静かな場所で「詩篇49」を瞑想する事で
自己の霊能力を増すとされます。
(詩篇49)
「もろもろの民よ、これを聞け、すべて世に住む者よ、耳を傾けよ。
低きも高きも、富めるも貧しきも、共に耳を傾けよ。
わが口は知恵を語り、わが心は知識を思う。
私は耳をたとえに傾け、琴を鳴らして、
私のなぞを解き明かそう。
私を しえたげる者の不義が
私を取り囲む悩みの日に、どうして恐れなければならないのか。
彼らは おのが富をたのみ、その宝の多いのを誇る人々である。
まことに人は 誰も自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。
とこしえに生きながらえて、墓を見ないために
そのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。
まことに賢い人も死に、愚かな者も、獣のような者も、ひとしく滅んで、
その富を他人に残すことは人の見るところである。
たとい彼らは その地を自分の名をもって呼んでも、
墓こそ彼らのとこしえのすまい、世々彼らのすみかである。
人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい。
これぞ自分をたのむ愚かな者どもの成りゆき、自分の分け前を喜ぶ者どもの果である。
彼らは陰府に定められた羊のように死が彼らを牧するであろう。
彼らはまっすぐに墓に下り、
そのかたちは消えうせ、陰府が彼らのすまいとなるであろう。
しかし神は 私を受けられるゆえ、
私の魂を陰府の力からあがなわれる。
人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。
彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、
その栄えも彼に従って下って行くことはないからである。
たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、
またみずから幸な時に、人々から称賛されても、
彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。
人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。」
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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昔からよく聞く登山者の話です。
秋になると登山シーズンです。
よく墜落が登山シーズンには起きるそうです。
そのご遺体は頭が割れている為スイカと呼ばれるそうです。
しかし秋に墜落事故をして逝かれても、ご遺体は雪のため春まで放置されるようなのです。
中には発見されることなく、忘れ去られているご遺体もあるそうです。
万年雪の中にもあるときがときたまあるようなのですが・・・
その登山シーズンの秋、登山部では
「スイカを見たら振り向くな。振り向いたら自分もスイカになる。」
ということがよく言われるそうです。
そしてこれは実際に体験した方の話なのですが・・・
山の尾根を歩いていると向こうから数人の集団が歩いてきました。
先頭の人間が「スイカだ!」と叫んだそうで、皆がその集団に向かって会釈をしました。
大学のサークルの1年だったその方は訳も分からず会釈をしました。
会釈をし終わってその集団が横を通り抜けようとすると、頭がクシャクシャに潰れていたそうです。
驚いたその方は慌てて振り向こうとしましたが、後ろの先輩が
「振り向くな!」
と大声で怒鳴るので何かあると感じたその方は興味を抑えて無事に山頂の宿舎にたどり着けました。
その方はスイカのことについては後から聞いたようです。もしもあのまま振り返っていたら・・・
前後を登山経験者の長い方で真ん中を経験の浅い方という並び方で登るのは、
スイカのためでもあるようです。
先頭の方がスイカであることを知らせ、最後尾の方が振り向かないように監視をする為に。
既出かも知れませんね(汗 結構スイカ自体は有名話なんで