今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「明治十七年福沢諭吉は『時事新報』に『都会の花』と題した一文を寄せている。時事新報は福沢が創刊した新聞で当時の一流紙である。都会の花というのは火事のことらしい。福沢の所へ近火見舞の客人が来て、それが火事は江戸の花であるゆえんをのべる体裁になっている。客人いわく。
火事は災難ではなく仕合せである。九尺二間の裏だなに住んで車ひきをしている男の暮しは楽でない。半鐘ひとたび鳴ってまる焼けになったところで、もともと長屋は借家で夜具は貸蒲団屋のもので、人力車は親方の、袢天は旦那の仕着せで何一つ自分のものはない。それでいて焼ければ罹災救助の金がもらえる。仕事は湧くようにある。灰かき地ならし仮普請の手伝い、そこに握りめしありかしこに酒あり、たまっていたたな賃、米屋の払いなどは火事と共に消えうせる。米屋も酒屋も物として売れざるものなし仕入れてあまるものなし、商家は火災があれば借金の返済は延ばしてもらえるのが江戸以来の商習慣で、旧債まず延ばし新債ここに成る。中以上の商家でも火事を喜ぶのはこのためで、家を抵当にとられるより火事で焼かれたほうがいい、諸君もし疑うならアンケートしてみたらどうか八百八町の多数は祝融萬々歳を唱うるや必せりと言っている。
祝融というのは火の神転じて火事のことで、これで明治時代までは火事は都会の花であるわけがほぼわかった。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「明治十七年福沢諭吉は『時事新報』に『都会の花』と題した一文を寄せている。時事新報は福沢が創刊した新聞で当時の一流紙である。都会の花というのは火事のことらしい。福沢の所へ近火見舞の客人が来て、それが火事は江戸の花であるゆえんをのべる体裁になっている。客人いわく。
火事は災難ではなく仕合せである。九尺二間の裏だなに住んで車ひきをしている男の暮しは楽でない。半鐘ひとたび鳴ってまる焼けになったところで、もともと長屋は借家で夜具は貸蒲団屋のもので、人力車は親方の、袢天は旦那の仕着せで何一つ自分のものはない。それでいて焼ければ罹災救助の金がもらえる。仕事は湧くようにある。灰かき地ならし仮普請の手伝い、そこに握りめしありかしこに酒あり、たまっていたたな賃、米屋の払いなどは火事と共に消えうせる。米屋も酒屋も物として売れざるものなし仕入れてあまるものなし、商家は火災があれば借金の返済は延ばしてもらえるのが江戸以来の商習慣で、旧債まず延ばし新債ここに成る。中以上の商家でも火事を喜ぶのはこのためで、家を抵当にとられるより火事で焼かれたほうがいい、諸君もし疑うならアンケートしてみたらどうか八百八町の多数は祝融萬々歳を唱うるや必せりと言っている。
祝融というのは火の神転じて火事のことで、これで明治時代までは火事は都会の花であるわけがほぼわかった。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)