらく当たる 帰宅した夫に不満を訴えるイレンだったが、夫はどっちつかずの態度を取り続ける   遂に堪忍袋の緒が切れたイレンは娘を連れて出ていく しかし、住むところがないイレンは娘を兄に預け、自分は誰も住んでいない住居に不法侵入し住み着く   誰も自分を告発しないことを祈りながら

 

     

     

この映画は、「サタン・タンゴ」の巨匠タル・ベーラの長編デビュー作です 不法占拠者に対する警察官の暴力を撮影して逮捕されたタル・ベーラ自身の経験をもとに、住宅難のブタペストで夫の両親と同居する若い夫婦の姿をドキュメンタリータッチで描いています

タル・ベーラ監督の後期の”静かな”作品を先に観てからこの作品を観ると、登場人物の”冗舌さ”が際立っていることに気が付きます 義父は食事中もイレンに苦情を言い、さらには戦場から帰ってきたばかりのラツィや、その弟にも当たり散らします。ひと言で言えば「家賃も払わない奴はおれの家から出ていけ」ということです その機関銃のような口撃には舌を巻きます しかし、幼子を抱えるイレンも黙ってはいません 食卓で義父と口でのバトルが展開します その間、テレビがオペラらしき番組を放映していて、ドイツのバリトン歌手、ヘルマン・プライの姿が見えました そして、食事が終わり家族が解散すると、突然テレビからシューマン「交響曲第2番 ハ長調 作品61」の第2楽章「スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ」が流れ出します まるで、義父の機関銃のような口撃を音楽で表したような印象を受けます

いずれにしても、この作品が「動」だとすれば、後の「ダムネーション/天罰」や「サタン・タンゴ」は「静」と言えると思います

 

     

     

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エリアフ・インバル ✕ 東京都交響楽団でウェーベルン「管弦楽のための6つの小品」、ブルックナー「交響曲第4番」(第1稿)を聴く / リッカルド・ムーティ「私の履歴書」~ リヒテルとの思い出

2022年12月14日 07時05分57秒 | 日記

14日(水)。日経朝刊に連載の「私の履歴書 リッカルド・ムーティ」は昨日 第12回目を迎えました この回ではソ連の巨匠ピアニスト、リヒテルとの思い出を語っていますが、忘れられないアンコールについて触れています

「リヒテルとジェノヴァでラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』共演した時、演奏中に彼がある箇所で間違えそうになった 私は瞬間的にオーケストラをコントロールし、彼もすぐ取り直して、幸いにも聴衆が気づくようなミスにはならなかった ところが彼はそのことが大変気になった様子で、アンコールでもう一度全曲を弾き直したいと言った 私はオーケストラを説き伏せてもう一度演奏することにした。今度は完璧な演奏ができて、彼は満足げだった

ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』は演奏時間にして約18分かかります それをアンコールに演奏すると言うのですから正気の沙汰とは思えません しかし、それが本当のプロフェッショナルというものなのでしょう 労組の強い現在のコンサートでは起こり得ない出来事だと思います しかし、驚きはそれにとどまりません。ムーティは次のように語っています

「その翌日、ジェノヴァの駅でフィレンツェ行きの列車を待っていると、同じく駅にいたリヒテルが近づいてきて、ラヴェルのスコアを出してくれと言う 彼は昨日の演奏で、もう少しでミスとなる箇所のページを開くと、その音符の上にサインして『毎回ここで間違ったと思い出せるようにね』と言った 私は巨匠の謙虚な側面を見たような気がして胸が熱くなった

時代を問わず、巨匠と言われる演奏家は謙虚なのだと思います

ということで、わが家に来てから今日で2893日目を迎え、ロシアのぺスコフ大統領報道官は12日、国内と外国の多くのメディアを集めたプーチン大統領による年末恒例の記者会見を開かないと明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     どうせ「人は誰でも いつかは死ぬ」としか言わないんだろ  自分が戦場に行けよ!

