「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

滄桑の変 Long Good-bye 2024・11・02

2024-11-02 05:55:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、司馬遼太郎さん の

 「 街道をゆく 9 」の「 潟のみち 」。

  備忘のため 、数節を抜粋して書き写す 。

  引用はじめ 。

 「『
  という日本語はよほど古いものらしく 、『 万葉
 集 』にも紀州の和歌の浦の潟( 滷 )を詠んだ歌
 として『 若の浦に潮満ち来れば滷(かた)を無(な)
 み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 』というのがあ
 る 。
  潟とは 、この歌がその地理的特徴を的確に言いあ
 らわしている 。河川の河口などで海が 、河川が流
 す土砂のために遠浅になっており 、そこに潮が満
 ちてくる 、『 滷を無み 』でもって海に化してし
 まうが 、潮が干ると洲になって現れる場所をいう。」
  

 「 かつて潟だった土地が信濃川や阿賀野川の活動で
 潟がうずまって自然に野になってしまった土地 ――
 たとえば新潟市のように ―― もあるが 、新潟市
 の南郊の亀田郷のように 、人間が他から泥を運ん
 できて水中に投げ入れ 、永年それを繰りかえして
 いるうちに陸とも沼ともいえぬ異様な水田耕作地に
 なったというようなところもある 。
  要するに新潟県というのは 、大河の河口にちかい
 野は 、新潟市をふくめてかつては潟であった 。満
 潮のときには 、いまの新潟市などは海底にあったか
 と思える

 「 ・・・ 新潟市の南郊の亀田郷という地域の土地
 改良の歴史と現状を描いた映画をみた 。
  映画は二本だてになっていて 、一つは亀田郷の
 自主製作のモノクロ・フィルムで 、一つは新潟県
 が製作したカラー・フィルムによるものだった 。
 とくにそのモノクロ・フィルムのほうに 、衝撃を
 うけた 。
  亀田郷では 、昭和三十年ごろまで 、淡水の潟に
 わずかな土をほうりこんで苗を植え( というより
 浮かせ )、田植えの作業には背まで水に浸(つ)か
 りながら背泳のような姿勢でやり 、体が冷えると
 上へあがって桶の湯に手をつけ 、手があたたまる
 と再び水に入るという作業をやっていたことを知っ
 た
  映画を観了えたとき 、しばらくぼう然とした 。
 食を得るというただ一つの目的のためにこれほど
 はげしく肉体をいじめる作業というのは 、さらに
 はそれを生涯くりかえすという生産は 、世界でも
 類がないのではないか
  映画では 、潟の水の中へほうりこむ土も 、陸地
 から採ってくるのではない 。田舟を漕ぎ出して 、
 爪のような道具に長い棹(さお)をつけ 、潟の水底
 から掻きとって舟に揚げ 、舟にわずかに土が溜ま
 ると 、田( といっても渺茫たる水面だが )へ持
 って行って 、ほうりこむのである 。」

