宮ちゃんの人生を聞く

2025年01月28日 14時56分52秒 | 日記・断片

先日、宮ちゃんのおごりでスナック「エスカルゴ」(取手・台宿)でご馳走になったので、お礼のあいさつに行く。

お礼といっても、家にあるものを3種類持って行っただけだ。

「いいのに」と彼は恐縮していた。

「高い支払いだったのでは?」

「大した額じゃないよ。今日も行いこう」笑顔になるが、さあすがに遠慮した。

「刺身を買って待っていたんだ」解凍した刺し身が卓に並ぶ。

そして、大吟醸の酒が出されるのだ。

川崎時代の話から、彼の人生の話となる。

自動車メーカーの勤務から、新聞配達時代の話は、新潟、群馬(前橋、渋川)、栃木(宇都宮)まで及ぶ、1日1万円で食事代は1000円。

アパート代は新聞販売店が負担する。

多い月は40万円の稼ぎとなったそうだ。

競馬の話と、競馬仲間に誘われた、松戸競輪のことまで及ぶ。

結婚はしなかったが、女性と同棲した時期は3年ほど。

台湾の女性と遊んだ宇都宮のことも。

さらに、横浜の夜の街や千葉の元トルコ街のことも。

「実に良い女で、毎回、指名していたんだ」

「韓国人は?」

「経験ないな。フィリピンの女がダメだ」と否定する。

「金をやって、仲間の男たちにも女と遊ばせたな」

「人がいいんだね」

「たいしたことない。金は遣うものだ」

なお、取手に亀有から移住したのは、父親が日立に勤務していて、社の斡旋であったそうだ。

井野団地ができる前の北相馬郡取手町時代のことだったのだ。

 

 


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