     

         

 

昨日夕食に「豚肉の紫蘇巻き焼き」「生野菜とツナのサラダ」「もやしの味噌汁」を作りました 紫蘇は半分に切って豚もも肉で巻いています

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで東京都交響楽団「第962回定期演奏会Bシリーズ」を聴きました プログラムは①ウェーベルン「管弦楽のための6つの小品」、②ブルックナー「交響曲第4番 変ホ長調 ”ロマンティック”」(ノヴァーク:1874年第1稿)です

 

     

 

拍手の中、楽員が配置に着きます 弦は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという並び。下手に高音部のヴァイオリンを集め、中央に中音部のヴィオラを配し、上手に低音部のチェロとコントラバスを集める配置は、ディズニーの「ファンタジア」でお馴染みのレオポルド・ストコフスキーが、ステレオ録音のために定着させた楽器配置であると言われています つまりスピーカーの左からはヴァイオリンが、右からはチェロやコントラバスが聴こえてくるようにという意図がありました

コンマスは矢部達哉、隣は四方恭子というダブル・コンマス態勢を敷きます 他の弦楽セクションも第2ヴァイオリンが双紙正哉、遠藤香奈子、ヴィオラが鈴木学、篠崎友美、チェロが古川展生、コントラバスが池松宏といった首席クラスで固めています 都響桂冠指揮者・インバルを迎える万全の態勢といえます

1曲目はウェーベルン「管弦楽のための6つの小品」です この曲はアントン・ウェーベルン(1883ー1945)が1909年に作曲、1913年3月31日にシェーンベルクの指揮によりウィーンで初演されました 

新日本フィルの「ワンコイン講座」の講師としてもお馴染みの小室敬幸氏のプログラムノートによると、ウェーベルンは1912年7月17日の手紙で「ほとんどすべての私の作品が彼女の思い出に由来している」と書いていますが、この「彼女」とは糖尿病による合併症で1906年9月7日に53歳で亡くなった母親のことだといいます また、1913年1月13日の手紙では、この「管弦楽のための6つの小品」は母親がこの世を去る前後の心象に基づいて作曲したことを明かしているそうです

第1曲「遅く」、第2曲「動きをもって」、第3曲「中庸に」、第4曲「とても中庸に」、第5曲「とても遅く」、第6曲「遅く」から成ります

演奏を聴いていて、特に印象に残ったのは第1曲と第4曲です 第1曲は、母親が亡くなるかもしれないという漠然とした不安が音楽に表れています 第4曲は葬送行進曲です。ウェーベルンの沈痛な面持ちが浮かびます 繊細な演奏でした

 

     

 

プログラム後半はブルックナー「交響曲第4番 変ホ長調 ”ロマンティック”」(ノヴァーク:1874年第1稿)です この曲はアントン・ブルックナー(1824ー1896)が1874年に作曲しました 「ロマンティック」という副題はブルックナー自身が付けたものです 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンテ・クワジ・アレグレット」、第3楽章「きわめて速く」、第4楽章「アレグロ・モデラート」の4楽章から成ります

インバルの指揮で第1楽章が開始されます 弦のトレモロによる”ブルックナー開始”に乗せてホルンが第1主題を奏でるスタイルは第1稿でも健在でした このホルンは後の演奏でも終始安定していました ブルックナーはこの第4番を何度か改訂していますが、現在われわれが聴いているのは「1878/80稿」と言われる版による演奏です 私が所有している十数枚の第4番のCDはすべてその版による録音です この版に慣れた耳で第1稿を聴くと、やはり微妙に異なるので違和感を感じたりします 第1楽章では後半にゲネラル・パウゼ(全休止)が多いことに気が付きます 第3楽章のスケルツォは改訂版に比べると、同じフレーズの繰り返しが多く、ここでもゲネラル・パウゼの多用が目立ちます 第4楽章の冒頭には驚きました。最初はこんなエキセントリックなメロディーで開始していたのか、と意外に感じました 全体的には粗さが目立ち、入れたいものをすべてぶち込んだ「ごった煮」的な曲で、発展途上の作品という印象を持ちますが、逆にその粗さが魅力となっている部分もあります

