「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

恋に落ちなくて Long Good-bye 2024・08・30

2024-08-30 04:56:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

  引用はじめ 。

 「 〈 そういうものだ 〉と〈 それがどうした 〉と
  いう言葉は人生における( とくに中年以後の人
  生における )二大キー・ワードである 。 経験
  的に言って 、このふたつの言葉さえ頭にしっか
  り刻みこんでおけば 、たいていの人生の局面は
  大過なくやりすごせてしまう 。
   たとえば せっかく駅のフォームの階段を駆け ( platform だから フォームなのかな 。)
  のぼったのに 、間一髪で電車のドアが閉まって( 慣用的には プラットホームとか駅のホームとか 。 )
  しまったりすると 、ものすごく腹が立つもので
  あるが 、このようなときは〈 そういうものだ
  と思えばいい 。つまり電車のドアというのはた
  いてい目の前で閉まっちゃうものだと認識し 、
  納得すればいいのである 。そう思えばべつに腹
  も立たない 。世界がその原則に従って然るべき
  方向に流れているだけの話である 。
   しかしその電車に乗り遅れたおかげで待ち合わ
  せの時間に遅れることだってある 。そういう場
  合には〈 それがどうした 〉と自分に向かって
  言いきかせる 。時間なんてたかが便宜的な区分
  じゃないか 、待ち合わせに二十分やそこら遅れ
  たって 、そんなのは米ソの核軍拡競争や神の死
  に比べたらなんていうことないじゃないか 、
  と思う 。これが〈 それがどうした 〉の精神で
  ある 。
   ただしこういう考え方に基づいて生きていると 、
  気楽に生きていくことはできるけれど 、人間的
  にはまず向上しない 。社会的責任感やリーダー
  シップなんかとはまず縁がなくなってしまう 。
  そのうちに核戦争が起こっても 、神が死んでも 、
  〈 そういうものだ 〉〈 それがどうした 〉と
  考えてしまうようになって ―― 僕にもいささ
  かそういう傾向があるけれど ―― それはそれ
  で困ったことになってしまう 。物事にはほど
  ほどというのが必要である 。」

  引用おわり 。

  小文のタイトルは「 恋に落ちなくて 」。

  このタイトルが付いているのは 、はじめの方に 、

 以下の文章があるからです 。

 「 女性に関する好みというのは 、やはり僕にも
  ある 。」

 「 ここで僕の言う好みというのは 、外見とか雰
  囲気とか 、そういうもののことである 。つま
  りその女性と何かの拍子に出会って『 あ 、こ
  の人は素敵だな 、感じが良いな 、僕の好みだ
  な 』と思ったりすることである 。そういうの
  はそれほどしょっちゅうあることではないけれ
  ど 、やはり年に一度くらいはあるみたいだ 。
  しかしそれで僕がその相手と灼熱の恋にのめり
  こむかというと 、そんなことはなくて 、とく
  になんということもなくそのまま別れてしまう 。」

 「 僕の好みの外見の女性はまず百パーセント近く
  内面的には ―― というかつまり人間的には ――
  僕の好みではないのである 。だから最初は電光
  に打たれるが如く胸をかきたてられても 、しば
  らく相手と話しているうちに 『 ま 、いいや 』
  という感じでその電光がしゅるしゅると終息し
  てしまい 、結局僕は恋に落ちることなく終わっ
  てしまう 。こういう人生は不幸といえば不幸だ
  し 、平和といえば平和である 。」

  ( ´_ゝ`)

  作家の考察は 、さらに続きます 。

 「 自分の好みの外見の女性に自分の好みの人格が
  備わっていないというのは 、見ていてもなかな
  か切ないものである 。見ているだけで切ないん
  だから 、深く関わればもっと切ないんだろうと
  思う 。そういう女性を見ているときの心境は 
  ―― かなり卑近なたとえだけれど ―― 洋服屋
  でものすごく気に入った服をみつけたのにサイズ
  がまったく合わないというときの心境によく似て
  いる 。あきらめるしかないということはわかっ
  ているのだけれど 、心情的になんとなくあきら
  めきれないのである 。」

 「 僕が僕の目で捉えている世界と 、客観的に『 世
  界 』として実在する世界とでは 、その成りたち
  方がまったく違うのである 。つまり僕がいくら彼
  女の外見と彼女の人格が相反していると感じても 、
  その相反状態が一個の人間として存在し機能して
  いる以上 、僕にはそれに対して異議を唱える権利
  なんてまったくないのである 。それに彼女の目か
  ら見た世界にあっては僕だって相当歪んだ姿をと
  っているかもしれないのだ 。
   そういうものなのだ 。」

  以上 。言葉少なな筆者には 、とても務まらない職業だな 、

 作家というのは ・・・ 。イグ・ノーベル文学賞あげたい 。

  夏の終わりの 、雨降りの朝 。

  雷鳴しきり 。

 

 

 

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ロックの神様 Long Good-bye 2024・08・28

2024-08-28 05:35:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、 村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

