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今日の「お気に入り」は、数年前に購読をやめた某朝日新聞の看板コラムから。
「 ここはどこだろう。
まっくらだ。
ワタシがだれなのかもわからない。
まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。
これから、どうなるのだろうか。
てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。
いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。
まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。
そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、
それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。
ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。
せまいこのばしょではきゅうくつだ。
そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。
『カッパ』といういきもののせかいでは、
そとへのでぐちで、きかれるそうだ。
アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。
『おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ』。
『いやだ』といえば、でなくてもいいらしい。
あれあれっ、そとへおしだされそうだ。
すごいあつりょくだ。
だれも、でたいかどうかきいてくれない。
きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。
ついに、そとへでた。
ひかりがまぶしい。
あたらしいせかいのはじまりだ。
からだに、ちからがわいてくるようなきがした。
ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、
ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。」
平成18年10月18日付けの紙面にこの文章が掲載されたのは、「代理出産」が巷の話題になったころ?
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今日の「お気に入り」。
” it's now or never. "
このフレーズでまず思い浮かべるのは、エルヴィス・プレスリーの"It's Now or Never"、
歌い出しとメロディー、そしてこの曲のベースになったイタリアの " O Sole mio " のメロディーも。
" It's now or never,
Come hold me tight
Kiss me my darling,
Be mine tonight
Tomorrow will be too late,
It's now or never
My love won't wait. "
エルヴィスの脳天気な「チャンスは今だけなんだ」から、ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」の
「いましかないんだよ」(中野圭二訳) まで、この慣用句の日本語訳のニュアンスは色々です。
予備校の先生のキャッチコピー「今でしょ」も "It's now or never." でしょうか。
「今でしょ」を即座に "It's now or never." に英訳できる同時通訳者はいないでしょうが、
AI なら出来るようになるかもしれませんね。
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