インバル ✕ 都響のパワフルかつ繊細な演奏を聴いて、第1稿による「第4番」の新鮮な魅力を感じ取ることができました

 

     

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セバスティアン・ヴァイグレ ✕ 反田恭平 ✕ 読売日響 でチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第2番」、タネーエフ「交響曲第4番」を聴く / 新聞休刊日について考える

2022年12月13日 07時02分56秒 | 日記

13日(火)。昨日は新聞休刊日だったので「コーヒーを入れないクリープ」みたいな何か物足りない午前を過ごしました こういう日は、池袋まで歩いて喫茶店で本を読むか、雨の場合は自宅で次のコンサートで取り上げられる曲のCDを聴きながら本を読むか、いずれにしても読書をして過ごします

ところで、新聞休刊日(新聞が配達されない日)は全国的に月1回・年12回となっています ちなみに来年=2023年の新聞休刊日は以下の通りです

 1月 2日(月)

 2月13日(月)

 3月13日(月)

 4月17日(月)

 5月15日(月)

 6月12日(月)

 7月10日(月)

 8月14日(月)

 9月11日(月)

10月10日(火)※前日の9日(月)は「スポーツの日」で祝日となっている。

11月13日(月)

12月11日(月)

なぜ月曜日がほとんどかというと、前日の日曜日に新聞を印刷する輪転機を止めて機械を休ませ、システムのメンテナンスを行い、月曜日に新聞販売所の配達員に休んでもらうようにしているからです

新聞販売店には、大きく分けると特定の新聞を配達する専売店と、複数の新聞を配達する複合店があります たとえば、わが家の場合は朝日新聞と日本経済新聞を定期購読していますが、朝日新聞は朝日の専売店が配達していますが、日本経済新聞の方は毎日新聞の販売店が配達しています。つまり日経が毎日に販売を委託する形をとっています 地方紙でも事情は同じです。こうした販売店の実態を考えた時、新聞によって休刊日がバラバラだと販売店の従業員は1年中 休みが取れなくなってしまいます。これでは従業員不足に拍車がかかるばかりです それを少しでも緩和するため、年12回だけですが、一斉に休める体制にしているのです なお、これは新聞業界が正式に話し合って決めているわけではありません(常に公正取引委員会が目を光らせています)。新聞配達員は雨の日も雪の日も毎朝早くから配達してくれます 夕刊も配ってくれます。奨学金を得ながら配達している苦学生もいます 新聞代は1か月、朝日=4400円、日経=4900円ですが、情報の質と量からして全然高いとは思いません 毎日、配達員の皆さんに感謝しながら読んでいます  新聞は私にとって生活必需品です

ということで、わが家に来てから今日で2892日目を迎え、北朝鮮の金正恩国務委員長から贈られ、韓国の文在寅前大統領が飼っていた豊山犬2匹が12日、南西部・光州市の牛﨑動物園に移送された  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     現在のユン・ソギョル大統領の元に行くんじゃないんだね 犬猿の仲で嫌われたのか

 

         

 

昨日、夕食に「野菜とひき肉のドライカレー」と「生野菜サラダ」を作りました 辛めのカレーに目玉焼きがよく合います

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで読売日響「第623回定期演奏会」を聴きました プログラムは①チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第2番 ト長調」、タネーエフ「交響曲第4番 ハ短調」です

 

     

     

反田恭平人気でしょうか、会場はほぼ満席です 2021年のショパン国際ピアノ・コンクールで第2位受賞の威力はまだまだ続きそうです

拍手に迎えられて入場するオケは、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の並び    コンマスは長原幸太、その隣は林悠介というダブル・コンマス態勢を敷きます