  引用はじめ 。

   「 死者を讃えることは心地好い 。それが若く
  して死んだ死者だとすればなおさらである 。
  死者は裏切らず 、反撃もしない 。歳もとら
  ず 、髪も薄くならず 、腹も出ない 。彼ら
  はただ静かに完全に死んでいるだけである 。
  もし仮にあなたが彼らの死について飽きて忘
  れてしまったとしても 、べつに問題はない 。
  ただそのまま忘れてしまえばいいのだ 。それ
  で終わり 。忘れられたからといって 、彼ら
  はあなたの家の戸口にやってきてドアをノッ
  クしたりはしない 。彼らは暗黒の中でじっと
  しているだけだ 。そう 、死者を讃えるのは
  あまりにもたやすいのだ 。」

  引用おわり 。

  この文章が出てくる小文のタイトルは「 ジム・

 モリソンのための『 ソウル・キッチン 』」。

   生年がほとんど変わらない 、同じ団塊世代で

 あっても 、十代後半から ロック・ミュック

 に親しみ 、ジム・モリソンの音楽に心を揺さぶ

 られ続けている村上春樹さんと 、ロック・ミュ

 ージックやラジオの深夜放送の洗礼を受けない

 まま 、十代から八十歳に近い今日まで 、生きて

 きた筆者のような間とでは 、ロック・ミュー

 ジックに留まらず 、音楽 その他 、人生の

 な面で 、ものの見方 、感じ方 、大仰に言えば 、

 人生の道筋が 、随分と異なったもの

 いたのではないか 、という気がします 。

  そのこと自体は 、残念なことのようないや

 そうでもないような 、思議な感じがします 。

  筆者にとって 、ジム・モリソンさん 、初めて

 聞くお名前です 。

  どんな爺い 、婆あにも 、若い頃からの 、重

 苦し鬱屈した 、誰にも語れない 思いは

 あるのかと思います 。

  この歳になって 、ニッポン放送の深夜番組 、

 早朝番組を時おり聴いている年寄りの独り言 ・・・ 。 

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 “ジム” ジェームズ・ダグラス・モリソン
       (James Douglas "Jim" Morrison 、1943年
       12月8日 - 1971年7月3日)は 、アメリカの
       ロック・ミュージシャン 、詩人 。ロック
       バンド 、ドアーズ のボーカリスト 、ソン
       グライターとして知られる 。また 、バンド
       活動とは別に数冊の詩集を発表している 。
        米ローリング・ストーン誌の選ぶ『 史上最
       も偉大なシンガー100人 』において第47位 。
        英Q誌の選ぶ『 史上最も偉大なシンガー100
       人 』において第40位 。
       27クラブの会員であり 、この概念を決定づ
       けた人物である 。」

        以上ウィキ情報 。

        村上春樹さんは 、ジム・モリソンさんの音楽に

       ついて 、随筆の中で次のように書いておられます 。

       「 ジム・モリソンの音楽は今にいたるまで僕の
        心を揺り動かしつづけている 。彼の残したレ
        コードのうちの最良の二 、三枚は 、それ以
        降に出たどのロック・ミュージックのどのレ
        コードよりも優れているし 、オリジナルだし 、
        衝撃的である 。僕はそう思う 。僕にとって
        は最初のLP『 ザ・ドアーズ 』を越えて戦
        慄的なレコードはなく 、『 ストレンジ・デ
        イズ 』を越えて美しくシンプルなレコードは
        なく 、『 LAウーマン 』を越えて荒々しい
        優しさを感じさせるレコードはない 。

         僕が最初に聴いたジム・モリソンとザ・ドア
        ーズのレコードはもちろん『 ライト・マイ・
        ファイア ( Light My Fire ) 』だった 。一九
        六七年のことだ 。一九六七年には僕は十八で 、
        高校を出て 、大学にも予備校にも行かずに 、
        一日机の前に座ってラジオでロックンロールを
        聴いていた 。」)

 

 

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一粒万倍日 Long Good-bye 2024・08・26

2024-08-26 06:16:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、 村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中の 小文から抜き書き 。

  引用はじめ 。

 「 僕は一月十二日生まれだから星座でいえば
  山羊座 、血液型はA型である 。
   僕の女房は十月三日生まれの天秤座である 。
  占星学的にいうと 、山羊座と天秤座の組合わ
  せというのはあまり相性が良くないらしい 。
  要するに山羊座が大地に足をつけてこつこつと
  働いて真面目に生きているのに対して 、天秤
  座はあっちこっちと飛びまわってちゃらちゃら
  としている 。浮遊していて 、ノリが軽いので
  ある 。山羊座の方にしてみれば『 なんだよ 、
  やってられないよな 』と思うし 、逆に天秤座
  の方は『 ふん 、まったく頭が固いんだから 』
  と思うしで 、これはやはりうまくいかない 。」

 「 もともとは僕は占いというのに興味のない人
  間で 、星座とか血液型とか天中殺だとか 、そ
  ういうことはべつにどうでもいいと思っている 。
  頭から信じないとか 、そういうのを信じている
  人間を馬鹿にするとか 、そういうのではない 。
  ただ単に積極的な興味を持たないだけである 。
  世の中にはまあそういうものもあっていいだろ
  うと思っている 。でも自分の方からは進んで
  関わり合いになろうとは思わない 。」