 「 亀田郷の全面積一万五〇〇〇ヘクタールのうち 、
 農地はその半分以下の六〇〇〇ヘクタールしか無
 い 、という現状になっている 。さらにべつな統
 計表では 、三分ノ一が市街化してしまった 。都
 市化がすすむにつれて都市的な人口がふえ 、郷
 内の住民は十六万人にふくれあがり 、農家人と
 いうのはそのうち一割ほどしかいないという所に
 までなっている 。
  大きな理由としては戦後の日本の農政が 、基本
 として工業に身売りする方針をとったための如実
 なあらわれといっていい 。
  亀田郷は 、新潟市の南郊にひろがっている 。そ
 の面積の何割かは新潟市域になっており 、都市と
 して膨張率( 明治二十二年人口四万余 、現在四
 十万余 )がむしろ高いといえる新潟市の都市エネ
 ルギーの影響を亀田郷北部は圧倒的にうけざるを
 えず 、その露骨なあらわれは 、地価の暴騰であ
 ろう 。
 『 農業などは 、割にあわない 』
  という営農思想の低下は 、地価の高騰の前には 、
 当然といっていい 。土地を住宅や商工業の用地と
 して売ったり 、あるいは地価操作をして都市地主
 になって遊んでいたほうが 、はるかに得であり 、
 楽なのである
  ついでながら 、文明国と称せられる国の中で 、
 地面を物のように売ったり買ったり 、あるいは地
 価操作をしたり 、ころがして利鞘をかせいだり 、
 要するに投機の対象にするような国は 、日本しか
 ない 。資本主義はあくまでも物をつくって売ると
 いう産業のものである以上 、こういう地価過熱に
 経済社会がよりかかったり 、混乱させられたり 、
 地価過熱によって諸式が高騰して国民経済が破壊寸
 前の滑稽なすがたになっているような社会は 、厳
 密には資本主義とさえよべないのではないか
  フランスや西ドイツの農民たちが都市近郊の高燥
 な台上で 、悠々として葡萄をつくっているのを見
 ると 、地価操作式の資本主義思考に馴らされてい
 る日本人としては 、奇妙な光景にさえ感じられる 。
 葡萄をつくるより 、そこを宅地化して地面を売っ
 たり貸したりするほうが儲かるのではないか 、と
 言いたくなるのだが 、それらの国々は土地制度が
 安定しているために 、決してそうはならないらし
 い 。やはり葡萄の実を採り 、村の共営工場で葡
 萄酒にして売るほうが 、当然ながら 、利益を得
 るのである 。」

 「 阿賀野川の橋を東にわたり 、ほどなくゆくと 、
 『 豊栄(とよさか)市 』
  という標識が出ていた 。かつて広大な地図を占
 めていた木崎村は 、いまはそういう呼称のなか
 に含められている 。
  道路わきに 、農業協同組合の看板の出たりっぱ
 なビルがあった 。
 『 いまは 、農協も大変なものですよ 』
  と 、農家出身のタクシーの運転手さんがいった 。
  このあたりの土地が新潟市の東郊にあたるため 、
 宅地として地価が騰(あが)っている 。だから農協
 に不動産部門ができて 、宅地を売ることで大層活
 躍しているという 。農業ほど政治で左右される産
 業はないといわれるが 、いまの政治が農業にかけ
 る力を軽くしてしまったことが 、農協に地面を売
 らせるという 、およそ自分の手足を切って売るよ
 うな結果をまねいたのであろう 。
  しかも売っている土地というのは 、江戸二百余
 年のあいだ 、新発田藩とその領民が営々として田
 地として造成してきた土地なのである 。このこと
 は 、潟が陸地になった以上に滄桑(そうそう)の変
 であるといえる 。」

  引用おわり 。

  角栄さん 、真紀子さんの地元ですもんね 。

  どうやら 新潟は 、現代日本の縮図みたいなとこらしい 。

 ( ついでながらの

  筆者註:「『 滄桑の変(そうそうのへん)』は 、世の中が
       激しく変化したり 、移り変わりが激しいことを
       意味する四字熟語です。          (『 滄海桑田 』は四字熟語だけど
、普通 
       『 滄桑 』は『 滄海桑田 』の略で 、青い大海 『 滄桑の変 』を四字熟語とは言わない )
       原と桑畑を意味します 。青海原が干上がって桑 
       畑になってしまう様子から 、予想もできないほ
       ど世の中が変化していることを表現しています 。
       『 滄桑の変 』の由来は 、神仙伝の『 王遠 』
       に登場する話です 。仙人になった王遠が麻姑と
       いう仙女に会った際に 、麻姑が『 東海の三た
       び桑田となるを見る 』と語ったという話です 。
       このことから『 滄海桑田 』という表現が生ま
       れ 、さらに『 滄桑の変 』として使われるよう
       になりました 。

       以上 、生成AIによる「 滄桑の変 」の解説 。)

 

 

  

 

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