1曲目はチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第2番 ト長調」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840ー1893)が1879年から翌80年にかけて作曲、1881年11月12日にニューヨークで初演されました 第1楽章「アレグロ・ブリランテ・エ・モルト・ヴィヴァーチェ」、第2楽章「アンダンテ・ノン・トロッポ」、第3楽章「アレグロ・コン・フォーコ」の3楽章から成ります

反田恭平がヴァイグレとともに登場、ピアノに対峙します ヴァイグレの指揮で第1楽章が力強く開始されます オケはロシア的ともいえる重心の低い演奏を展開します それに乗ってモスクワ音楽院出身の反田の質実剛健な演奏が力強く繰り広げられます カデンツァが鮮やかです 第2楽章は独特のスタイルです。冒頭は弦楽合奏に乗って長原コンマスのソロが まるでヴァイオリン協奏曲のソリストのように甘い音色で主題を奏でます さらに遠藤真理の美しいチェロが加わり、まるでダブル・コンチェルトのような曲想を展開します そうくるか!と思って聴いていると今度は反田のピアノが加わり、トリプル・コンチェルトのような様相を呈してきます このアンサンブルがとても美しく響きました 間を置かずに突入した第3楽章は、一転して反田の喜びに満ちたピアノが高速で軽快に奏でられ、これにオケが呼応します 静から動への切り替えが見事です 反田とオケとの丁々発止のやり取りで華やかなフィナーレを飾りました

満場の拍手にカーテンコールが繰り返され、反田とともに、ソロを演奏した長原コンマスとチェロ首席の遠藤真理が立たせられましたが、ピアノの蓋が視界を遮って1階席のかなりの聴衆が彼女の姿を見られませんでした これを日本では「身も蓋もない」と言います。真理さんごめんなさい。身もふたもないダジャレで なお、反田のアンコールはありませんでした。見識です

 

     

 

プログラム後半はタネーエフ「交響曲第4番 ハ短調」です この曲はセルゲイ・タネーエフ(1856ー1915)が1896年から98年にかけて作曲、1898年3月21日にサンクトペテルブルクで初演されました 第1楽章「アレグロ・モルト」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「スケルツォ:ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・エネルジーコ ~ モルト・マエストーソ」の4楽章から成ります

澤谷夏樹氏のプログラムノートによると、タネーエフはモスクワ音楽院の教授だったチャイコフスキーから教授職を受け継いだ、つまり直弟子とのことです タネーエフは1881年にピアノのクラスを、83年に作曲の講座を受け持ち、85年には音楽院の院長に就任するなど、超多忙な生活を強いられたことから、作曲の時間を持つことができなかった。そのため彼は89年に対位法の教師以外のポストをすべて返上し、強引に創作の時間を作り出した。その結果、オペラや交響曲を作曲し、98年に「交響曲第4番」を完成させたーとのことです

ステージ中央からピアノが外され、オケ全体が見渡せる状態になりました チェロ首席の富岡廉太郎の楽器のエンドピンの長いこと 隣の遠藤真理のエンドーピンの2倍くらいありそうです したがって、富岡は高い位置にあるチェロを抱きかかえるようにして演奏することになります

この曲はCDを持っていないので初めて聴く作品です ヴァイグレの指揮で演奏に入りますが、全体を通して聴いた印象は、ロシアの広大な大地に根差したスケールの大きな曲想で、時に師匠のチャイコフスキー風のメロディーも聴かれました 第3楽章はベートーヴェンの第九の第3楽章「スケルツォ」を想起させました 第4楽章の後半は、業務多忙のため作曲を断念せざるを得なかったタネーエフの鬱憤を一気に晴らすかのような、「芸術は爆発だ」を音で表したような音の大伽藍が築き上げられました

カーテンコールが繰り返され、ヴァグレが観衆の拍手に応えました コロナ禍の時も臆することなく繰り返し来日し、率先して指揮活動を行っていました 読響にとって頼もしい常任指揮者なのではないかと思います