 「 でも僕は例外的にこの『 山羊座と天秤座の組
  み合わせはロクなことがない 』という占星学の
  説だけはしっかりと信じている 。これは経験的
  に見て 、全部当たっているからである 。どう
  いうわけか 、僕のまわりにはこの山羊座 、天
  秤座の組み合わせのカップルがやたらと多い 。
  僕はそれがどのような災厄をもたらすかをよく
  知っているから 、そういうカップルができそう
  になるといつも『 ロクなことはないから 、や
  めたほうがいいよ 』とそっと忠告するのだが 、
  その時は向こうも頭が熱くなっているからあま
  り効果がなくて 、みんな結婚してしまう 。ノ
  アの忠告を嘲笑って洪水に溺れて死んでしまっ
  た愚かな人々と同じである 。でもまあ世の中
  というのはそういうものなのだろうと思う 。
  災難の実体というものは 、それが我が身に降
  りかかるまでは理解できないものなのだ 。」

 「 夜空に輝く
   哀しい星座
   どこまで行っても
   悩みは尽きず
   これが運命 、あきらめなさい
   カプリコーン 」

  引用おわり 。

  小文のタイトルは「 わり食う山羊座 」。

  因みに 、僕は一月○○日生まれだから星座でいえば

  山羊座 、血液型は○型です 。

   僕の女房は十月○日生まれの天秤座で 、血液型は

  ○型です 。だから何なんだって 。

  ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:カプリコーン、カプリコン(英: Capricorn)
       カプリコルヌス(羅: Capricornus)
       カプリコルニス(羅: Capricornis)

       Capricorn 磨羯宮
       Capricornus やぎ座
       Capricornis カモシカ属の学名。」

      「 天中殺(てんちゅうさつ)とは 、四柱推命
       と算命学内のであり 、干支において天が
       味方しない時とされている 。算命学では
       天中殺といい 、四柱推命では空亡(くうぼう)
       ということが多い 。」

      「 一粒万倍日(いちりゅうまんばいび 、いち
       りゅうまんばいにち)は 、選日の1つ 。
       日本独自の考えであり 、中国の『 萬年曆
       (または萬年農民暦)』には存在しない
       内 容
        選日は古代中国から続く占術である『 萬年
       曆(または萬年農民暦)』が基になっており 、
       天赦日や受死日等 、農民暦と重なる内容が
       多い 。しかし一粒万倍日等は日本に農民暦が
       入ってきた後に独自に作られた信憑性に乏し
       い内容であり 、農民暦には一粒万倍日は存
       在しない 。」

       以上ウィキ情報 。  )

 

   

     

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青木まりこ現象 Long Good-bye 2024・08・24

2024-08-24 06:35:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、ウィキペディア掲載の記事

 「 青木まりこ現象 」。抜粋して以下に引用 。

 「 青木まりこ現象( あおきまりこげんしょう )
  とは 、書店に足を運んだ際に突如こみあげる便意
  である 。

  概 要
   この呼称は 、1985年にこの現象について言及した  
  女性の名に由来する 。書店で便意が引き起こされる  
  具体的な原因については 、渋谷昌三によると2014年  
  の時点でまだはっきりとしたことはわかっていない
  という 。そもそもこのような奇妙な現象が本当に存
  在するかどうか懐疑的な意見もあり 、一種の都市伝
  説として語られることもあるが 、一方で生理学や心
  理学の知見をもってこの現象のメカニズムを解明し
  ようと試みる識者もいる 。

   書店にいることで突然便意が自覚されるという一連
  の過程は 、少なくとも現在の医学的観点からは単一
  の病態概念から説明できるものではない 。いくつか
  の考察によるとこの現象は 、仮にその実在性が十分
  認められるにしても 、( 例えば「 青木まりこ病 」
  などといった )具体的な疾患単位とはみなされにく
  い概念であるという 。その反面 、この現象につい
  て言及する上で 、既存の診断学や病理学における医
  学用語を適用する識者( 特に臨床医 )が少なからず
  みられるのも事実である 。本項でも便宜上このよう
  な立場に倣い 、表現には既存の医学用語を準用する 。」

  以上 。

  「 青木まりこ現象 」は 、初めて聞く言葉 。

  因みに ChatGPT さんは 、こんな風に解説してくれました 。

 「 原因については、医学的には明確な説明がされ
  ていませんが、いくつかの仮説があります:

  1. 心理的要因:
    書店にいるとリラックスしたり 、集中したり
   することで 、体が便意を促す可能性がありま
   す 。リラックスした状態になると 、副交感神
   経が優位になり 、消化器系が活発になること
   があります 。

  2. 姿勢の変化:
    書店では長時間立ったり 、前屈みになっ
   て本を読む姿勢を取ることが多いです 。こ
   の姿勢が腹部に圧力をかけ 、便意を誘発
   する可能性があります 。

  3. 環境的要因:
    書店特有の匂いや雰囲気が 、無意識にトイレ
   に行きたくなる気持ちを引き起こすと考えられ
   ています 。特に紙の匂いや静かな環境が関係
   しているかもしれません 。

   この現象は個人差があり 、全ての人が書店で便
  意を感じるわけではありませんが 、一部の人々
  にとってはよく知られた現象となっています 。

 ( ついでながらの

   筆者註:「 YAHOO!JAPAN 知恵袋

        Q:青木まりこ現象の青木まりこって誰ですか?

