松井徹は、祖父母を知らなかった。
祖父の幸志郎は太平洋戦争で戦死していた。
神棚には、サイパン島で亡くなった祖父の和服姿で、口髭の遺影が掲げられいた。
祖父は母親の春子に似ていて、神経質な顔立ちだった。
そして、祖母の梅は空襲で亡くなっていた。
地方の町にまで戦禍が及んだのである。
祖母は、徹が住む村ではなく、祖母の実家の町に米を担いで届に行った日に運が悪く焼夷弾で家族ともに戦死していた。その祖母の遺影は何故か洋服姿だった。
父親の真司は養子であったことを、徹は後年知る。
母親は祖母から教えられたというを大正琴を趣味としていて、徹と弟の春樹が通学していた小学校の文化祭で、その大正琴を演奏した。
弟は大正琴に興味を示し、母親から習っていたが、徹は父親の趣味であるハーモニカに興味を示したが、いくら練習しも上手にはならなかったのだ。
母親は家事をしながら歌謡曲を口ずさんでいた。
父親も酒に酔うと昭和の演歌を歌っていた。
小学校は自宅から約4㌔の道程であり、小学生たちは下校時は野山や野畑で遊ぶびながら帰っていた。
弟の春樹は女子たち好かれていたので、共に帰宅していた。
徹は悪ガキ仲間たちと、弟たちをはやし立てていた。
徹は弟のように女のから愛されたかったのに、それが叶わなかった。
知恵遅れで幼馴染の晶子だけが親しい間柄であったが、段々、その晶子を避けるようになってゆく。
晶子は悲しそうにたたずみ、徹を見詰めていた。
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