ところで、終演時のアナウンスが気になりました これまでは「分散退場にご協力ください。まず初めに1階席〇〇列目から〇〇列目までのお客様、ご退場ください」とアナウンスしていたのが、昨夜は「出口に近い方から順にご退場ください」とアナウンスしていました やっと 分散退場がほとんど効果ないことに 気がついたようです

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ショルティのマーラー「交響曲第5番」 ~ 日経の記事から / 「東京・春・音楽祭 2023」のチケットを4公演取る / タル・ベーラ監督「ダムネーション / 天罰」を観る ~ 早稲田松竹

2022年12月12日 07時02分00秒 | 日記

12日(月)。昨日の日経朝刊「 The  STYLE / Culture 」ページの「名作コンシェルジュ」で、音楽評論家の鈴木敦史氏がショルティ ✕ シカゴ交響楽団によるマーラー「交響曲第5番」のCDを取り上げていました 鈴木氏は次のように書き出しています

「マーラーの交響曲第5番の冒頭楽章は、トランペットによるファンファーレで始まる このショルティ盤では、名手ハーセスの吹くトランペットが輝かしく、じつに華やか メンデルスゾーンの結婚行進曲の喜びに満ちたファンファーレが思い起こされるのも無理もない(短調で書かれているのに!)。しかし、あとに続くのは重々しい葬送行進曲だ つい、『結婚は人生の墓場』などといった使い古された箴言が頭をよぎる マーラーは、大真面目にパロディをやってのける作曲家だった。彼の手にかかればシニカルや冗談抜きで結婚と葬送がするっと繋がってしまう この2つにそれほど違いはないというように

そして、ショルティの演奏についてコメントを続けます

「ショルティの演奏は、完全にストレート勝負だ 個々の感情表現に囚われることのない、剛直なまでに潔い流れが心地よい マーラーが仕掛けたさまざまなパラドックスも、走馬灯的スピードのなかで、どんどん後ろへ押し流されていく 爽快!。彼がシカゴ交響楽団の音楽監督になって最初に行ったレコーディングだった 以後20年以上続いた黄金のコンビによる記念碑的な録音でもある。豪快にしてパワフル 小気味よいテンポで前進しながら、整ったアンサンブルは精悍そのもの。デッカのスタッフによる一つひとつの音がソリッドに引き立った優秀録音だ。第3楽章のバスドラム強奏で音が歪んでしまうのは、それほどの超絶的なサウンドだったのだろう

ショルティの演奏は鈴木氏のコメントの通りで、「豪快にしてパワフル」「小気味よいテンポで前進しながら、整ったアンサンブルは精悍そのもの」です そうは言うものの、私はショルティの指揮によるマーラーの交響曲のCDはデッカのコンピレーション・アルバム「THIS  IS  THE  MAHLER」1枚しか持っていません このアルバムには第1番から第9番までの交響曲と「大地の歌」から、それぞれの聴きどころの楽章を抜粋して収録しています この抜粋盤を聴くだけでも鈴木氏の指摘するショルティの演奏の特徴が良く伝わってきます

 

     

 

実は、マーラーの交響曲は、全集(第1~第9番に限定)だけでもクラウディオ・アバド、レナード・バーンスタイン、クラウス・テンシュテット、レイフ・セーゲルスタムと揃えていますが、前述の通り、1曲まるまる収録したショルティのCDは持っていないのです これは、上記の抜粋盤を聴いて、「パワフルではあるが、あまりにもあっけらかんとして楽天的過ぎる」と感じたからです しかし、あらためて通して聴いてみると、疲れている時や気分が落ち込んでいる時は元気にさせてくれる力を持っていると思います

ということで、わが家に来てから今日で2891日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は8日、オデッサ州内でドローン攻撃により150万人以上が電気を使用できなくったことについて、「われわれが報復のためにやった」と明言した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     報復攻撃だと言うなら ウクライナからロシアへの攻撃は 全部報復攻撃になるじゃね

 

         

 