        A.1: ダニーさん
          2021/7/20 

          青木まりこ(現在65歳)さんは 、
          当時29歳の東京都杉並区在住の一般女性ダニ 。

          『 青木まりこ現象 』というのは 、『 本の
          雑誌 』本の雑誌社 の読者欄にて1985年に投
          稿された体験談ダニ 。

          同誌40号(1985年2月)に掲載された内容は
          『 理由は不明だが 、2 、3年前から書店
          に行くたびに便意を催すようになった 』
          という当時29歳の東京都杉並区在住の女性に
          よる投書ダニ。

           同誌が発行されると 、同様の悩みを抱える
          多くの読者が、編集部に意見を寄せ 、その
          反響の大きさから 、次号 、41号(1985年4月)
          『 いま書店界を震撼させる現象 』とセンセ
          ーショナルな表題で特集記事が組まれ 、この
          問題に対して様々な視点から議論がなされた
          ダニ 。

           議論の過程で 、書店において突然便意が出
          現するこの現象は 、投書者の名にちなみ
          『 青木まりこ現象 』と命名されたダニ 。

        A.2:  fuz********さん
           2021/7/20 
          『 本の雑誌 』のただの読者では 。

       上記は 、A.1 、A.2 とも 、ベストアンサーではないよう 。 

       以下ウィキ情報 。

      「 渋谷 昌三( しぶや しょうぞう 、1946年
       11月23日 -  )は 、日本の社会心理学者・
       エッセイスト 。学位は 、文学博士(東京
       都立大学・1977年 )( 学位論文『 対人
       場面におけるパーソナル・スペースの役割 』)。
       目白大学名誉教授 。」

 

 

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逆もまた真なり Long Good-bye 2024・08・22

2024-08-22 05:16:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、 村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか 」

 ( 新潮文庫 )の中の こんな一節 。

  引用はじめ 。

 「 『 人生 、良いことがひとつあれば 、
  次には必ず良くないことがひとつ控え
  ている 』ということだ 。 たとえば仕
  事で何か良いことがあれば 、かわりに
  人間関係がひとつ激しく潰れたりする 。

  愛がひとつ生まれたら 、かわりに憎し

  
みがひとつ生まれたりする 。vice versa 
  
( 逆もまた真なり ) 。」

  引用おわり 。

  村上春樹さんの随筆「村上朝日堂はいかにして

 鍛えられたのか 」( 新潮文庫 ) の「 あとがき 」

 には 、この本が1995年11月から1年1カ

 月のあいだに「 週刊朝日 」に連載されたエッ

 セイをとりまとめたものである旨書かれている 。

  この「 作者 あとがき 」の日付が1997年3月

 とあるので 、その日付から27年後に 、筆者は 、

 この本を 、初めて 、読んだことになる 。

   理由は簡単で 、筆者の人生で 、「 週刊朝日 」

 という週刊誌を毎週購読したことが 、ついに

 一度もなかったということに尽きる 。

  広告宣伝の中で 、「 週刊朝日 」に毎週どん

 な見出しの記事が載っているのかは 、陰なが

 ら承知していたけど 、買って読むことは一度

 もなかった 。だから 、若い頃 一度同誌に対し

 て持った印象 や判断 ( 食わず嫌い ) は 、脳裏

 にき付きつけられ 、50年の長きに亘

 居座り続けたことになる 。

  50年以上「 天声人語 」の読者でい続けた

 筆者も 、週刊誌は 、「 新潮 」、「 文春 」、

 「 現代 」で 、「 週刊朝日 」や「 朝日ジャ

 ーナル 」にはついぞ目を向けたことがなかっ

 た 。

 新聞は 、今では 、「 宅配 」も 「 駅売り 」

 も 購読を止め 、週刊誌については「 床屋 」

 で覗くことすらないが 、痛痒を覚えることも 、

 これといって不便を感じることもない 。

  要するに興味が去ったのである 。

  閑話休題 。

  一般的に言って 、いつの世の読者も 、自身と

 同世代の作家に対する 評価 は 厳しい 。

  団塊世代の特に男性読者にとって 、村上

 作品は 、端から眼中にないようでもある 。

 長らくご縁のなかった村上春樹さんの「 ノ

 ウェイの森 」を筆者が読んだのも 、映画化さ

 れた「 ドライブ・マイ・カー 」を観たあと 、

 連作短篇「 ドライブ・マイ・カー ( 女のいない

 男たち ) 」を読んで 、おもしろい と思ってから

 後のことである 。

 ( ´_ゝ`)

  要するに 、ひととして 、ものごとを受け容れる

 度量 、簡 が狭いだけの話なんですけど 。

 

 

     

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ひとは男女の区別なく悪口を言う Long Good-bye 2024・08・20

