人生の道するべ 集英社

2025年01月27日 14時52分37秒 | 社会・文化・政治・経済

宮本 輝 (著), 吉本 ばなな (著)

幸せ」を見つける、知恵の対話。

創作、家族と結婚、健康、死生観……
小説が問いかける「幸せ」のかたちとは。
ふたりの作家の思索が詰まった珠玉の対話集。

世代も作風も異なるふたりの作家の共通点は、人間の「生」を力強く肯定する作品を書き続けていること。「ぼくは、小説の世界では、心根のきれいな人々を書きたい」(宮本輝)。

「読んだ人に『自分と同じだ』と感じてもらえたら、ちょっとした治癒が起きるんじゃないか」(吉本ばなな)。創作の作法、家族、健康、死生観……。小説が問いかける「幸せ」のかたちとは? 知恵と思索が詰まった珠玉の対話集。

「現実世界は、理不尽で大変なことばかりだからこそ、せめて小説の世界では、心根のきれいな人々を書きたい」作家・宮本輝さん

人間の善性に触れることは、人間不信が渦巻き、分断や対立が深まる時代にあって、人々と向き合い、心と心を結ぶ光明となるだろう。

「文は人なり」思想家・高山樗牛の言葉である。

文章には、紡ぐ人の心が表れるものだ。

「己れの立てるところを深く掘れ、其処には必ず泉あらむ」「然れども悲しい哉。多くの人の己の立てるところ知らず」高山樗牛。

宮本 輝

1947(昭和22)年、兵庫県神戸市生れ。追手門学院大学文学部卒業。

広告代理店勤務等を経て、1977年「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。

その後、結核のため二年ほどの療養生活を送るが、回復後、旺盛な執筆活動をすすめる。『道頓堀川』『錦繍』『青が散る』『流転の海』『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』『にぎやかな天地』『骸骨ビルの庭』等著書多数。

 

対話集なのですが、結構理解するのが難しく感じました。含蓄が多すぎるのかなと感じました。
 
  • とても深い内容に心が暖まりました。
    人生は辛いことも多いけど、その全てを肯定して生きていけそうな気がしてくる一冊。
    吉本ばななさんのあとがきを読んで涙が出ました。
    素晴らしい対話集です。
     
  • お二人の人生観・死生観・・・それぞれに違いはあるものの、どちらの「幸せの形」も私の思うそれと似通っていて、
    どちらの意見にも諸手を挙げて「賛成!!」と言える内容でした。

    この対談はどちらかというと、後輩のばななさんの方が聞き役ポジションのようです。
    一つ一つのエピソードもさすが先輩、宮本輝さんの方が面白くてインパクトあります。
    なかでも「手製のドスからの~~プレイボーイ」ネタが面白かったw
    宮本輝さんらしくないエピソードで、忘れられそうにありませんw

    ばななさんの「鳥たち」について語られている部分も多く、
    私もこれは2回読んではいるのですが、 自分では気付かなかったことも書かれてあり、いろんな読み方があるんだなと、とても参考になりました。
    「鳥たち」、また再読してみます。

    ばななさんは自分の作品の読者は感受性の強い、世の中のうまく付き合えないタイプの人が多いということをよく理解しておられます。
    そして、その人たちが救われるための「小商い」ができれば幸せだと思っている・・・・と。
    私はそれがファンとしてとてもうれしかった。この部分を読めただけでも十分です♪

    この機会にと、今、この対談の中でよく語られていた宮本輝さんの「水のかたち」を読みはじめてます。
    でもやっぱり、お二人とも「作家」なわけでして、対談集よりはお二人の小説を読んでいる方が学びも共感も多いような?
    これを言っちゃあ元も子もないけど、私は対談集よりは小説の方が好きなので☆は3つで。
     
     
    吉本ばななさんももう作家生活30年も経つのかあ。

    いつまでも若手作家のようなイメージがありました。

    2人の作家生活は、似たところがあって面白い。

    宮本さんは若いころ不安障害があって、サラリーマン生活を辞めて作家になったと言っている。

    ばななさんはタミフルを飲んだら、不安が無くなって生きるのが楽になったと述べています。

    二人とも不安感が作家としてのエネルギーになっているみたいですね。

    まあ心安らかで、何の心配も無い人間がわざわざ文学を志したりしないかな。

    宮本氏は40代のころ糖尿病と診断されてから、糖質制限食を始めたそうです。

    ばななさんのお父さんも糖尿病で亡くなられているし、作家の不安感って低血糖の身体症状なんでしょうか?

