昨日の記事に登場した 江戸東京野菜の青茎三河島菜。
私が何か引っかかっていたのは「三河島」という地名です。
これでも、学生時代とその後、社会人になってからも東京に住んでいたのですが、
三河島がどこにあるのか全く知りませんでした。
そこで、この「三河島」を探ることから始まって、
青茎三河島菜が復活するまでの道のりを調べてみました。
●三河島ってどこ?
調べてみると、常磐線に「三河島駅」という駅があり、荒川区であることがわかりました。
かつて、三河島駅の一帯は「三河島町」という地名でしたが、
現在では「三河島」という住所はなく、
三河島駅の住所は「東京都荒川区西日暮里1丁目」となっています。
でも、だいたいの場所はわかりました。
●江戸時代の三河島と三河島菜
江戸時代の三河島は江戸近郊の農村地帯でした。
そこで栽培されたのが三河島菜でした。
塩漬けにして冬場の貴重な葉物野菜として食され、
代表的な漬け菜として江戸の食文化を支えてきました。
●三河島菜の衰退
しかし、白菜が普及してくると、市場での扱いが激減していき、
いつしか生産が途絶えてしまいました。
●三河島菜復活と仙台芭蕉菜
白菜の登場により、絶滅したと考えられていた三河島菜でしたが、
江戸時代に仙台藩の足軽が参勤交代の際に江戸から地元に持ち帰っていました。
それが現在でも宮城県内で栽培され、「仙台芭蕉菜」として販売されていることが
平成22年(2010)に判明。
このことがきっかけで、里帰り復活を遂げることになりました。
在来種というのは、人によって広がっていき、その土地に根付いていきます。
全国には多数の漬け菜が存在しますが、
それも、この三河島菜のように誰かが運び、根付いていったものだと思うと、
在来種の持つ「物語」に惹かれます。
今年も1年、ありがとうございました。
途中、お休みしてしまいましたが、
その時のoyajisannの温かなお心遣い、
とってもうれしかったです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいね。
ブログお伺いするたびに感じます。
明後日は兎さんのお出まし。
今年1年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
良い年をお迎えください。