2024-08-20 05:26:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」

   最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 更衣室で他人の悪口を言わないで下さい 」

 というタイトルの小文がある 。その中から 三 、四

 節を 、備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。 

 「 僕が昔経営していた酒場には 、どういう
  わけか文学関係の客が多くて 、作家とか
  編集者とか評論家とか 、いろんな人が来
  た 。それで僕がそのときにまず最初に思
  ったのは 、『 この業界の人々は本当によ
  くひとの悪口を言うなあ 』ということだ
  った 。この業界にいるから悪口を言うよ
  うになるのか 、あるいはもともと悪口を
  言うのが好きなひとがこの業界に進んで
  入ってくるのか 、どちらかはわからない 。
  ニワトリと卵みたいなものである 。
   でもとにかく盛んに悪口の応酬がある 。
  それも主にそこにいない人の悪口が交わさ
  れる ―― 早い話カゲグチですね 。酒を
  飲みに来る客の大部分は 、カウンターの
  中の人間のことなんかほとんど気に留め
  ない 。だから人間のナマの姿を裏おもて
  観察するのにこれくらいうってつけの環
  境はなかった 。」

 「 AとBが二人で酒を飲んでいると 、Aと
  Bは互いを褒めあい 、そこにいないCの
  悪口を言う 。ところがCがやってくる
  と 、こんどはAとBとCでDの悪口を言
  う 。やがてBがいなくなると 、今度はA
  とCで互いを認めあい 、Bの悪口を言い
  始める 。さっきまでそこにいた人のこと
  を手のひらを返したように 、『 あいつ
  は恐ろしいくらい才能ないよな 。世渡り
  だけだよ 』『 ろくなものも書いていな
  いのに愛人なんか作りやがって 』なんて
  痛烈に罵倒する 。最初は聞いていて『 い
  ったい何なんだ? 』と唖然としたのだが 、
  そのうちに『 これはもう一種の挨拶の文
  句みたいなものなんだ 』と考えるように
  なった 。気にしていたらとてもやってい
  けない 。 」

 「 もちろんそうじゃない人も中にはいた 。
  良いものは良い 、悪いものは悪いと 、
  誰の前でもはっきりと口にできる人も少
  しはいた 。でもそれはあくまで例外的な
  存在で( それにそういう人はそういう人
  なりにべつの問題を抱えていた )、大部
  分の人は相手次第 、場所次第でころころ
  発言内容を変えた 。またその悪口が辛辣
  で 、具体的で 、とにかくしつこい 。だ
  からいわゆる文壇バーには夜が更けてきて
  も『 帰るに帰れない 』という人がいっぱ
  いいる 。帰っちゃうとそのあと何を言わ
  れるかわからないからだ 。『 これはすご
  い世界なんだな 』とそのときつくづく感
  心した 。そんな世界に将来自分が入って
  いくことになるなんて想像もしなかった 。

   でもふとしたきっかけでその後 小説を書
  くようになり 、やがて店をやめて職業的
  作家になった 。それからもう十五年くら
  いになるが 、今思えばカウンターの中か
  ら世界を眺めていた七年間の体験は 、作
  家としての僕にとって 、何ものにもかえ
  られない貴重な財産になった 。」

  引用おわり 。

  この小文は 、こんな書き出しで始まります 。

 「 少し前にある女性から聞いたのだけれど 、
  彼女がときどきご主人と一緒に行くスポー
  ツ・ジムの女性用更衣室には『 更衣室で
  なるべく他のお客様の悪口を言わないよう
  にしてください 』という貼り紙がしてあ
  るのだそうだ 。

  ( 中 略 )

   もし文壇( あるいは文芸ジャーナリズム
  関連世界 )に褒められるべき点があると
  すれば『 そこでは人々は男女の区別なく
  悪口を言う 』ということですね 。そう
  いう意味では 、あそこには性差別みたい
  なのはまったくない 。平等である 。偉
  い 、素晴らしい ―― というか 、要す
  るにそのものまるごとが女性用更衣室み
  たいな感じなだけなんだけどさ 。」

  ( ´_ゝ`)

 

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狭き門 Long Good-bye 2024・08・18

2024-08-18 04:56:00 | Weblog

  

 

   今日の「 お気に入り 」 。

   最近 、何かの機会に 、目にして 、こころ残った文章 。

   備忘のため 、抜き書き 。

 「 人生とは美しい刺繡を裏(側)から見ているよう
  なものだ 。
   その模様が何を意味しているか 、そのままで
  は分からないが 、それを表から見られるように
  なったとき 、その意味と美しさが分かる 。」

        ( テイヤール・ド・シャルダン )

  ( ´_ゝ`)

  ( たしか映画「 ロストケア 」の冒頭に流れる言葉 。)

 「 人にしてもらいたいと思うことは何でも 、
  あなたがたも人にしなさい
       マタイによる福音書7章12節 」

  ( 口語体より 、文語体の方が好みだな 、私しゃ 。)

 「 凡(すべ)て 人(ひと)に爲せられんと思(おも)ふ
  ことは 、人(ひと)にも亦(また)その如(ごと)くせよ 。
          マタイ伝福音書 第七章十二節 」