「東京・春・音楽祭2023」のチケットを次の4枚取りました 会場はいずれも東京文化会館小ホールです

①3月21日(火)15時 「東京春祭チェンバー・オーケストラ」:オール・モーツアルト・プログラム(ディベルティメント第17番K.334ほか)

②3月22日(水)19時 「N響メンバーによる室内楽」:モーツアルト「弦楽五重奏曲第3番」、ブラームス「弦楽六重奏曲第1番」ほか。

③3月24日(金)19時 「福川伸陽&古楽の仲間たち」:バッハ「ブランデンブルク協奏曲第2番」、ヴィヴァルディ「ごしきひわ」ほか。

④4月11日(火)19時 「郷古廉 ✕ 加藤洋之 ✕ 横坂源」:ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番」「ヴァイオリン・ソナタ」ほか。

東京春祭関係では3月30日の「仮面舞踏会」(ムーティ指揮)と4月9日の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ヤノフスキ指揮)のチケットを取ってあるので、これで6公演聴くことになります

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でタル・ベーラ監督による1988年製作ハンガリー映画「ダムネーション / 天罰」(モノクロ:121分)を観ました

タル・ベーラ監督といえば、数年前に渋谷の「イメージフォーラム」で上映時間7時間18分の超長編「サタン・タンゴ」を観て圧倒されました ほかの作品が上映される機会があったら全て観たいと思っていました 今回は良い機会に恵まれました

物語の舞台は荒廃した鉱山の町。夫のいる歌手(ケレケシュ・ヴァリ)と不倫しているカーレル(セーケイ・ミクローシュ)は、彼女の家を訪れるが追い返され、行きつけの酒場に行く 酒場の店主(パウエル・ジュラ)はカーレルに小包を運ぶ仕事を持ちかけるが、町を離れたくないカーレルは知り合いの誰かに運ばせようと思いつく 歌手の夫(チェルハルミ・ジュルジュ)から彼女との関係を問い詰められたカーレルは、歌手の夫に小包を運ぶ仕事を持ちかける 夫は仕事を引き受けるが、小包を開けて一部を搾取していたことをカーレルは店主から知らされる カーレルは彼の罪を警察に密告する

 

     

     

カーレルが歌手の夫に小包を運ぶ仕事を持ちかけたのは、小包の中身が覚醒剤のようなヤバい「ブツ」だと薄々感づいて、歌手の夫に運び屋を押し付け、後で警察に密告して彼を貶めようとしたのではないか そうすれば夫は監獄行きとなり、歌手を自分のものにすることが出来ると考えたのではないか

また、歌手は「タイタニック・バー」で歌っていますが、1912年4月14日にイギリスからアメリカ・ニューヨークに向かっていたタイタニック号が氷山に衝突して沈没、乗員乗客2,224人が死亡した海難事故を想起させます ひょっとすると、密告による犠牲者は”ブツ”を運んで一部をくすねた歌手の夫や、運搬を依頼した酒場の店主だけでなく、カーレル自身や歌手も巻き添えになって”沈没”するのではないか、と想像してしまいます

この映画の冒頭シーンのように、カメラがある物を捉え、そこからゆっくりカメラを引いて手前にある全体像を浮かび上がらせる、あるいは、ある物を捉え、そこからカメラをゆっくりと右に移動させてその場面を広角的に映し出していく、という長回しのカメラワークは、力強いモノクロ映像と相まってタル・ベーラ特有の映像表現スタイルです また、繰り返し登場する酒場、音楽、歌とダンス・・・さらに、何度も映し出される雨のシーン、そしてエサを探して彷徨う野良犬・・・これらもタル・ベーラ独特の映像表現です これらの表現スタイルは1994年製作の超大作「サタン・タンゴ」に着実に受け継がれています

早稲田松竹では今回、タル・ベーラ監督の初期の作品「ファミリー・ネスト」と「アウトサイダー」も上映されています 今週 コンサートの間隙を縫って是非観たいと思います

 

     

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