なぜ、わざわざ「伝統」と付けるのか疑問に思っていました。
調べてみると、これがまた大蔵大根の歴史と関係がありました。
お時間のある方、よろしかったらお付き合いください。(^-^)
大蔵大根の「大蔵」は大蔵原(現在の世田谷区大蔵付近)を指しており、
世田谷区の特産品となっていますが、ルーツは世田谷とは別の地域にありました。
●大蔵大根のルーツは練馬
練馬辺りで作られていた白首系早生種の「秋づまり」という大根がありました。
江戸時代に豊多摩郡(現在の杉並区付近)の源内という農民が
「秋づまり」をもとに品種改良し「源内づまり」という晩生種の大根を生み出しました。
この「源内づまり」が大蔵原に伝わったのです。
●「源内づまり」の品種改良、そして「大蔵大根」の誕生
明治時代に入って、大蔵原の石井泰治郎氏が、
「秋づまり」と「源内づまり」の自然交配雑種から耐病性のあるものを選抜育成し、
「大蔵大根」を生み出しました。
この「大蔵大根」は1953(昭和28)年に名称登録され、
昭和40年代までは世田谷の至るところで栽培されていました。
●「大蔵大根」の衰退
・宅地化が進んだ。
・昭和49年 病気に強く、比較的栽培しやすい「青首大根」が登場した。
これらの理由で「大蔵大根」は衰退し、その姿を消してしまいました。
●「大蔵大根」の復活 そして「伝統大蔵大根」になる
平成になり、各地で伝統品種が見直される中、
世田谷区内の農家たちが1997(平成9)年から復活に向けて栽培を始め、
2002(平成14)年には本格的に栽培されるようになりました。
ところが現在、種苗メーカーからF1品種としての「大蔵大根」も種が販売されています。
そこで、それらとの混同を避けるため、
2011(平成23)年から「伝統大蔵大根」として出荷されるようになったのです。
大蔵大根に「伝統」という冠が付く理由がやっとわかりました。
こうなるまでには、江戸時代、明治時代に品種改良を行った農家の方、
昭和の時代に栽培に携わった農家の方々、
そして一度衰退した後、平成になって復活させた農家の方々、
皆様の努力が「伝統」の二文字に繋がっていると実感しました。
今日も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。