 「 求めよ 、然(さ)らば與へられん 。尋(たづ)ねよ 、 ( カーナビが無かった頃 
  さらば見出(みいだ)さん 。門(もん)を叩(たゝ)け 、 『 あなたは 、何でひとに
  さらば開かれん 。                   道を訊かないの?』と 、
  すべて求むる者は得(え) 、たづぬる者(もの)は見   助手席の 、地図音痴の 、
  いだし 、門(もん)をたたく者は開かるるなり。    うちの奥さんからよく言われた 。)

  狹(せま)き門(もん)より入(い)れ 、滅(ほろび)に   ( 再録 )
  いたる門(もん)は大(おほき)く 、その路(みち)は
  廣(ひろ)く 、之(これ)より入(い)る者(もの)おほ
  し 。 
  生命(いのち)にいたる門(もん)は狹(せま)く 、そ
  の路(みち)は細(ほそ)く 、之(これ)を見出(みいだ)
  すもの少(すく)なし 。

             マタイ伝福音書 第七章 」

  ( ´_ゝ`)

 「すべての人に好かれる人はいない
  すべての人に嫌われる人もいない 」 

  ( ´_ゝ`)

 「 かたちのあるものはいつか消える 。かたち
  のないものだって 、いつかは消えていく 。
  残るのは記憶だけだ 。」         ( 記憶だって消えていく 。)

 「 何かに対するものの見方が 、あるひとつ
  の出来事を境に 、たった一日でがらりと変
  わってしまうということは 、たまにある 。」

 「 あまりにも突出した独自のスタイルを完成
  させてしまうと 、今度はそれを崩して変化
  していくことがとても難しくなってしまう 。」

               ( 村上春樹 ) 

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註: 「 ピエール・テイヤール・ド・シャルダン
       ( Pierre Teilhard de Chardin ,1881年5月1日 - 
        1955年4月10日 )は 、フランス人のカトリック司祭
        ( イエズス会士 )で 、古生物学者・地質学者 、
        カトリック思想家である 。」

       以上ウィキ情報 。

       以下は 、村上春樹さんの随筆「 村上朝日堂はいかに

       して鍛えられたか 」( 新潮文庫 )からの引用 。

        「 この『 村上春樹 』というのはペンネーム
        じゃなくて 、もともとの本名である 。」

       「 こないだ近所の『 交通安全協会 』に運転
        免許証の更新に行った 。窓口には女のひと
        が二人いて 、僕の免許証を見て 、僕の顔を
        見て 、『 えーと 、ムラカミ・ハルキさん 、
        住所は神奈川県 ・・・ 』と言って 、それ
        から二人で顔を見合わせた 。そして『 同姓
        同名なのねえ 』と言い合った 。僕も『 そ
        うそう 』という顔をして 、にっこり微笑ん
        でうなずいた 。こういうことがあると とて
        も嬉しい 。一日幸福な気持ちでいられる 。」  )

 

 

  

      ( じっと何かに耐える人生 )

 

 

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落とし穴 Long Good-bye 2024・08・15

2024-08-15 04:44:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、 村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか 」

 ( 新潮文庫 )の中の こんな一節 。

  引用はじめ 。

 「『 世界は本当にいろんな種類の落とし穴があって 、
  そういうのが 、思いも寄らぬ場所でこっそりと
  僕らを待ちかまえているんだなあ 』と思う 。日
  々こともなく心静かに生きていくというのは 、
  なかなか簡単なことではない 。」

 「 💛 噂の心臓      『 順心女子学園生徒はかな
  らず歩道橋を渡りなさい( 高校三年生を除く )』
  という看板が広尾駅前に出てるけど 、難解だよ
  なこれ 。」

  引用おわり 。

  「 真昼の暗黒の回転鮨 」と題した小文の最後にある

 文章 。何が「 落とし穴 」なのかは 、原著をお読みく

 ださい 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 広尾学園中学校・高等学校( 英:Hiroo Gakuen Junior
        & Senior High School )は 、東京都港区南麻布5丁目
        に所在する日本の私立中学校・高等学校 。

        中高一貫制の共学校であり 、通称は「 広学( ひろが
        く )」。

        開校以来2007年(平成19年)までは 、『 順心女子学
       園 』という女子校であった 。設置・運営は 、学校法
       人順心広尾学園

       概 要
        1918年(大正7年)に開校し 、2021年(令和3年)現在
       は学校法人順心広尾学園が運営する中高一貫校 。教育
       方針は『 自律と共生 』である 。

        校舎は広尾駅4番出口すぐの外苑西通り沿いにあり 、
       広尾の名前を冠しているものの 、所在地は東京都渋谷
       区広尾ではなく 、東京都港区南麻布である

        体育施設としては 、三階に 、人工芝のグラウンド 、
       室内のメインアリーナ,サブアリーナと5階のテニス
       コートがある 。

        2003年(平成15年)には生徒数が400人台まで減少し 、
       廃校の危機に瀕したことから 学校改革を模索 。2007年
       (平成19年)に女子校から共学化 。副校長である金子
       暁が通常の改革では未来がないとの指摘 。この指摘に
       より 、2009年(平成21年)から各分野のプロを招いて
       生徒に学ばせるキャリア教育をスタート 。