    心や感情って頭で生まれるものじゃなくて、胃で生まれるものなんですかねえ。
    『人生の道しるべ』(宮本輝・吉本ばなな著、集英社)は、私の好きな作家・宮本輝と吉本ばななの対談集です。

    宮本の言葉には、何とも言えない味わいがあります。「いまの話できゅうに思い出したんだけど、昔、どちらも高校卒で働きながら貧しく暮らす兄妹の友達がいたんですよ。桃の節句の時分に、たまたま彼らのおうちに遊びに行ったとき、時代もののちっちゃい、美しいひな人形が飾ってあった。由来を聞いたら、おばあちゃんにもらったものだと。するとぼくにはこの兄妹の、グラデーションがかった縁取りが浮かんでくるんです。ああ、貧しくても桃の節句になると人形を出して飾るような二人なんだなあと。会ったこともない彼らのおばあちゃんの顔まで浮かんでくる。些細なところから人間の全体がわかりますよね」。

    二人の間では、死がしばしば話題に上ります。「宮本=死はたんに不幸なだけじゃないんだね。吉本=ええ。本来は自然なことなんですね。宮本=死というのは、これ以上言葉にできないと思える極限体験のひとつだけど、小説はそれを言語化して表現しなければならない過酷な仕事だと思います。なかなか言葉にできないものだからこと、小説にしなければならないと言ったほうがいいかな」。「宮本=人は、経験のないことに対しては、とんでもない不安を持つものです。人にとってその最大の出来事とは、死であろう。でも一方で、死など、当たり前のありふれた事柄でもありますよね。昆虫たちも、魚たちも、動物たちも、みんなそれを受け入れて堂々と死んでいっているじゃないかと。人間はなんでこんなにびびるんだろうと。それは当たり前のことと受けとめていないからでしょう」。「宮本=ぼくは、死生観が根底にない物書きは、ぐらぐらすると思います。・・・小説が人生や人間を書くものだとすれば、作家は生とはなにか、死とはなにかの問いに入らざるを得ない。死という不可視なものを描くからこそ、自分の生死に関する哲学や思想の立ち位置がものをいうと思う」。「宮本=その人は、人間一人一人の命を万年筆のなかのインクに譬えていました。命が尽き、臨終を迎えたとき、このインクの一滴というあなたの命は、海にぽとんと落ちると。落ちた瞬間はまだインクは青い。でも、たちまち広がって、もうインクの色などなくなる。しかしインクは消滅したのではないよね。そのインクは、海水に溶けた状態で厳然と存在しているのだ、というのです。海そのものになることが、死なのだと」。私には、このインクの譬えは少し無理があるように思えるのですが。

    宮本が必ず年に一回は読み返す小説として、『赤毛のアン』(全10巻)、『夜明け前』、西行の歌集を挙げています。

    読書について、宮本はこう語っています。「最初から、これを人生に役立てようという読書はどこかさもしい。でも無心に読んでいたことが、ふとなにか役立つときが来るんです。大きなフレキシビリティを与えてくれるんだと思う。つまらない人間ってフレキシブルじゃないんです」。

    宮本は男女の仲にも言及しています。「古い言いかたをすれば、男と女ぐらい相性が左右するものはありません。相性とは理屈で説明できず、合うか合わないかしかない。だから相性が合わないとわかったら、それはもう破綻。別れたほうがいいんです。女性の中には、経済的な問題から、水と油ぐらい相性が悪い相手とも不幸な結婚を続ける人がありますね。しかしつまらない男と一緒に暮らすことほど、人生の損失はないと思うんですよ」。全く同感です。

