「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

倚松庵  Long Good-bye 2024・10・19

2024-10-19 05:03:00 | Weblog

 

 

  今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科

 事典「 ウィキペディア 」掲載の記事 「 倚松庵 」。

  引用はじめ 。

 「 倚松庵( いしょうあん )は 、兵庫県神戸市東灘区
  に建つ歴史的建造物 。文豪谷崎潤一郎の旧居 。ここで
  執筆された代表作にちなんで「『 細雪 』の家 」とも
  呼ばれる 。庵号は夫人の名前『 松子 』に因む 。

   1929年(昭和4年)に当時の武庫郡住吉村反高林
  1876-203 に建てられた 和風木造建築 で 、谷崎潤一郎
  は 1936年11月から1943年11月まで 居住した 。なお 、
  谷崎が居住した時期の家主は 極東選手権競技大会サッ
  カー日本代表の後藤靱雄であった 。

   1986年 に、倚松庵が所在する住吉川畔に神戸新交通
  六甲アイランド線の橋脚建設計画が持ち上がると 、専
  門家から計画敷地の脆弱性の指摘があったほか 、美し
  い景観が破壊されるとして住民訴訟が行われたが 、19
  90年(平成2年)に神戸市は建設を強行し 、倚松庵は
  同じ東灘区内の現在地に移築された 。これにより倚松
  庵周辺の景観は本来とは違うものになったものの 、5年
  後に兵庫県南部地震が起きた際には 専門家の指摘どお
  りアイランド線の橋脚は損壊したが 、移築していた倚
  松庵は損壊を免れた

   『 倚松庵 』と呼ばれる家は6軒 あったが 、一般的
  に『 倚松庵 』といえば 、谷崎の居住期間の長さから
  この旧居を指す 。

  館 内
   1階 ― 応接間(洋間)、西の部屋(洋間食堂)、和室( 4.5 畳 ) 、
     和室( 3畳 玄関・台所脇にある女中部屋) 、風呂 、台所 
   2階 ― 『 幸子の部屋 』(『細雪』に登場する二女
    “幸子”=松子夫人=の部屋 ) 、『 悦子の部屋 』、
    『 こいさんの部屋四女”妙子”の部屋』( 全て和室 )

  建築概要
   竣工 ― 1929年8月 (1990年7月に現在地に移築)
   構造 ― 木造瓦葺二階建
   延床面積 ― 148.92m2(1階95.45m2、2階53.47m2)
   敷地面積 ― 440.79m2
   所在地 ― 〒658-0052 兵庫県神戸市東灘区住吉東町
    1-6-50
   建築当時は今の六甲ライナー魚崎駅付近に存在した 。
   当線建設に伴い現地に移築された 。」

  引用おわり 。

 (⌒∇⌒) 。

  通りから撮影された上掲の写真は 、昭和の初めから昭和の

 10年代に掛けて 、阪神間で建てられた典型的な和風木造

 二階建て住宅のようである 。

  写真にある 、表通りから 、門や塀越しに 見た外観は 、筆

 者の記憶に残る 、五 、六歳までの幼時を過ごした 生家の佇

 まいそのものである 。驚くほど似ている 。

  間取り図や敷地の図面を見ると 、倚松庵は 、筆者の生家

 より一りも二回りも大きく 、部屋数も多く 、前庭も広い

 お屋敷である 。

  筆者の生家は 、阪神間の芦屋市山手町の山の斜面に造成

 れた比較的狭い敷地に建てられていた 。眺めはいいかもし

 れないが 、の上にある随分と不便な場所で 、当時は山の

 上の小学校が 、歩いて四 、五分の距離にあり 、小学生の

 通学には至って便利だが 、それ以外の中高生や大人が外出

 するには 、なかなか大変な土地だった ( に違いない ) 。早

 い話 、自動車の便がなければ 、外出すら難しい 、別荘地

 のような場所だったような気がする 。

  風当たりの強い山の上の二階家であったから 、秋口になる

 と台風の襲来に備えて 、事前に 、二階の雨戸を外側から板で

 補強していたようなかすかな記憶すらある 。

  筆者が生まれ 、そして六歳まで生活した芦屋は 、小説「 細

 雪 」の中で描かれている時代の 、およそ10年あと 、昭和

 二十年代の 、朝鮮動乱前後の 、戦後の 芦屋 である 。「 細

 雪 」に描かれた 戦前の「 阪神間の世界 」は 、とっくに崩壊

 していた ( 筈である ) 。

   当時 、山手町の山の上の方に進駐軍に接収された住宅でも

 あったのか 、朝夕 、進駐軍のMPの黒人兵士が制服をきちっ

 と着て 、拳銃を腰のホルスターに収め 、宿舎の住宅と最寄り

 駅「 芦屋川 」の間を往復する姿を道端で眺めていた記憶があ

 る 。

  七十年も前の 、昭和20代の話しである 。・・・ 今は昔 。

 (⌒∇⌒) 。

  倚松庵と違って 、筆者の生家は 、現存しない 。でも生家が

 建っていた山の斜面に造成された土地や敷地前の舗装された

 細い坂道は 、山崩れもなく 、令和の今も無事で 、どなたか

 の今風の家が建っている 。

  グーグルマップのストリートビューによって 、関東の地に

 いながら 、関西の阪神間の故地の近況を目の当たりにできる 。

 便利な世の中になったものである 。  

 

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