        2011年(平成23年)度に中央の校舎が 、2012年(平成
       24年)10月には第三新校舎が完成 。その教育を受けた
       生徒が3年生になった2014年(平成26年)ごろから進学
       実績は飛躍的な向上を果たした 。

        新改革後はインターナショナルコースがあり 、帰国
       子女の受け入れを進めている 。かつてはひとクラス定
       員15名までだったが 、2011年(平成23年)度から40名
       になった 。文部科学省から「 スーパー・イングリッ
       シュ・ランゲージ・ハイスクール 」に指定され 、積極
       的な英語教育を行っている 。校舎は9階建てで六本木ヒ
       ルズや真後にオマーン大使館がある 。

        ICT教育に力を入れており 、2013年(平成25年)に
       は Googleの日本のコンピューターサイエンス教育を支
       援するプロジェクト『 コンピュータに親しもう 』で
       の第一採択校となった 。iPad・MacBook・Chromebook等
       のデバイスのone to one( 1人1台 )環境でも知られる 。」

      「 創立者 板垣退助( 自由民権運動の主導者 )
                 板垣絹子( 板垣退助の後妻 )」

      「 絹子が女子教育や慈善事業に専念することになっ
       たきっかけについて『 会津戦争の時に 、夫は官軍
       に加はって転戦を致しましたが 、その会津城が兵
       火の為に愈々陥落すると言う刹那 、福島の民衆は
       これを観ても全く手を出さず 、袖手傍観の態であ
       った 、福島は松平氏の城下で 、全く官尊民卑の俗
       が甚しかったからであると申しておりました 。此
       時に初めて自由平等の理を悟り民権主義を唱へられ
       たのです 』と懐述している 。絹子は、この夫の話
       を聞き 社会の改良運動に取り組んだという 。」

        以上ウィキ情報 。

        板垣退助さんって 、昭和28年発行の百円札に肖像画が

       印刷されていた 、「 板垣死すとも自由は死せず 」の言葉

       で有名な 、あの板垣さん 。四国は土佐出身 、「 国会を

       創った男 」。)

 

 

 ( ライフライン )  ( ベルツノガエル

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踊る関西弁 Long Good-bye 2024・08・13

2024-08-13 05:40:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」 は  、耳懐かしい関西弁の数々 。

   概ね あいうえお順 。脈絡はない 。* 子どもの頃 よく言われた 。

  「 あほちゃうか あほんだら 
   あんじょう頼んまっさ

    いちびったらあかん * 
   いちびる
   いらち 
   いらんことしい *
   ええかっこしい
   ええしのこ ええか ええか ええのんか 
   えらいすんまへん
   お越しやす 
   おいど ( 御居処 ) が痛い
   おちょくる 
   おはようおかえり *

    かさぶたいろうたらあかん *
   かまへん かめへん かましまへん
   かんてき  ( 七輪 )
   ぎょうさん 
   こぼんちゃん * 
   ごんたくれ

   しぶちん しゃあない 
   じゃまくさい  
   しょうむない * 知らんかったん とってんしゃん
   しんきくさい *
   すかたん 
   せやかて * そんなこと言うたかて うちら知らんもん 
   そんなばっちいもんちゃいし *

   大根の炊いたん 
   ちゃうちゃう * 
   てんごいいなや
   とっとといね 
   どつぼにはまる どないやねん
   どもならん  
   どんくさい *

   なにしてけつかる なんでやねん 
   なんぼのもんじゃい

   はんなり 
   ほかす ほちける( ほつれる の意 )
   ぼっか(あぶらむし)(ゴキブリ) 
   ほな、また。
   ぼん ぼんぼん 
   ほなさいなら *

   まねしい 見栄っ張りのしぶちん
   めばちこ ( 麦粒腫 ) 

   ややこしい
   よろしゅうおあがり *

   わやや  さっぱりわやや * 」

   あほらしゅうて 、あほらしゅうて 、けつかいわ 。

 

  

 

  

 

           

                 ( 生命線 )

     ( 水力でも 、火力でも 、風力でも 、太陽光でも 、原子力でも 、

           なんでもええ 、きれいごと言わいで 、絶やさんといて 。)

 

 

 

 

  

 

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うちかえる Long Good-bye 2024・08・11

2024-08-11 06:34:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 長寿猫の秘密・出産編 」というタイトル