    宮本の健康に対する考え方は実にシンプルです。「しかしなんで健康に留意するかといえば、それは書きたいから。ぼくは85歳まで小説を書きたいので、健康でいたい」。

    宮本の魅力が身近に感じられる一冊です。
    『人生の道しるべ』(宮本輝・吉本ばなな著、集英社)は、私の好きな作家・宮本輝と吉本ばななの対談集です。

    宮本の言葉には、何とも言えない味わいがあります。「いまの話できゅうに思い出したんだけど、昔、どちらも高校卒で働きながら貧しく暮らす兄妹の友達がいたんですよ。桃の節句の時分に、たまたま彼らのおうちに遊びに行ったとき、時代もののちっちゃい、美しいひな人形が飾ってあった。由来を聞いたら、おばあちゃんにもらったものだと。するとぼくにはこの兄妹の、グラデーションがかった縁取りが浮かんでくるんです。ああ、貧しくても桃の節句になると人形を出して飾るような二人なんだなあと。会ったこともない彼らのおばあちゃんの顔まで浮かんでくる。些細なところから人間の全体がわかりますよね」。

    二人の間では、死がしばしば話題に上ります。「宮本=死はたんに不幸なだけじゃないんだね。吉本=ええ。本来は自然なことなんですね。宮本=死というのは、これ以上言葉にできないと思える極限体験のひとつだけど、小説はそれを言語化して表現しなければならない過酷な仕事だと思います。なかなか言葉にできないものだからこと、小説にしなければならないと言ったほうがいいかな」。「宮本=人は、経験のないことに対しては、とんでもない不安を持つものです。人にとってその最大の出来事とは、死であろう。でも一方で、死など、当たり前のありふれた事柄でもありますよね。昆虫たちも、魚たちも、動物たちも、みんなそれを受け入れて堂々と死んでいっているじゃないかと。人間はなんでこんなにびびるんだろうと。それは当たり前のことと受けとめていないからでしょう」。「宮本=ぼくは、死生観が根底にない物書きは、ぐらぐらすると思います。・・・小説が人生や人間を書くものだとすれば、作家は生とはなにか、死とはなにかの問いに入らざるを得ない。死という不可視なものを描くからこそ、自分の生死に関する哲学や思想の立ち位置がものをいうと思う」。「宮本=その人は、人間一人一人の命を万年筆のなかのインクに譬えていました。命が尽き、臨終を迎えたとき、このインクの一滴というあなたの命は、海にぽとんと落ちると。落ちた瞬間はまだインクは青い。でも、たちまち広がって、もうインクの色などなくなる。しかしインクは消滅したのではないよね。そのインクは、海水に溶けた状態で厳然と存在しているのだ、というのです。海そのものになることが、死なのだと」。私には、このインクの譬えは少し無理があるように思えるのですが。

    宮本が必ず年に一回は読み返す小説として、『赤毛のアン』(全10巻)、『夜明け前』、西行の歌集を挙げています。

    読書について、宮本はこう語っています。「最初から、これを人生に役立てようという読書はどこかさもしい。でも無心に読んでいたことが、ふとなにか役立つときが来るんです。大きなフレキシビリティを与えてくれるんだと思う。つまらない人間ってフレキシブルじゃないんです」。

    宮本は男女の仲にも言及しています。「古い言いかたをすれば、男と女ぐらい相性が左右するものはありません。相性とは理屈で説明できず、合うか合わないかしかない。だから相性が合わないとわかったら、それはもう破綻。別れたほうがいいんです。女性の中には、経済的な問題から、水と油ぐらい相性が悪い相手とも不幸な結婚を続ける人がありますね。しかしつまらない男と一緒に暮らすことほど、人生の損失はないと思うんですよ」。全く同感です。

    宮本の健康に対する考え方は実にシンプルです。「しかしなんで健康に留意するかといえば、それは書きたいから。ぼくは85歳まで小説を書きたいので、健康でいたい」。

    宮本の魅力が身近に感じられる一冊です。
     
     

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