▼釈尊がこの世に出現した根本の目的は、人の振る舞いを示すことであった。
言わば、人間の教師として役割である。
▼人間の振る舞いとは、人間を最大に敬い、尊重し、守ることである。
自分の欲望のために人を手段とする人間がいる。
権力をかざして、人を支配する。
それこそが人間の魔性。その魔性を戦うのが真実の人間の姿である。
▼「人のため」「地域のため」「社会のため」それを真剣に考え、悩み、努力していけば、自然のうちに、みずみずしい知恵がわき、勇気が出て。人格ができていく。
そういう人生は、何があっても絶対に負けないだろう。
▼釈尊は人間そのものであった。
神のような超越した存在ではない。
▼仏とは最高の人間の姿であり、「人間」以上の存在ではない。
その意味で、自分をありのままの「人間」として大衆に示したのが、釈尊であった。
▼だが、偶像を崇拝することが人間の常なのだ。
偶像崇拝とは、偶像を信仰の対象とし、崇拝することをいいます。
偶像は、神像や仏像などで、信仰の対象として人間によって作られたものです。
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