 の小文がある 。備忘のため 、その中の一節 を抜き

 書き 。飼い猫の出産に作家が立ち会ったときの話で

 ある 。

  引用はじめ 。

  「  ミューズはどういうわけか子どもを産むときに
  は絶対に僕のところにしかこなかった 。そして
  絶対に僕の手を離さなかった 。だからうちの奥
  さんはよく『 それ 、ひょっとしてあなたの子 
  どもじゃないの? 』と言っていたが 、僕には
  そういう覚えはまったくない 。猫の父親はどこ
  かの近所の猫である 。そんなことを言われても
  困る 。にゃんにゃん 。
   でも出産している猫と 、夜中に何時間もじっと
  目と目をあわせているとき 、僕と彼女とのあい
  だには完璧なコミュニケーションのようなものが
  存在したと思う 。今ここで何か大事なことが行
  われ 、我々はそれを共有しているのだという明
  確な認識がそこにはあった 。それは言葉を必要
  としない 、猫とか人間とかいう分別を超えた心
  の交流だった 。そこで僕らはお互いを理解し合
  い 、受け入れあっていた 。これは今思うと 、
  ほんとうに奇妙な体験だった 。
   というのは ―― 世の中の大抵の気の利いた猫
  がそうであるように ―― ミューズも普段は最後
  まで僕らに心を許してはいなかったからだ 。も
  ちろん僕らは家族として仲良く一緒に暮らしてい
  たわけだけれど 、そこには一枚の目に見えない
  薄い膜のようなものが存在した 。折に触れて甘
  えはしても 、『 私は猫 、あなた方は人間 』と
  いう一線が画されていた 。特にこの猫は頭がい
  いぶんだけ 、なにを考えているのかわからない
  という部分が大きかった 。
   でも子どもを産むときだけは 、ミューズは自分
  のすべてを 、アジの開きみたいに 、留保なしで
  僕に委ねていたようだった 。そのときに僕は 、
  まるで真っ暗な闇の中に照明弾が打ち上げられた
  ときのように 、その猫が感じていること 、考え
  ていることを 、ありありと隅々まで目にすること
  ができた 。猫には猫の人生があり 、そこにはし
  かるべき思いがあり 、喜びがあり 、苦しみがあ
  った 。でも出産が終わってしまうと 、ミューズ
  はまたもとどおりの 、謎に満ちたクールな猫に
  戻った 。
   猫ってなんか変なものですよね 。」

  引用おわり 。

  作家が経験されたことは 、稀有なことだとは思うが 、猫で

 あれ 犬であれ 、長年一緒に暮らしたペットとの間で 、出産

 ではないが 、似たような交流・体験をしたことは 、どちら

 かというと 犬派 の 、筆者にも ある 。

  ペットならぬ人間家族との交流においても 、言葉を必要と

 しない 、完璧なコミュニケーションを 実感できたときほど

 しあわせを感じることはない 。気のせい? 、それとも思い込

 み ?

  閑話休題 。

  うちの奥さん ( 村上春樹さんが随筆の中でよく使われる表

 現 ) は 、無口な僕以上に 、口数が少ない 。口には出さない

 が 、物心ついた子どもの頃から自分の人生 かくあるべし 」

 という何か 理想型 のようなものがあって 、そのイメージに

 基づいて自分の人生を組み立ててきたような気がする 。多趣

 味 、多芸 、何にせよ器用にこなす人で 、それをひけらかさず 、

 人に自慢することも内に秘めている 、自己主張の少ない

 人であり続けた 。

  一緒になって五十年近く 、会話と言えるほどの会話を交わ

 したこともないし 、お互いに長口舌をふるったこともない 。

  僕の無口は 、生来の自信のなさからくるものであるが 、彼

 女のは違う 。それでも 、うちの奥さんは 「 あなたはうるさ

 い 、声が大き過ぎる 」と 、本人無言で 、いつも子どもの口

 を借りて言わせていた 。

 ( ´_ゝ`)

 「 痛い 」「 熱い 」などの皮膚感覚から発せられるワンフ

 レーズ以外の言葉が 、彼女の口から洩れることは 、十

 このかた一度もない 。

  今も覚えている彼女が最後に発した言葉は「 うちかえる 」 。

 ( ´_ゝ`)

  最近 、ご高齢の方が多く暮らす施設で 、たまたま傍らにい

 らした90歳代おじいさんが 、何の脈絡もなく 、唐突に 、

 「 うち かえりたい 」と呟かれるのを 聞いたばかりである 。

 うちの奥さんやおじいさんが発した「 うち 」という言葉は 、

 どうやら「 自宅 」のことではないらしい 。口癖らしい その

 おじいさんの呟きに 、 「 かえりたいね 」、と付き添いのヘル

 パーさんがやさしく相槌を打っているのが聞えた 。

  他に掛けるべき言葉はないもんな 。

  夫婦の間に会話がなくなって久しいが 、時たま 、何が楽

 くて笑うのかわからぬが 、忍び声で笑いが洩れることが

 る 、救いである 。

 ( ´_ゝ`)

  「 狹(せま)き門(もん)より入(い)れ 、滅(ほろび)に
   いたる門(もん)は大(おほき)く 、その路(みち)は
   廣(ひろ)く 、之(これ)より入(い)る者(もの)おほ
   し 。 
    生命(いのち)にいたる門(もん)は狹(せま)く 、そ
   の路(みち)は細(ほそ)く 、之(これ)を見出(みいだ)
   すもの少(すく)なし 。

             マタイ伝福音書 第七章 」

  ( ´_ゝ`)

  「 何から何まで一分の隙もなく健康な人間なんてどこに
   もいないのだ 。( 村上春樹 )」

  ( ´_ゝ`)

  「 人生というのは予期せぬ罠に満ちた装置である 。
           ( 村上春樹 ) 」

  

       

   

 

 

 

 

 

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